[ファイトクラブ]大仁田厚が叫んだ“這い上がれ”J鶴田追悼と共に響いた、いじめ撲滅プロレスの真意

写真提供:大仁田厚公式

[週刊ファイト4月24日]期間 [ファイトクラブ]公開中

▼大仁田厚が叫んだ“這い上がれ”J鶴田追悼と共に響いた、いじめ撲滅プロレスの真意
 (C)大仁田厚 編集部編
・「GET THE GLORY ~イジメヲ爆破セヨ~」J鶴田への追悼の意義
・大仁田厚が語る、ジャンボ鶴田への敬意と感謝
・大仁田厚がプロレスで訴える“イジメ撲滅”への情熱
・G馬場の弟子から“爆破のカリスマ”へ!唯一無二な伝説を辿る


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「GET THE GLORY ~イジメヲ爆破セヨ~」J鶴田への追悼の意義

 2025年4月13日、山梨県甲斐市の梅の里クラインガルテンにて行われた「GET THE GLORY ~イジメヲ爆破セヨ~」は、単なるプロレスイベントという枠を大きく越えた、社会的意義と感動に満ちた一日であった。主催はシアタープロレス花鳥風月とCHIKAKOダンススクールの共催によるものであり、いじめ撲滅をテーマに据え、新年度を迎える若者たちに「人生をリセットできる勇気」を届けるという強い意志が込められていた。

 イベントの開催前、大仁田厚は報道陣に対して「人生を諦めるのではなく、這い上がれというのをリングの中で表現したい」と語っていた。長年にわたって電流爆破マッチという過激なスタイルを貫き、何度もリングに戻ってきた彼だからこそ、この言葉には重みがあり、説得力を持って会場中に響き渡った。

 当日は無料イベントとして開放され、約10名の選手が参加し、4試合が行われた他、子どもたちによるダンスパフォーマンスやちびっこレスリング教室なども組まれ、プロレスという枠組みを超えた“社会へのメッセージ”が溢れる空間が作り上げられていた。子どもたちの笑顔と歓声が飛び交う中、プロレスラーたちは本気で闘い、本気で想いを伝えた。

 イベントのハイライトの一つは、2000年に49歳の若さで亡くなった山梨県出身のジャンボ鶴田に対する没後25年の追善セレモニーであった。大仁田厚はセレモニーにて「山梨県にはジャンボ鶴田という偉大なレスラーがいたことを忘れないでください」と語りかけた。自らも全日本プロレスで活動を共にしたかつての盟友へ向けたその言葉は、雨の中でも静かに胸に刺さる力強さがあり、観客の多くが目を潤ませた。

 メインイベントでは、大仁田厚が雷神矢口とタッグを組み、斎藤拓海&14K組と対戦。試合形式は電流爆破バットデスマッチ。電流爆破という過激な演出の中に、「痛みを乗り越えてなお立ち上がる」というメッセージが込められていた。結果は大仁田と矢口のダブルバットが斎藤を貫き勝利。勝敗以上に、この試合が持っていた“意味”が、観客一人ひとりに深く刻まれた瞬間であった。

 この日のイベントは単に試合の勝ち負けや派手な演出に留まるものではなかった。いじめに苦しむ子どもたち、人生に立ち止まってしまっている誰かに対して、「這い上がって来い、俺たちはここで待っている」と大仁田厚は言葉と肉体で伝えたのである。プロレスという舞台を通じて社会的課題に切り込むその姿勢、そしてリング外での想いを観客と共有するその熱量こそが、大仁田厚という存在を唯一無二たらしめている理由であろう。

 そして、ジャンボ鶴田という存在がいたこと、それが山梨という地にとってどれほどの誇りだったかを再認識する機会でもあった。「偉大なレスラーがいたことを忘れないでください」──その一言が、過去と未来を繋ぎ、今を生きる人々の心を震わせた。

 本イベントは“イジメ撲滅”という強いテーマのもと、プロレスを通じて社会に対するメッセージを発信する新たな可能性を示したと言える。大仁田厚のように、言葉ではなく行動で、闘いで語る姿勢が、今の時代だからこそ求められているのではないだろうか。

大仁田厚が語る、ジャンボ鶴田への敬意と感謝

 ジャンボ鶴田というレスラーは、全日本プロレスの黄金時代における象徴であり、その存在感はリング内外を問わず絶対的なものだった。そんな鶴田と深く関わった後輩・大仁田厚が、その偉大な先輩との関係について語ったエピソードは、プロレスファンならずとも胸を打たれるものである。とくに、世田谷区砧に構えた合宿所兼道場にまつわる話は印象深い。当時まだ25歳だった鶴田が、自らの将来を見据えて全日本プロレスの練習環境の拠点となるこの施設を手に入れ、ジャイアント馬場から「ローンは会社が払ってやる」と助言を受けて土地建物の所有者となった話は、プロレスという世界の中でも非常に先進的な人生設計だったと言える。そこには若手の後輩、大仁田、渕正信、薗田一治(ハル薗田)らも一緒に住み、毎日の生活を共にしたことで、鶴田の人柄がより鮮明に浮き彫りになる。

 鶴田は先輩風を吹かすような人間ではなく、年下の後輩たちにも対等な姿勢で接した。たとえば、食事の際にも「今日はあそこの中華に行くか」と気さくに誘い、ちゃんこを作るより外食に出ることも多かったという。また、「食事は平等だ」との理念から、合宿所で鍋を囲む際も、若手にも最初から平等に取り分けさせた。鶏の湯豆腐というシンプルな鍋を好み、贅沢なアンコウ鍋を先輩が食べ尽くすような上下関係に満ちた食卓文化からは明確に距離を取ったこの姿勢には、大仁田自身が「鶴田さんの鶏鍋が一番うまかった」と語るほどであった。これは、当時のプロレス界に蔓延していた相撲的な上下関係を打破するものであり、鶴田はまさにプロレス界の「革命児」であったのだ。

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