[Fightドキュメンタリー劇場⑰]パワーズが来日早々、猪木に「イチャモン」をつけた!(1976年)

[週刊ファイト11月11日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼[Fightドキュメンタリー劇場⑰] 井上義啓の喫茶店トーク
 パワーズが来日早々、猪木に「イチャモン」をつけた!(1976年)
 by Favorite Cafe 管理人

 ジョニー・パワーズは、初期の新日本プロレスに毎年のように来日し、外国人選手が手薄だった頃の新日プロを支えた外国人エース選手の一人だった。アントニオ猪木にNWF世界ヘビー級選手権を奪われた後も、時にはNWF本部としての権限で、新日本プロレスの方針にも「イチャモン」を付けたのであった。しかし、そのNWFは新日本プロレスにシングルタイトル、タッグタイトルと次々に奪われたことから、すでに崩壊したのでは無いかとの疑惑も浮上。そこでI編集長はNWF組織の実態を探るようファイト記者に指令を出した。

■ 闘いのワンダーランド #023(1997.01.04放送)「I編集長の喫茶店トーク」
 1976.02.05 札幌中島体育センター
 アントニオ猪木vs.インフエルノス2号
 1976.03.18 蔵前国技館
 アントニオ猪木vs.ジョニー・パワーズ

(I編集長) 今日の試合は、昭和51年3月18日の猪木vs.パワーズのNWFヘビー級戦ですね。この試合については、ちょっと面白い話がありますので、そのお話ししておきましょうか。というのは、パワーズが来日予定日の一週間も前にいきなり殴り込んで来たんですよ、これ。パワーズの参戦はシリーズの後半だったんですね。そして最終戦の3月18日、蔵前国技館のビッグマッチになだれ込むという段取りになっておったんです。ところが予定の一週間前にパワーズがいきなりやって来ることになったんですね。そして「2月27日の後楽園大会から出場させろ!」とねじ込んできた訳ですよ。その時の話を当時の新日プロのスタッフに聞いたことがあるんですが、それは非常にありがたい話だったと言ってましたね。シリーズの目玉選手の来日が一週間早いんですからね。営業的には非常にありがたい話なんだけれども、ポスターなんかに「パワーズ、来襲!」というふうなことを織り込まなくちゃいけないんですよね、急遽入れなくちゃいけない。それでもう、大騒動だったと言ってましたよ。そういったこともあったんですが、ともかく前倒しでパワーズが来日して来たんですね。

1973年12月10日 J・パワーズからNWF世界ヘビー級選手権を奪取

(I編集長) あんまり仕事熱心ではないパワーズがですね、どうして一週間も前に乗り込んできたのかと、これが今日の話のポイントであります。その前のシリーズでは、タイガー・ジェット・シンがいきなりやってきて、猪木との間で行き違いみたいなことがありましたわな。これは何かというと、2月6日の大会でタイガー・ジェット・シンを猪木のNWFタイトルに挑戦させろと、これはNWF本部の指示だとして、パワーズが伝えてきていた訳ですよ。それで新春のシリーズにシンを送り込んでいた訳ですね。ところが、ご存知のように2月6日は「猪木vs.ルスカ」戦になってしまって、シンは肩すかしをくわされてしまった形になりましたわな。

1976年1月7日、猪木vs.ルスカ戦発表

(I編集長) そういうことがあってパワーズは怒ったんですね、これ。パワーズが怒ったんですよ。それで後半参戦予定だったシリーズに早めにやって来て、抗議してきたんですね。「本部の意向に背いて、タイガー・ジェット・シンをNWFタイトルに挑戦させないとは何事か!」ということで、パワーズが非常に怒った訳です。「以前もNWFが送り込んだレスラーに対して、猪木の体調が悪いだの、お前はIWA系のレスラーだからタイトルには挑戦させないだの、なんだかんだと言って、結局上手いことはぐらかしてしまっている。それで今年に入ってタイガー・ジェット・シンを挑戦させろと送り込んだのに、それも実現していない」と。

