“読み手研鑽”『評伝ブルーザー・ブロディ 超獣の真実~暁に蘇れ』史実では読み取れない“真実”の叫び!

“読み手研鑽”『評伝ブルーザー・ブロディ 超獣の真実~暁に蘇れ』
 「公私に渡ってブロディともっとも親しく付き合った日本人は、ジャイアント馬場やアントニオ猪木でもなければ、世話を焼いた後見人の類などではなく、間違いなくミスターポーゴなのだ。」
 この謳い文句が指し示す通り、著作者であるミスターポーゴ、関川哲夫氏は「兄貴(ブロディ)が筆者(ポーゴ)に残された未完の仕事を託したように感じられたこともあり、作家として挑戦してみることにした」と語り、ブロディの言葉を借りる形で本書は編まれた。ブロディ死して21年余り。文字通りの時空を超える形での追悼本ということになるのであろう。
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ブロディと言えばレッド・ツェッぺリンのはずだが、本書に出てくる音楽は様々なのが時代の息吹を感じさせる 
      
 時代考証においても様々な文献と照らし合わせたあとが覗え、出色の出来となっている。
 往年のブロディファンなら彼がプロフットボーラーからプロレスラーへと転進するきっかけとなった“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックとの出会いや、当時のオクラホマ地区の大物プロモーターであったレロイ・マクガークとの経緯等はご存知だろう。それら記憶の断片にある、ブロディへの追憶を重ねても良し。筆者である関川哲夫氏が聞きかじったであろう、事実を史実に照らし、物語はブロディの“肉声”で進んでいく。

 “ブルーザー”フランク・ブロディの名付け親となった当時のWWWF(現・WWE)の総帥、ビンス・マクマホン・シニアとのやり取りやブルーノ・サンマルチノが保持していたヘビー級戦にまつわる逸話等、興味深いエピソードも披瀝されている。
 “生傷男”との異名を取ったディック・ザ・ブルーザーとの後世に語り継がれることとなる“ブルーザー”対決の一部始終。史実だけでは読み取れないブロディの“真実”の叫びは、やはりレスラー同士でなければ伝えることが出来ない領域なのかも知れない。
 85年2・15、のちに語り継がれることとなる、あまりにも有名なNWA・セントルイス決戦「リック・フレアーvsブルーザー・ブロディ」の生々しい舞台裏等は、ファンならずとも一読の価値がある一冊に仕上がっていると感じられた。
 
 サン・アントニオでのマーク・ルーインとの“ヘッドロック”をかけたままの60分ドロー試合の真相や、猪木、鶴田、天龍、日本人レスラーとの死闘の裏に隠されていたブロディの“本音”の部分等、ブロディの言葉に付託した効果が如実に現れており、読み応えも十二分にあった。
 “ファミリー”を第一等と従え、拘束をこそ嫌い、ひとつの場所で長く活躍しようとは思わない性分のブロディであったが為か、80年中期から“プロレスの本場”を襲った大波、WWFによる全米制圧を目論んでの他テリトリーへの侵攻計画(当地では「1984」や「レッスルマニア時代」とも表される)や、人気選手の引き抜き騒動等は、やはり眉をひそめる目障りな存在でしかなかったようだ。

 WWF傘下のテリトリーが増えれば増えるほど、“大物”ブロディの居場所が狭められるという結果に、ブロディらしい“論理”でWWFを非難する章等は、人気選手の光と影を思わすものであり、感慨を募らせるものがあった。
 NWAのブッカー職にもあった往年の名レスラー、オレイ・アンダーソンとのNWA凋落に関するプライベートでの会話シーン等こそに著作者・関川哲夫氏も思いを連ねているようだ。

 “超獣”ではない、フランク・グーディッシュという、一己の人間としての苦悩、そこに家族との絆を思わせるエピソードが挿入されていたり、巧みな構成でもあるなと思わせた。
 物語の佳境は“無法地帯”プエルトリコ遠征に尽きよう。現場監督として選手に細かい指示を与えられる権限を有していたとされる、ホセ・ゴンザレスとのいくつかのエピソードは“運命”と呼ぶべきクライマックスへと続く、ほんのささやかなプロローグに過ぎなかったのだろうか?

 “ニンジャ・エクスプレス”ポーゴ・ナガサキ組との一戦やC・コロン、ブロディvsA・ブッチャー、D・スパイピーとの一戦を挟みつつ、何故、あの時の惨劇が起きたのか?その理由が克明に描かれている。ハイライトのホセとのやり取りは、凄惨さを思わすものがあり、著作者がどうして、この書をブロディの“供養”の書であると位置づけたのか、覗い知れる内容となっている。

 ブロディも文字通り、世界を股にかけ、飛来した“超”の字がつく大物であったがゆえか、逝去のち、多くのあらぬ誹謗、中傷の類いを含め、流布されてきた。
 ブロディファンであればあるほど、そのどれを信じてよいのか?決めかねるほどの迫真を思わす“偽報”もあったし、それはまた真のブロディ像を歪めるものでもあったことだろう。
 「兄貴(ブロディ)が筆者(ポーゴ)に残された未完の仕事を託したように感じられたこともあり、作家として挑戦してみることにした」
 この言葉の持つ意味を改めて感じさせてくれた、最期の章こそ、まさに著作者が書き記した“供養”という意味であろうと鑑みている。

(筆記・美城丈二)                               
  ☆これぞ評伝ブロディものの最右翼か!?ミスターポーゴ著
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