レジェンド興行4大インタビュー~初代タイガーマスク、小林邦昭、藤波辰爾、長州力

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初代タイガーマスク特別インタビュー
初代タイガーマスクVS小林邦昭 “最後の一騎打ち”に向けて思いを語る!

 9月23日(金・祝)のレジェンド・ザ・プロレスリング「LEGEND THE PRO-WRESTLING」愛知・名古屋国際会議場イベントホール大会で、シングルマッチを行う初代タイガーマスクこと佐山サトルと、”元祖虎ハンター”小林邦昭。1980年代の新日本プロレスマットを熱く盛り上げた両者の一戦。3年8ヶ月ぶりの対戦となった5月7日の大阪大会では初代が小林にリングアウト負けし、約30年に及ぶ抗争の中で初黒星を喫していた。
「正真正銘最後の一騎打ち」になるであろう “初代タイガーマスクvs小林邦昭”に向けて、熱い思いを語った。また、9月30日(金)の札幌・札幌テイセンホール大会で、一騎打ちを行う、空牙(クーガー)戦についても語った。
若返る初代タイガーマスクの戦闘能力に期待!幹細胞作戦とは?

――小林選手が体重を98㎏から90㎏まで落としました。動きも軽快だとか。かつて、2代目タイガーマスク(故三沢光晴さん)をフィッシャーマンズ・スープレックス2発で粉砕したことがあるので、今度は初代タイガーにフィッシャーマンズ2発だと(前回の大阪大会では小林は初代タイガーマスクにフィッシャーマンズを出したが、カウント2で返され、すかさず場外プランチャ。リングアウト勝ちしている)
初代タイガー ええ、小林さん、かなり落としたんだよね。向こうが減量作戦なら、こっちは増量作戦で行こうかな(笑)。フィッシャーマンズで持ち上がらないようにするか(笑)。まあ、それは冗談ですけど、小林さんがそこまで意気込んでいるんで嬉しいですね。自分も力を出し切りたい。

――何か秘策がある?
初代タイガー 秘策? あります。なにしろ体調いいんですよ。幹細胞治療をやっていて細胞が若返ってますからね。

――え、幹細胞治療?
初代タイガー 幹細胞(ほかの細胞のもとになる細胞)を打ったんです。お腹の脂肪を50g採ると、その中に120万個の幹細胞がある。それを4週間培養して1億4千万個まで増やして、また体内に入れて、悪いところを治していく。すい臓、肝臓とか肺臓とかの臓器が病気であれば、そこに打てば治っていくんですよ。僕の場合は、腕に点滴を打ってもらって体全体の細胞を蘇らせているというか。だけど、注射器の針が太いんだよね。ちょっと痛い。だから大きな穴が開くわけです。しかし、これが大変なんです。その晩ね、その針を入れた傷口のところがムクムクと動き出したんです。朝見たら、その傷口がないんだよね。消えていた。凄いんですよ。

――え、それってテレビで見たこともありますが、指が切れたのに生えてきたという…。
初代タイガー それかもしれないですね。とにかく、それで肉体の悪いところを治したので、身体の調子が良いんです。

――ほ、本当ですか!
初代タイガー ホントです。

――それは凄いことですよ。
初代タイガー 体調がバッチリですね。寝て起きた時、疲れが残っていない。あとは試合に向けたトレーニングをするだけ。かなり若返っていると思いますので、楽しみなんですよ。それとともに、コンディショニングを整えていきます。

――幹細胞作戦ですね。
初代タイガー そうですね。あとはヒザに注射をして確めないと。
力を出しきって最後を締めくくる!

――やる気満々ですね。
初代タイガー とにかく小林さんとの試合は毎回楽しみ。とにかくファンの目に焼き付けたい。飛んでもいきたいし、動きも早くしていきたい。ファンに『見て良かった』と思ってもらえる試合をして、力を出し切って試合をして、最後の対決を締めくくりたいという思いが僕は強いですね。小林さんとなら、そういう思いが実現できると思うし、いまの自分の体調を考えるとウキウキしますね。

――話を変えます。小林選手とはメキシコ当時からも仲が良かった。あらためて、小林さんの印象。
初代タイガー とにかく人間がいい。若手の頃からライバルでしたよ。メキシコの時も一緒でしたがサンドバックを一緒に蹴って、よく練習したもんです。僕が先にメキシコを出てヨーロッパに渡った。その後、サミー・リーをやって人気を博して、タイガーマスクで成功を収めましたよね。

