週刊ファイト編集長・井上義啓没後11年、忘れえぬ氏への想い~鷹の爪大賞2017に代えて

▼週刊ファイト編集長・井上義啓没後11年、忘れえぬ氏への想い~鷹の爪大賞2017に代えて
 by ルーツ鐘中


 熱烈な週刊ファイト愛読者だった筆者は実は元・週刊ファイト編集長のI編集長こと井上義啓先生と言葉を交わしたのは実はたった3度しかないが、その時のことを綴ってみたい。

 最初は1994年12月14日の大阪市TORIIホールにて催されたI編集長とミスターヒトとのトークイベントという、業界の提言を趣旨としたイベント終了後のI編集長(以下、I編集長)の『猪木はどっちだ』の刊行サイン会にてとりとめのない会話をさせていただいた時が初めてであった。どちらかと言えば2度目にお会いするまでは遠目で仰ぎ見るのみであった。
 そしてその2度目は1999年12月22日に、大阪府立体育会館(現・エディオンアリーナ)第1競技場にて催されたリングスKOKトーナメントの試合開始前にI編集長をお見かけした筆者は、自分の機転によるものだったかは何かは思い出せないが、当時ニューヨークにお住いの田中正志(タダシ☆タナカ名義)さんが本日こちらに来られますよと伝えたとたんに「何ぃ、それは本当なの、彼とは積もる話もたくさんあるので」とやや大きい口調で述べながら即座に私に名刺を下さり、「今から取材に入るので後になるけど、彼には電話をくれるように伝えてほしい」と繰り返し念を押されて興奮気味だったことが思い出される。

最晩年に病床にあるⅠ編集長にお会いした時の事を綴ってみたい。
それが私にとって3度目の出会いとなり特に重要であった出会いであった。 

Ⅰ編集長がお亡くなりになる2週間程前、2006年11月27日に大阪福島のお住まいに赴いた。
 新たに立ち上げる電子書籍メディアの執筆陣のトップとして是非参画していただけないかという旨と、ファイトという名称を使わさせて欲しいという我々のこだわりの部分での了承を得るためでもある。
「お話は非常にありがたいことですが、もう私には書く力が残されてはいないのでお受けできない」
「ファイトを名乗るのは自由にすればいい」と述べられた。
 Ⅰ編集長を前面に押し出しての企画もいくつか考えていたので、執筆不可能の言は残念ではあった。
さらにこれも聞きたかったのが先生の著作でこれこそはぜひ復刊して欲しいというのはございますかという問いには、あまりにも見事な即答であった。
 「これは『猪木は死ぬか!超過激なプロレスの終焉』(プレイガイドジャーナル社1982年11月20日発行)しかないでしょう」

onnen1.jpg
表紙イラスト:いしかわじゅん(特別提供)
▼毒を食らわば皿までも 底無し沼論~井上義啓氏と週刊ファイト

毒を食らわば皿までも 底無し沼論~井上義啓氏と週刊ファイト


▼井上義啓 猪木は死ぬか!Digital Remaster

井上義啓 猪木は死ぬか!Digital Remaster

 その瞬間Ⅰ編集長に光輪が宿ったかの感がした。
 またその理由もさらに述べられた。
「私が多忙な週刊ファイトの仕事をし終えた後に(他にマニアには有名な喫茶店トークもあったのであろう)、夜中にお住まいに帰ってから言葉がまるで湯水があふれるかのごとく淀みなく出てきて相当凄い勢いで一気に書き上げた。今思えば、我ながら自らの全盛期であったのだなとそんな思い出がある」と感慨深く述べられた。
結局は我々の決意表明を手短に伝えに行き、各種の了承を得るだけの訪問となったが、当然の事ながら無駄足になったとは全く思ってはいない。最晩年の氏のかつてのペンの侍と言っても気骨を身近に見知ることができて光栄なことでもあった。
 あれほど影響力があるのにも関わらずI編集長の質素な生活ぶりが垣間見えた時に、本当に損得勘定が何よりも優先される方ではないのだなとふと思ったものである。

 より深くマット界情報が活字になっている『週刊ファイト!マット界舞台裏』の定期購読をお勧めしたい。そこにはタブロイド紙だった週刊ファイトでは制限が掛かったこと以上の内容が記されている。団体フロントや関係者、選手の隠れ愛読者が多いのは知る人ぞ知るである。
 プロレスにはジャーナリズムはいらないという考えの業界人は多いが、批評精神のない業界はその驕りからか衰退するものである。

 この言葉で最後を締めてみたい。
 週刊ファイト!ミルホンネットではおなじみタダシ☆タナカは、かつて発刊されていた娯楽誌『劇画マッドマックス』誌(コアマガジン刊)に毎月連載されていた。連載当初は7日発売の実話マッドマックスに「格闘実話時代」の連載枠2ページを担当。2007年2月号、連載第26回の本文欄外には、このようなことが記されていた。