▼マット界舞台裏2015年2月26日号
 総力特集Wルスカ追悼/オランダ格闘技界/DDT飯伏幸太UFC-WWE/天龍/ReinaSM戦

総力特集Wルスカ追悼/オランダ格闘技界/DDT飯伏幸太UFC-WWE/天龍/ReinaSM戦~マット界舞台裏2月26日号

肩すかしをくらったT・J・シン(シリーズパンフレットより

(I編集長) ファンの皆さんはその当時のことをご存知ですかね、新日本プロレスがNWAに加盟したんですよ。ただ、これは新日本プロレスが団体として加盟したのではございませんですよ。誤解のないようにしていただきたい。これは、新間寿さん、専務であった新間寿さん個人の加入・加盟だったんですよ、これ。ですけどいずれにしたって加盟したことは確かなんですよ。

(I編集長) それで、NWAの方からNWF“世界”ヘビー級という名称はけしからん。NWAに加盟したのだから「世界」の文字を取りなさい、そう言われたんですよ。しょうが無いからNWF世界ヘビー級チャンピオンシップから「世界」を取ったんですよね。それについてもパワーズが「NWFの本部に相談もせずに勝手にそんなことをして、何なんだ!」と言って談じ込んで来たのが、そもそもの「いちゃもん」の始まりなんですよ。

▼ハーリー・レイスとザ・ファンクス、NWAベルトを巡る攻防の舞台裏

ハーリー・レイスとザ・ファンクス、NWAベルトを巡る攻防の舞台裏

(I編集長) パワーズは新日プロのNWA加盟も気に入らないし、猪木vs.シンのNWF世界タイトル戦をやらなかったことも気に入らない、この二つをしつこく言ってましたよね。コチラの指示に従わないのならNWFタイトルを返上してくれと迫ったんです。ところが新日本プロレスは、その返上にも従わない。パワーズとしては、いったいどういうことなんだ、勝手にNWAなんかに加盟しておいて、ということですよ。
 NWFというのはそもそも、「反NWA」の組織なんです。そして新日本プロレスも同じく「反NWA」という立場で存在していた団体なんですね。そういった「反NWA」の旗印を掲げていた2つの団体だからこそ、ジョイントして一緒にやろうとなったのと違うのかと。それを今頃になってNWAに加盟しました、NWFから「世界」という文字を取りました、とは何事かと言って「カンカン」になって怒ったんですよ。だから猪木に対して「返上しろ」と迫ったわけですね。それがこの時、パワーズが早めに来日して「いちゃもん」をつけた理由なんですよ。

パワーズの「イチャモン」を取り上げたファイト記事

(I編集長) しかし、猪木にしてみたら「知ったことか!」となるんです。といいますのは、パワーズというのは、ずっとNWFのトップレスラーだという触れ込みで来ておったんですけど、どうもNWFの方をおろそかにして、当時旗揚げしましたIWAのほうのトップレスラーをやっているんじゃないかという疑いが出てきていたんですよね。そういう疑いがあったんで、当時私はうちの記者に「とにかく真相を調べてこい」「パワーズはNWFかIWAか、どっちなんだ」と言って取材させたんですよ。それでうちの記者がパワーズにいろいろインタビューなどして取材をした時に「あなたの連絡先を教えてください」と言ったんですよね。あなたが帰った後で連絡しなくちゃいけないこともあるから、NWFの連絡場所を教えてくれと。当然ニューヨーク州バッファローのNWF本部の番地、連絡先を書いてくると思っていたところが、そうじゃなかったんですね。IWAのほうの住所、電話番号、それを書いて渡してきて「ここが連絡先だ」と言ったんですよね。

