プロレス美術館館長の「迷走ナビゲーション」

 ブルーザー・ブロディとタイガー・ジェット・シンはともに暴走型悪役レスラーの典型的なタイプ。だが、表面上とは裏腹の人間性はあまりにも対照的だった。
ブロディはプロモーターの指示を無視しても、商品としての“自分の魅力”を最優先するタイプ。つまり映画に例えれば、監督の指示にクレームをつけ、自分の演技を貫き通すだけで、共演者との協調性はゼロ。一方のシンはその真逆で性格は気弱でクソ真面目。監督の指示を忠実にこなす優等生、周囲の人々に反感を買うことなどあり得なかった。   
 これは仮の話。ある事情で、会場での場外乱闘や凶器(チェーンやサーベル)の使用が全面的に禁止されたとしよう。シンはもちろん絶対厳守。一方のブロディは“掟破り”もなんのその。当然、これにより団体側が受けるであろうペナルティーにもお構いなし。
 ここで、話はいきなり飛んでしまって恐縮だが、私の個人的な話。・・・年末から椎間板ヘルニアが原因で激痛に襲われ、救急診療扱いで医療機関に飛び込んだ時の事。まずベッドの上に横たわると、医者の指示で看護士が一時的に激痛を抑えるため、さまざまな処置をしてくれた。ほとんどの看護士は医者の指示通りに処置を施すのが当たり前の縦社会において、当然、末端の患者の気持ちは二の次となる。だが、ある1人の看護士だけは違っていた。医者の指示に対して、「先生、それだと患者さん(私)に負担がかかりますので、違った方法が・・・」と言って、ドクターの指示よりも、患者側に立った治療方法を優先してくれたのだ。ここでは、その方法が的確であったかどうかは私にとって問題外。とにかくその計らいに感動したのだった。“自己中心でなければ生き抜くことすら困難”とも言えなくもない実社会。普通の医療機関では考えられない患者本位の治療。
 ここで頭をよぎったのは、プロレス界の興行システム。とっさに医療機関のドクターを、プロモーターであり映画監督と置き換えていた。すると看護士はレスラーの立場、そして患者が観衆となる。プロモーターや映画監督、および医者の指示は絶対的権限を持っている。これに対し、シンは「YES」と忠実に役割分担をこなす。ブロディは常にマッチメーカーに反抗し、トラブルメーカーで「NO」を連発。またここで登場した看護士もある意味「NO」を唱えたことには違いはないが、両者の背景はあまりにも違いすぎる。ブロディは自己主張と己の商品価値を守るためで、ファンのために「NO」と言ったわけではない。一方の看護士の場合は、自分の利益のために「NO」といったわけではなく、末端の患者の立場を最優先して、「NO」と発言してくれたのである。
 シン━ブロディ━看護士、三者を比較すること自体がナンセンスだが、プロレス界においても、この看護士のように、上層部に対し、ファンの立場にたって、「NO」と発言できるレスラーは美しい。新日本プロレスにおいても「猪木さん、それはファンの立場からすると全くナンセンスですよ」と提言できる人がいなかったことが「新日本崩壊」の根源だったかもしれない。
プロレス美術館HP