追悼 井上義啓編集長
 プロレスを熱く語る喜びは週刊ファイトのI編集長こと井上義啓氏という存在から始まったと言っても過言ではない。1980年に出版された村松友視の『私、プロレスの味方です』もまた、I編集長によるアントニオ猪木賛歌を、ファンの立場から記し直してベストセラーとなった作品だった。前週刊プロレス編集長ターザン山本氏、9月末で休刊した週刊ファイト編集長井上譲二氏、前週刊ゴング編集長GK金沢克彦氏らは、いずれも井上学級の卒業生たちである。若かりし筆者もまた、先生の「喫茶店トーク」門下生だ。12月13日の1時頃に亡くなったと聞いて言葉が出ない。前日の18時46分、私は所用で携帯からI編集長に電話を入れている。「もう電話をしてくるな!」。これはいつものことだから、ある意味で弟子にとっては無事の確認でもあった。師匠の反骨精神によるジャーナリズムは残された者が受け継ぐ。活字プロレスは死なない。

 先だって筆者はリアルジャパンプロレス番外編『原点回帰』の10月3日の記者会見に赴いた。
会見終了後は往年の仕掛け人、新間寿氏とお話しさせていただく機会があり盟友ともいえるI編集長の話にも及んだ際に義啓(よしひろ)というお名前を、ぎけいさんと呼ばれていたのがとても印象に残ったことも併せて付記しておきたい。

▼新間寿リアルジャパン会長がストロングスタイル復権を宣言~12・7後楽園ホール原点回帰

新間寿リアルジャパン会長がストロングスタイル復権を宣言~12・7後楽園ホール原点回帰


【週刊ファイト!ミルホンネット鷹の爪大賞2017】
タダシ☆タナカ+シュート活字委員会
▼[ファイトクラブ]鷹の爪大賞2017~新日一強~メイマク興行爆発Knock Out~ターザン山本

[ファイトクラブ]鷹の爪大賞2017~新日一強~メイマク興行爆発Knock Out~ターザン山本

伊藤三世
▼[ファイトクラブ] 「鷹の爪大賞2017 デザイン部門」~内藤入場~KAI保土ヶ谷~ロッキー川村~トランザム・リュウイチ~

[ファイトクラブ] 「鷹の爪大賞2017 デザイン部門」~内藤入場~KAI保土ヶ谷~ロッキー川村~トランザム・リュウイチ~

井上譲二
▼[ファイトクラブ] ケニー・オメガ 中邑真輔 外道~鷹の爪大賞2017 井上譲二元週刊ファイト編集長

[ファイトクラブ] ケニー・オメガ 中邑真輔 外道~鷹の爪大賞2017 井上譲二元週刊ファイト編集長

紅闘志也
▼鷹の爪大賞『2017年回顧 by 紅闘志也』 ラウェイとの私的遭遇史一挙公開

’17年12月14日号鷹の爪2ドン荒川追悼新間寿原点回帰馬場最強タッグJewelsポーゴ

稲垣收
▼[ファイトクラブ]追悼D・N・ニールセン 「異種格闘技戦・オブ・ジ・イヤー」アプセット賞!敢闘賞

鷹の爪賞2017 by稲垣收~追悼D・N・ニールセン 「異種格闘技戦・オブ・ジ・イヤー」[ファイトクラブ]アプセット賞!敢闘賞

こもとめいこ♂
▼鷹の爪大賞 2017 「プロレス」ベストバウトはオカダー柴田戦[ファイトクラブ]岡倫之&北村克哉 仮面女子 いず様

鷹の爪大賞 2017 「プロレス」ベストバウトはオカダー柴田戦[ファイトクラブ]岡倫之&北村克哉 仮面女子 いず様

山本ヤマモ雅俊
▼山本ヤマモ雅俊選定・2017鷹の爪大賞 MVP関本大介 全日本 PURE-J

山本ヤマモ雅俊選定・2017鷹の爪大賞 MVP関本大介 全日本 PURE-J

谷川貞治
▼私が選んだ2017鷹の爪プロレス大賞 by 谷川貞治(巌流島プロデューサー)

私が選んだ2017鷹の爪プロレス大賞 by 谷川貞治(巌流島プロデューサー)


▼[ファイトクラブ]ディズニー帝国FOX買収~年末RIZIN視聴率偏重~鷹の爪大賞part3

[ファイトクラブ]ディズニー帝国FOX買収~年末RIZIN視聴率偏重~鷹の爪大賞part3

※490円電子書籍e-bookで読む(カード決済ダウンロード即刻、銀行振込対応)
’17年12月21日号鷹の爪3新日全日タッグ力道山新日本キックKnockOutラウェイPan