ケン・片谷『鷹の爪大賞』2020年を振り返る

 2020年も残り一ヶ月を切りました。
 今年は、兎にも角にもコロナ、コロナ、コロナに尽きました! 「あぁ、今年一年何もしなかったなぁ。」そういった感想をお持ちの方がほとんどではないでしょうか?
 かく言うオイラも、例に違わずコロナに振り回され続けた一年となってしまいました。

 世はまさにコロナ一色。一年前の今日、世界がこんなことになろうとは一体誰が予測したでしょうか?
 そんな2020年を、完全なるオイラ目線で月を追って振り返ってみたいと思います。

㊳新年度スタート![ファイトクラブ]早稲田大学最終章の始まり始まりぃ~!!

【1月】

 2020年のスタートは、実に静かなものでした。世界中にコロナの“コ”の字も無かった頃、オイラは必死に卒業論文と格闘していました。
 2015年から始まった大学生活もいよいよ大詰め。残すは卒論提出のみに。卒論の提出期限は1月中旬。ですから、オイラは紅白もお節料理も無く、それどころか今が昼だか夜だかも、いつ年が明けたのかすらも分からないほど卒論作成に没頭していたのです。見事卒論が通れば、先生や多くの学生を前にして行われる口頭試問と呼ばれる卒論の発表会を経て晴れて卒業となります。

【2月】

 2月1日、無事に口頭試問を終え、ついに卒業が内定しました!
 口頭試問は、150人くらいが入る教室で行われました。早稲田大学の学生であれば誰でも見学することができます。オイラの順番になると、なんと“立ち見”の学生も出るほどの大盛況! 元来、人前でしゃべるのが大好きなオイラなので(笑)、大観衆を前に持ち時間の10分間をノリノリでやり過ごすことができました。

 これで、卒業は決定したも同然。ようやく自由の身になったオイラはすぐに第二の故郷、ニューヨークへと旅立ちました! たった一人の卒業旅行です。と同時に、アラフィフにして念願の早稲田大学卒業を手中にした自分自身へのご褒美旅行でもあります。

 ちょうどその頃、日本に寄港したダイヤモンドプリンセス号の船内で新型ウィルスのクラスターが発生したというようなニュースが流れていましたが、まだまだコロナなんてどこ吹く風。まさか、その直後に世界中が新型コロナウィルスの恐怖に曝されるなど夢にも思っていなかったのです。

【3月】
67 夢にまで見た早稲田大学卒業

 当初、3月は予定がびっしり詰まっていました。それに合わせてニューヨークからも帰国。しかし、早々にWWSの高瀬直也の自主興行が中止になるなど、にわかにコロナウィルスの猛威が世間を騒がせ始めた頃でもありました。
 帰国時は、アメリカで初めて感染者が出たとの報道があった程度でしたが、その数週間後、一気にアメリカで2万人の感染者が出たと大ニュースになりました。もし、オイラの帰国がもう少し遅かったら無事に日本に帰って来れたかどうかも分からなかったでしょう。

 3月は、卒業祝賀会やサークルの追いコン、個別の飲み会などで大忙しの予定でした。そして何より、26日には一世一代の大イベント、卒業式を控えていたのです。
 ところが・・・。

 その全ては延期あるいは中止となってしまいました!
 ギリギリまで発表を見合わせていた卒業式も、残念ながら中止が決定しました。学位記を手にし、卒業式に参列するのが長年の夢でしたが、それも叶わなくなってしまったのです。
 しばらくはショックで何も手につかないほど落ち込んでいましたが、苦楽を共にした学友同士、誰からともなく誘い合い、せめて一緒に卒業写真だけでも撮ろうということになりました。学長の有難いお言葉も、“最後の”校歌斉唱もありませんでしたが、仲間と記念撮影することで何とかけじめをつけようと必死だったのを覚えています。

【4月】

 4月7日、ついに日本でも非常事態宣言が発令されました。それを受け、4月に予定されていたWWSの興行も中止が発表されました。

 忘れた頃、大学から学位記(卒業証書)が郵送されてきました。コロナウィルス感染拡大防止の観点から、教授から直接学位記を受けとることもままならなかったため、後日郵送となっていました。喉から手が出るほど欲しかった学位記でしたが、あまりにも届いたのが遅かったので少し興ざめしてしまいました。

42 自由過ぎるトークライヴ

【5月】
 非常事態宣言は解けたものの、コロナの猛威はとどまるところを知りません。
 プロレスの興行も軒並み延期や中止となっています。そして、大好きなプロ野球も開幕できないままです。

【6月】

 6月11日、お陰様でプロデビュー20周年を迎えました!
 実は昨年から色々と20周年記念のイベントを企画・構想していたのですが、折からのコロナ禍の影響で何一つ実現に至りませんでした。
 ただ、同時期にWWSの興行が開催されたのがせめてもの救いでした。

【7月】

 久しぶりにWWSで試合を行い、これから20周年の記念イヤーを盛り上げいくぞという希望を持った矢先でした。急に体に異変を感じ、まさかの最悪の事態を迎えることになったのです。

 ある日突然、右目が見えなくなってしまいました。その予兆は、視界に虫が飛んでいるような感覚になる飛蚊症でした。これまでも飛蚊症の症状はよく現れていましたが、格闘家特有のものだと特に気に留めていませんでした。それが今回は徐々にひどくなり、ついには視界が曇ったような状態になりました。初めは、コンタクトレンズが汚れているのかなとも思いましたが、新しいものに取り替えても状態は変わりません。そして2、3日後には、とうとう右目が全く見えなくなってしまったのです。