ジョニー・パワーズにインタビューする井上譲二記者 1976年2月
既にNYのNWFは消滅? パワーズはIWAで活動中

(I編集長) うちの記者としては、「これはおかしいじゃないか、あなたはNWFの御大だろ、それがなんで連絡先にマルチネスがやってるIWA本部の連絡先を教えるんだ。ということは、あなたのNWFはもう解散しているんでしょ、もう無いんでしょ。NWFのタイトルを返上しろとか、なんだぁかんだぁと言ってイチャモンつけておるけども。本当はNWFなんてもう無いんでしょ」と突っ込んだ訳ですよ。ホントのところはこっちでも半信半疑だったんですけどね。だけどもともかくカマをかけたんですよ。そしたら「そんなことは無い」と言って、ああだこうだと理由を付けて、「そういうことで俺(パワーズ)は、ペドロ・マルチネスのIWAで闘わなくちゃいけないことになっている。NWFの方の仕事もオレに代わってマルチネスがいろんな業務やマッチメイクなんかをしてくれている。だからIWAを連絡先にすれば、うまくコンタクトが取れるんだ」と、そんな言い訳をしましたよ。しかし、これはどう考えたっておかしな言い訳だったんですよね。だから、「ああ、やっぱりNWFというのは、あんな形で猪木にタイトルを取られてしまったんで、落ち目になって、もう潰れる寸前なんだな」と、私はそう結論付けたんですよ。それはそれでいいんですよ。団体や組織には浮き沈みがあるものですからね。

▼[Fightドキュメンタリー劇場③]
 在位7年余!新日本プロレス黄金期アントニオ猪木:闘魂NWFの軌跡

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NWF本部は実質的に東京、新日本プロレスへ

(I編集長) だからそこは、NWFがこうなった、ああなったということはファイト紙には書かずにおくことにしたんですよ。そんなことバラしたってしょうが無いですからね。そういったことが、この3月18日のNWFヘビー級戦の背景にはありましたよ。ホントのところは週刊ファイトでは、「これはおかしいじゃないか」とちょっとだけ書いたんですけどね。ですけど、それ以上は突っ込まなかったんですよ。当時、週刊ファイトは非常に厳しいことを書くということで、団体関係者あたりは、もう私なんかをナメクジのように嫌ってましたよ。
 まぁ、そりゃそうだったかもしれませんね。それでも、今から比べてみると非常に穏やかな記事だったはずですけどね。今の話でもお分かりのように。抑えるところは抑え、相手を立てるところは立て、そして団体のメンツを損なうようなこと、レスラーの恥になるようなこと、そういったことは知っておりながらでも書かずにおく、そういったところを守りながら記事を書きましたよ。しかし、それでもなお、当時の関係者には言われてましたね。「週刊ファイトは非常にえげつないことを書いている」と。私は猪木にも「こんな好き勝手なことを書いてたら、あんた、心臓が悪くなって当たり前ですよ」なんてことを真顔で言われたこともありますよ。

そもそも、サブタイトルが「クレージーなスポーツ紙」

(I編集長) だからこの話、3月18日のNWFヘビー級戦のあの闘いの意味、本当はどういった背景があったのかが分らないままだと、この試合の「闘いのワンダーランド」の意味がどこかに行っちゃうんですよ。私としたら、プロレス週刊紙の役割としてパワーズに突っ込み、真相に迫りましてね、首根っこも押さえたし、色々なことがわかってきた、そして迎えたのが今日放送された3月18日の試合なんです。だからやっぱりそういったことはね、時効になった今だからこそ、語り部としてキッチリと説明していくことが必要でしょうね。

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(I編集長) プロレス者との喫茶店トークで3月18日の試合を振り返る時には、私はそういった背景をきちんと話すんですよ。そうするとその後の猪木vs.パワーズ戦が一気にトーンダウンしていったのも理解できるんですよね、これ。それはやっぱりNWFヘビー級タイトルが完全にパワーズの手元から離れてしまった、それで猪木の方に定着してしまったからなんですよ。団体で認定したベルトが結局、認定している組織の元に返らなかった、これはもう非常に珍しいケースでしてね。そんな常識を覆してしまうようなところは猪木らしいですよ。しかし、それを許したのはNWFですからね。なぜなら猪木もNWFと同じ方向性で、反NWAの旗印を掲げていたからですよ。だからパワーズは「返上しろ」とは言ったものの、ベルトを取り戻すためにあれこれ汚い手を使ったり、いいかげんなことをしたりはしていませんね。取り戻せなかったらそれでいいんだ、というパワーズの姿勢は立派ですよ。そこは立派だけども、やっぱり結果的にはね、試合自体は回を重ねて行くにつれて、どんどんどんどんトーンダウンしていきましたね。

▼1980年元旦の「新春プロレススペシャル・MSG特別5大タイトルマッチ」
 NWFヘビー級タイトルは「日本ヘビー級選手権試合」と現地実況されていた

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