週刊ファイト1982年1月5日付け『ローラン・ボック特集号』より
[ファイトクラブ]先行公開 [週刊ファイト9月12日号]収録
[Fightドキュメンタリー劇場57] ローラン・ボック自伝を読む⑧
▼激突!大巨人vs.ボック 幻の死闘:週刊ファイト紙上再現と詳細検証
by Favorite Cafe 管理人
・交通事故で「重傷」、来日不能とは、いったい何だったのか?
・アンドレ、ドイツ入国~ボック出迎えハンディキャップマッチ5連戦開始
・ポスターに“TITEL KAMPPF(タイトルマッチ)”WWU・WWA防衛戦
・週刊ファイト紙上再現:初めて日本に伝えられた激闘の全容
・信じられないことが起こった!アンドレに必殺スープレックス
・ボック、血栓症発症~長期療養、待たれるIWGP来日、復帰まで1年半
・関係者のボック評:デストロイヤー、ポール・バーガー、アントニオ猪木/他
ローラン・ボックは、1979年12月、アンドレ・ザ・ジャイアントをドイツに招聘して1週間の短期シリーズを開催している。“シュツットガルトの惨劇”と語り継がれるアントニオ猪木との激闘を演じた1年後のことである。
1979年、ローラン・ボックは、7月に新日本プロレスのリングに上がる予定だった。そして猪木vs.ボックの再戦にファンの期待は膨らんでいた。ところが来日直前にドイツ国内で交通事故に遭い、来日はキャンセルされてしまった。
当時のワールドプロレスリングの放送では、古舘伊知郎アナが次のように伝えている。
古舘アナ)「さて、サマーファイトシリーズ最終戦、当初予定されておりましたアントニオ猪木vs.ローラン・ボックの一戦ですが、既にニュースをキャッチされている方もいらっしゃると思うんですが、ローラン・ボックが7月23日、西ドイツで交通事故に遭いました。レスラー生命はおろか、現在は容態が非常に危ぶまれている、そんな状態のようです。右の腕、そして肋骨、また両膝あたりを骨折いたしまして非常に危険な状態にあると言うことなんです。
桜井さん、思いもよらなかったことで、ファンとしても関係者としても一様にショックは隠しきれないようですね」
ローラン・ボックがアンドレ・ザ・ジャイアントと壮絶な闘いを展開してみせたのは、来日キャンセルから5ヶ月も経っていない時期である。交通事故で「重傷」とはいったい何だったのか。交通事故は事実かも知れないが、少なくとも「重傷」というのは疑わしいと思わざるを得ない。
アンドレ、ドイツ入国~ボック出迎えハンディキャップマッチ5連戦開始
■ ボック自伝より
・・・・・・1979年12月、私は、フランクフルト空港でアンドレ・ザ・ジャイアントを出迎えた。アンドレは、マネージャーのフランク・バロアを伴い、飛行機から降りてきた。私は100m先からでも巨大なアンドレをはっきり確認できた。アンドレが近づいてくると、その体はますます大きくなり、電気を帯びたように広がった巻き毛の髪は、彼の身長をさらに10㎝高くしていた・・・・・・
[Fightドキュメンタリー劇場 50]
▼ドイツ語自伝『BOCK!』翻訳出版、8月1日クラウドファンディング始動!
ボック自伝にはこの年の12月のボック招聘について詳しく書かれている。ボックが空港でアンドレを出迎え、ホテルまで案内したがベッドのサイズがアンドレに合わず困ったこと、アンドレを歓迎してレスラー仲間と朝まで飲んで語り合ったシーンなど、試合以外のエピソードも興味深い。
ボックがプロモートした1979年12月の短期ツアーの参加選手は以下の通り。
チャーリー・ベルハルスト(ベルギー)
ジョージ・バージェス(カリブ)
ミレ・ツルノ(ユーゴスラビア)
スティーブ・ヤング(アメリカ)
ファントム(無国籍)
ルネ・ラサルテス(フランス)
マム-ト・シキ(ウガンダ)
キラー・ヘイスタックス(イギリス)
マル・コジャック・カーク(カナダ)
ラスプーチン(アイルランド)
出身地だけでもバラエティに富んでいる。チャーリー・ベルハルスト(ジョニー・ロンドス)、ミレ・ツルノあたりは日本でも馴染みのある選手だ。またルネ・ラサルテスは、欧州の名レスラーである。
12月13日のオッフェンブルク大会と、15日のジンデルフィンゲン大会のポスターに出場レスラーの名前を確認することができる。開催地は、いずれもボックの出身地のシュツットガルトに近い都市である。
12月13日のオッフェンブルクでは、アンドレ・ザ・ジャイアントは、ラスプーチンとマル・コジャック・カークのコンビと1:2の変則タッグマッチを闘っている。もちろん、アンドレ・ザ・ジャイアントの勝利である。
ドイツでのアンドレ・ザ・ジャイアントの戦績は、プロレスラーの戦績をまとめた海外のいくつかのサイトで確認することができる。ドイツのサイト「cagematch.net」によると、以下の通り。
1979年12月10日 カールスエ
○アンドレ・ザ・ジャイアントvs.マル・コジャック・カーク&ラスプーチン●
1979年12月11日 ドルトムント
○アンドレ・ザ・ジャイアントvs.ルネ・ラサルテス&ラスプーチン●