 極度の病院嫌いで有名なオイラですが(笑)、これにはさすがに異常を感じ眼科を受診することにしました。
 そこで下された診断は『網膜剥離』。
 そしてすぐさまドクターから言われたのは、
「緊急を要するので、紹介状を書きますから直ぐに大きな病院に行ってください。明日入院、そのまま緊急手術になります。」
「えっ!? 明日入院、明日手術!?」
 あまりに突然のことで目の前が真っ白になりました。いや、元々目が見えないんだった(笑)!
冗談を言っている場合ではありません。生まれてこの方、オイラは手術はおろか入院すらしたことがないんです。ましてや、明日緊急入院だなんて・・・!
 とにかく、ネットで入院に必要なものを調べて最低限のものを用意しました。大抵のものは病院の売店で買えるでしょうが、困るのはオイラのサイズの服がなかなか売っていないこと。ネットによると一週間程度の入院を要することが分かりました。寝巻きはTシャツや短パンで代用するとして、パンツくらいは買っておこう。こんなとき役に立つのが『ファションセンターし○むら』です。ここには“大きいサイズコーナー”があるので、下着の用意くらいは可能なのでとても助かっています。

 手術は90分1本勝負。眼球に4/100mmのメスを入れると聞いてビビりまくっていましたが、幸い目が見えていないので恐怖は半減されました。
眼球に穴を開けたことにより、多量の出血のために視力を失ったことが分かりました。幸い網膜が破れた箇所は一ヶ所で、レーザー治療により穴を塞ぐことができたそうです。

 今現在、視力もほぼ元に戻り順調に回復しています。
 網膜剥離といえば、これも格闘家の勲章です。しかし、ボクシングの世界では、網膜剥離になると即刻ライセンスを剥奪されると聞いたことがあります。その点、プロレスは自己責任ということでしょうか?
 色々と調べたところ、網膜剥離になったレスラーを何人か発見しました。いずれも試合を続けていても再発はないとのことでした。
これを聞いて少し安心しました。まだまだオイラも現役を続けることができそうです。しばらくは休んで、完治したらまたリングで大暴れしたいと思います!

【8月】

 8月13日はオイラの53回目の誕生日です。
 毎年その日は、佐野直選手がオーナーを努める、新宿歌舞伎町にある『プロレスラーの店 スタンリークラブ』でオイラが一日店長となり、バースデーパーティーを行うのが恒例行事となっています。
 しかしちょうどその頃、コロナウィルスの感染拡大第二波が東京を襲っていました。
 それでも、例年通りバースデーパーティーを強行! それにはこんな理由がありました。
『卒業式』『デビュー20周年』と何も祝えないでいたので、『誕生日』と『退院祝い』も合わせてまとめてお祝いしてしまおうと!

 結果は・・・。
 やはりこの状況下、お客さんの数は少なかったですが、それでも来店してくださったお客様には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

【9月】

 6月に『無観客試合』として開幕したプロ野球ですが、その後も入場者数を減らして試合を行っていたため、チケットの入手が困難でした。
遅ればせながら、ようやく今シーズン生観戦できたのがこの頃。甲子園球場での観戦は、何と7か月ぶりの関東脱出でした。

 もうひとつ、プロレス関連で言えば、5月に閉館となった『横浜文化体育館』の“さよなら内覧会”の招待を受けたのもこの月でした。
横浜アリーナができるまで、地元のプロレス会場として、横浜文化体育館(通称:文体)には本当によく通いました。


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 やはり、一番記憶に残っているのは1988年8月8日に行われた、新日本プロレスの藤波辰爾vs.アントニオ猪木(敬称略)のIWGP戦です。真夏の大会で60分フルタイム闘った両先輩の底無しのスタミナに驚いたのと同時に、事実上猪木さんが第一線を退く試合となった寂しさが特に印象に残っています。

内覧会の最後に、間も無く取り壊される文体の壁にオイラのサインを残してくることができました。数々の想い出とともに・・・。

【10月】

 今年は、ロックバンドの『聖飢魔II』が5年ぶりに全国ミサ(コンサート)を行う年でもあります。聖飢魔IIはすでに解散しているグループですが、5年に一度再結成し、全国を回っているのです。
 12月まで続く全国ミサに合わせ、オイラも可能な限りミサに出掛けます。もちろん、コロナの感染拡大防止や密には人一倍気を遣いながら・・・。

 ミサ初日は、福岡が舞台でした。この時がなんと8ヶ月ぶりの飛行機搭乗となりました! 物心ついて以来、こんなに長く飛行機に乗らなかったのは、おそらく初めてかも知れません。

【11月】

 “巣籠もり生活”を余儀なくされた今年は、とにかく人と会うことを制限されてしまいました。
 聖飢魔IIのミサに参拝するついでに、今年会うことのできなかった親友に会うことができました。
 高松に住む、中学と高校の同級生の案内で、香川県名物のさぬきうどんを堪能しました。コロナ禍においても、オイラの胃袋は健在です(笑)!

【12月】

 あ~あ、今年は本当に何もしないまま終わってしまいそう。
 長年の念願であった早稲田大学卒業も、卒業式の中止により尻切れとんぼの感は否めません。
 またプロレスにおいても、デビュー20周年を謳いながら、コロナと手術の影響でわずか数試合しか行うことができず、中途半端な形で終わってしまいました。

 ここまで悪いことが続くと、後は上昇の一途と来年に大きな期待が膨らみます。

 未だ衰えを知らないコロナウィルスばかりが気掛かりでなりませんが、来年は、来年こそは少しでも良い年にしましょうよ!
 そのための準備は、今年十分にやってきました。来年は必ずや“復活の年”にします! どうか引き続き温かいご声援をよろしくお願いいたします。

 少し早いですが、皆さんも良いお年をお迎えください!


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