――ええ。どの会場も超満員。
初代タイガー 小林さんがメキシコから帰ってきたのはずっと後でしたが、帰ってきた時、面白くなる!と思いました。というのは、昔から仲は良かったけど若手時代からライバル関係でしたから、小林さんだって、ガンガン来るに違いない。じゃあ、もっともっと凄いライバル関係にしてやろう!っていう気になりますからね。

――ええ。小林さんとの試合はいつも凄かった。そういう気持ちがあったからでしょうか。
初代タイガー それと、小林さんはナチュラルな試合ができるからなんだと思います。プロレスはハラハラドキドキがすべてなんですよ。

――あくまで小林さんとの試合に限ってなんですが、マスク剥ぎもその中の一つだったんですね。
初代タイガー もちろん、そうです。やっぱり、対戦相手で決まりますよ。本物の技を出せるレスラーがやれば、違ってくるんです。

――対戦相手がバリバリのメキシカンだったら、まったく違うものになったと思います。
初代タイガー 要はナチュラルな試合が出来るかどうかだと思いますよ。
止まっている時の迫力があるかないかがカギ!

――ナチュラルな試合という意味は?
初代タイガー 自然の勝負。リアルな勝負シーンという感じかな。

――リアルな勝負…。そうですね、そうなんですよ。非常に合理的な試合。技も本物の技で見世物的なものじゃない。新日本プロレスというのは道場での厳しい稽古があって、その前提があってのプロレスですからね。
初代タイガー 道場での厳しい練習を通過しなければ一人前にはならないですよね。入団したばかりの頃なんか練習はついていくことができたけど、スパーリングでは勝てない。藤原さん、ほかの先輩とやっても勝てなかった。全然、歯が立たない。これが悔しくて、早く強くなりたいから、頑張るわけですよ。そういう経験をしていって本物の技を習得していく。そうでないと本物の技は、出せないですよ。

――そうですよね。実戦の技は道場の厳しいスパーリングで習得していくもんですからね。
なおかつタイガーマスクは自分でさまざまなものを取り入れて研究してきた。飛ぶのだって合理的でなければ飛ばなかった。小林選手のマスク剥ぎにしても、当時は、タイガーマスクの正体はいったい誰なんだろうと、誰もが知りたがったわけですからね。いきなりマスク剥ぎは必然性があったし、インパクトありました。ですから、お客さんが息を呑んだ。「あー、タイガーが危ない!」と思いながら、マスクの下の顔も見てみたいという…。これは心理的にハラハラしましたよ。考えてみると、当時の新日本プロレスというのはストロングなるがゆえに、グラウンドで相手の心理を読み取りながら試合をしていく。その上でお客さんの心も読み取りながら試合をしていった。
初代タイガー この間、猪木vsヒロ・マツダ戦の映像を見たんですよ。動きとしてはそれほど動いていないのに、どんどん引き込まれていくわけですよ。

――プロのレスリングという試合でしたね。大人のプロレスの醍醐味という感じでした。
初代タイガー 指1本のわずかな動きで緊迫した雰囲気になっていた。かつての新日本プロレスはこうだったんです。プロレスが本物だったからですよ。
小林さんとの試合も、そんなに動いていない時がいちばん迫力があるんです。つまり、本物のレスラーというのは止まっている時が大切で、小林さんはそれができるレスラーでしたよね。よく試合を見てもらえば分かるけど、僕の試合は、最近の一部の選手のように、飛んだり跳ねたりはしていないですよ。その辺のところ、よく勘違いされる人が多いんだけど、僕はそれほど飛んでいません。作られた技じゃなくて、飛ぶにしても本物のシビアな技です。だからお客さんに受けたんです。
極端な言い方をすれば止まっている時に一番迫力があるのが本物のプロレス。静かなグラウンドでもそう。止まってジッと見つめている時もそう。たとえば、相手がどうくるか。ここでこういう技を出すと、相手はこう出てくるだろうから、裏をかいてやろうとか、相手を読み取ろうとする。本物なんですね。だから、緊迫感が伝わってくる。