1979年12月12日 オッフェンブルク
○アンドレ・ザ・ジャイアントvs.ルネ・ラサルテス&ラスプーチン●
1979年12月13日 オッフェンブルク
○アンドレ・ザ・ジャイアントvs.マル・コジャック・カーク&ラスプーチン●
1979年12月14日 フュルト
○アンドレ・ザ・ジャイアントvs.マル・コジャック・カーク&ラスプーチン●
1979年12月15日 ジンデルフィンゲン
△アンドレ・ザ・ジャイアントvs.ローラン・ボック△
アンドレ・ザ・ジャイアントは、ローラン・ボック戦以外、すべて1:2のハンディキャップマッチで闘っている。全試合にラスプーチン(RasputinⅡ=Johnny Howard)が登場しており、連日アンドレと闘うのは大変だったのだろうと思ってしまうが、ボックにとってラスプーチンはそれだけ信頼できるレスラーだったのだろう。それよりも、欧州の名レスラー、ルネ・ラサルテスをハンディキャップマッチで二試合も起用するのは、なんとももったいないカード編成だと思ってしまう。
ポスターに“TITEL KAMPPF(タイトルマッチ)”WWU・WWA防衛戦
■ ボック自伝より
・・・・・・私が巨大なアンドレをリングの上で扱うことは簡単ではなかった。試合中にアンドレの全体重が私の足にかかってしまい、危うく負傷するところだった。それでも私はなんとかスープレックスの体勢に入り、アンドレを後方に投げ飛ばすことに成功した。私とアンドレはそのままリング下に転がり落ち、場外で乱闘になった。ローマン・バーンスタインがマイク越しに場外カウントを数えたが、私とアンドレは10カウント以内にリング上に戻ることができなかった・・・・・
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1982年1月5日付けの週刊ファイト「ローラン・ボック特集号」によると、この試合の結果は6ラウンド無効試合となっている。紹介したサイト「cagematch.net」では、4ラウンド・両者リングアウトと書かれているが、週刊ファイトの記事は井上讓二記者が現地取材を行ったときに、ビデオを入手して映像で試合を観戦しながら書いたものなので、こちらのほうが信憑性が高い。6ラウンド無効試合で間違いないだろう。
またこの試合は、ジンデルフィンゲンのカラーポスターに“TITEL KAMPPF(タイトルマッチ)”と大きく書かれている。これはボックの持つWWU世界ヘビー級選手権と、前年11月25日、シュツットガルトで猪木から奪ったとされるWWA世界ヘビー級選手権の二冠をかけて、アンドレ・ザ・ジャイアントと闘うという意味である。
全6戦のこのツアーで、ローラン・ボックがリングに上がったのは、最終戦のジンデルフィンゲン、アンドレ・ザ・ジャイアント戦のみだったようだ。ちなみに他にもプロレスの戦績をまとめたサイト「wrestlingdata.com」などがある。古い年代のプロレスの記録には多分にファンタジーが含まれることは、日本も海外も同様なので、これらの資料を手放しに信用するわけではないが、このツアーを読み解く一つの手がかりにはなると考えて、参加選手名や戦績を引用した。
週刊ファイト紙上再現:初めて日本に伝えられた激闘の全容
【第1ラウンド】
ボックはいきなり、ジャイアントのバックを取ったが、ヒッププッシュをくらった。ボックは、もう一度試みたが結果は同じだ。今度はジャイアントの左リストを決めにかかったが、ジャイアントは拳を握りしめて懸命に踏ん張る。ハンマーロックに切り換えたボックは、そのままコーナーポストへジャイアントを叩きつけた。リングがギシッと揺れる。ジャイアントのボディにショルダータックルをぶち込んだボックは、ロープ二段目に上がって、ジャイアントの首筋、背中にパンチを数発叩き込んだ。ジャイアントが怒った。髪の毛をかきむしり、両手にツバをつけて「さあ、行くぞ」のポーズ。
二人が組み合った瞬間、ボックの脳天へパンチが炸裂した。そしてコーナーに追い詰めて、ジャイアントのヒッププッシュの連打だ。この攻撃にはさすがのボックも悲鳴を上げた。ジャイアントはボックをヘッドロックに捕らえると顔面へパンチ、さらにヘッドロックのまま締め続けた。
【第2ラウンド】
開始ゴングと同時にボックは、ジャイアントの足へタックルにいったものの、倒すことさえできず、逆にココナッツクラッシュを食って吹っ飛ばされてしまった。ラウンド開始からボックのピンチは続く。
倒れたボックの左足を取ったジャイアントは、レッグスプレッドから、ボックの足へボディプレスを浴びせる。さらにレッグロックにたたんで、足首をへし折らんばかりの勢いでねじ曲げる。額から油汗を流すボックは、必死の形相で背後からフェースロックに切り返す。だがジャイアントは意外にしたたか者。
左ヒジを使ってボックの太ももをぎゅうぎゅうこすりつけると、ボックは悲痛な声を上げた。しかし、何とかロープまで逃げ切ったボック。
痛めた足を狙ってくるジャイアントの首筋を空手チョップで叩き、フロントヘッドロックに捕らえて首を締め上げたが、ここでゴング。