[ファイトクラブ]先行公開 [週刊ファイト1月1日期間]収録
▼ローラン・ボック氏死去 81歳 猪木を葬った“地獄の墓掘り人”力尽く
by Favorite Cafe 管理人
・ローラン・ボック氏死去 81歳 猪木を葬った“地獄の墓掘り人”力尽く
・アマレスでメキシコ五輪出場、欧州選手権制覇 プロレス転向へ
・欧州世界選手権シリーズ・キラー猪木ツアー「シュツットガルトの惨劇」
・映画『ハリケーン・ロージー』ジェラール・ドパルデューとの共演
・ジンデルフィンゲンの死闘、大巨人アンドレ・ザ・ジャイアント戦
・初来日、壮絶インパクト木村健吾戦・消化不良アントニオ猪木戦
・消息不明から30年、メディア登場・自伝『ローラン・ボック』日本語版
(Top写真:アンドレアス・マトレ氏提供 2024年8月3日撮影)
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ドイツ出身の元プロレスラー、ローラン・ボック氏が死去した。ドイツの伝説的なライブハウス「ロックファブリック・ルートヴィヒスブルク」が、同社Facebookページで、ロックファブリック創業者の一人、ローラン・ボック・シニア氏が81歳で亡くなったことを発表し、19日(現地時間)、ドイツの新聞「Stuttgarter Zeitung(シュトゥットガルト・ツァイトゥング)」、 「Ludwigsburger Kreiszeitung (ルートヴィヒスブルガー・クライスツァイトゥング)」などが報じている。
死因は「病気で亡くなった」としか書かれていないが、ドイツのレスラー時代の仲間のSNSでも追悼のコメントが寄せられている。81歳だった。

ローラン・ボック氏は1978年11月25日、西ドイツ・シュツットガルトで欧州選手権ツアー・決勝戦として、アントニオ猪木と対戦し、勝利(判定勝ち)したことで、日本では今なお語り継がれる存在のプロレスラーとなった。この試合は、モハメド・アリとの異種格闘技戦を経て世界的知名度を得ていたアントニオ猪木を終始圧倒して勝利したという意味でも、プロレス史に刻まれる忘れられない一戦だった。

試合は1ラウンド4分、全10ラウンドを戦い、アントニオ猪木が劣勢のまま判定負けとなった。この試合は当時の日本のプロレスファンに大きな衝撃を与え、「シュツットガルトの惨劇」と呼ばれるようになった。その試合映像は現在もDVDなどで視聴可能であり、アントニオ猪木の幾多の闘いの中でも伝説の一戦として異彩を放つ名勝負だ。
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そのボック氏は近年、日本でも再び注目を集めていた。昨年(2024年)には、ドイツおよびオーストリアで、すでに刊行されていた自伝『BOCK!』の日本語翻訳版出版を目指すクラウドファンディングが実施され、多くの昭和プロレスファンから支持を集めた。翻訳版出版プロジェクトは成功を収め、今年(2025年)9月に日本語版『ローラン・ボック~欧州最強プロレスラー、人生の軌跡』が刊行された。一度は「過去の人」として忘れ去られていたものの、令和の時代に再評価されつつあったレスラーである。

ローラン・ボックの生涯 アマレス時代~プロレス~キラー猪木戦
ローラン・ボックは1944年8月3日、ドイツ・シュツットガルト生まれ。18歳でアマチュア・レスリングのドイツ王者となり、1968年のメキシコ五輪に出場。1970年にはヨーロッパ選手権を制覇するなど、欧州屈指の実力者だった。

しかし、ローラン・ボックは、ドイツ・レスリング協会との確執により1972年のミュンヘン五輪を目前に引退。その後プロレスに転向し、並外れたフィジカルとアマチュア・レスリング仕込みのスープレックスを武器にデビュー時からエース級のレスラーとして活躍した。
当時のドイツではプロレス番組のテレビ放送がなく、ボックの試合が日本に伝えられることもなかった。したがってドイツ国内において行われ、いまでも語り草となっているジョージ・ゴーディエンコ戦、ミル・マスカラス戦などは、ビデオが残されていることを期待することはできない。動画どころか写真すら発見されておらず、ファンや関係者の間では伝説のセメントマッチと言われている。
1978年には、アントニオ猪木をドイツに招聘し、レスラー兼プロモーターとして「欧州選手権シリーズ」を自らがツアーをプロデュース。3週間にわたり欧州5ヵ国を巡る大ツアーの興行を手がけた。このツアーでアントニオ猪木は計22試合を戦ったが、ただ一人、猪木に土をつけた選手がローラン・ボックだった。地元シュツットガルトで自身が主催する大会において、ボックが見せた圧倒的な強さは、観客だけでなく関係者にも衝撃を与えた。

また、映画俳優としても活動し、ジェラール・ドパルデューとの共演歴がある。映画出演のオファーを受けたのは、1978年11月の猪木ツアー終了後、翌1979年。出演した映画『ハリケーン・ロージー』では、女子プロレスラー・ロージーのトレーナー役を務め、自身のプロモーター人生を投影したようなキャラクターを演じている。役柄との相性は抜群だったようで、次回作への出演オファーも受けるほどだったという。

ジンデルフィンゲンの死闘、アンドレ・ザ・ジャイアント戦
アントニオ猪木を招聘した大規模ツアーや映画出演など、次々に新たな挑戦を重ねていたローラン・ボックは、1979年12月、アンドレ・ザ・ジャイアントをドイツに初めて招くことにも成功した。
ボック対ジャイアント戦は、6ラウンドに及ぶ激闘の末、ノーコンテストに終わっている。この試合は当時、日本ではまったく報道されず、後に「幻の一戦」として長らく語り継がれることになる。試合の詳細が明らかになったのは、対戦から2年後の1982年1月、『週刊ファイト』に掲載された井上譲二記者の記事によってである。井上記者が現地で映像を確認し、その内容を報じたことで、ようやくその実像が日本でも知られるようになった。

試合では、ボックがアンドレ・ザ・ジャイアントをスープレックスで投げるという衝撃的な場面もあり、