――ええ。そこに本物があるから手に汗握るものになる。タイガーマスクは飛ぶにしても要所要所でしたね。まさしくストロングスタイルでした。
初代タイガー これまで何度も言ってきたことですが、いまのような飛んだり跳ねたり学芸会のようなプロレスじゃなかった。よく、今の若手に言うんですけど、見世物のようなプロレスをやっちゃ駄目だぞと。プロレスにはナチュラルという原理原則があるんです。プリンシプルなんですよ。その原理原則を守ったものでないと緊迫感のある試合は生まれない。ファンの皆さんにはプロレスというのは、こういう試合のことを言うんだぞ、という激しい気持ちで乗り込みます。

――わかりました。小林さんとの対決にはプロレスの原理原則があるというわけですね。現在、小林さんは90㎏。タイガーは100㎏。
初代タイガー 気持ち的には最後を締めくくるという激しいものがあって、それを補充してくれるのが幹細胞作戦だと思っています。細胞が若返っているわけですから、これからもっとトレーニングすればウエイトはどんどん落ちていくと思います。
9・30札幌は若返った細胞で空牙と!

――さて、この小林戦のあとの話ですが、9月30日のレジェンド札幌大会(札幌テイセンホール)で空牙(クーガー)選手と一騎打ちをされますね。いまナチュラルな試合と言われましたが、以前、空牙選手のことをナチュラルでいいと評価されていました。
初代タイガー 以前、北海道で掣圏道をやっていた時、試合に出てくれたこともあるんですよ(*1999年、北海道旭川市で行なわれた掣圏道旗揚げ戦で初代タイガーとシングル対戦)。なかなかいい選手でね。ほかの興行(*今年4月の空牙15周年記念興行=和歌山県有田市、初代タイガーとは6人タッグマッチで対戦)でもタッグでやっていますよ。会見でも言いましたが、ダイナマイト・キッド、ブラック・タイガー、小林邦昭を足して3で割って平均をとったような選手。なかなかいい相手ですね。戦い甲斐がありますね。

――ほう。初代タイガーマスクのお墨付きの選手ということですね。
初代タイガー ナチュラルができる、いい選手が実はいっぱいいるんですが、この空牙選手もその一人です。いまの時代、ナチュラルな試合ができる選手はなかなかいないんです。最近のプロレスは飛んだり跳ねたりばかりのドッタンバッタンの試合が多い。言っておきますが、プロレスは学芸会じゃないですから。だけど、この空牙はナチュラルができる。その頃には幹細胞作戦が実を結んでいる、と想定すると、細胞が若返っている。ですから小林邦昭戦とはまた、違った意味での激しい試合になることを自分自身が期待しています。

小林邦昭特別インタビュー
■『レジェンド・ザ・プロレスリング』
9月23日(金祝)名古屋大会

初代タイガーマスクとの最終決戦向け、出撃体制万全の”虎ハンター” が思いを語る!~

 今年1月10日の東京・後楽園ホールから発進したレジェンド・ザ・プロレスリング。9月23日(金祝)のレジェンド・ザ・プロレスリング「LEGEND THE PRO-WRESTLING」愛知・名古屋国際会議場イベントホール大会で、5・7大阪大会に続いて初代タイガーマスクこと佐山サトルと、シングルマッチを行う”元祖虎ハンター”小林邦昭。1980年代の新日本プロレスマットを熱く盛り上げた両者の一戦。3年8ヶ月ぶりの対戦となった5月7日の大阪大会では初代タイガーが小林にリングアウト負けし、約30年に及ぶ抗争の中で初黒星を喫していた。
 最後の激突になるであろう”初代タイガーマスクvs小林邦昭”に向け、プロレス人生を賭けた最終決戦を目前に控えた”虎ハンター” 小林邦昭の真の声を聞こう!

初代タイガーマスクにジェラシーを感じた青春!
――初代タイガーマスクとの一騎打ち。ガン手術を3度も受けられたのに、また再び、戦いのリングに戻ってきました。よほど初代タイガーに対する思い入れがあるんですね。
小林 大腸、肝臓のガンはザックリ切った。肺は内視鏡で手術。本当に傷だらけの肉体だよ(笑)。しかし、やっぱり初代タイガーとだけは何度でも闘ってみたい。これが最後になる。

――すごい思い入れですね(笑)。
小林 だってメキシコ時代から同じ部屋で一緒にいた仲間だからね。お互い励ましあってやっていた。そして、そういう関係だったからライバルにもなれたんだと思うんだよね。初代タイガーの歴史も面白いよね。メキシコでは、僕と一緒によく打撃の練習をしていましたよ。サンドバックを買って蹴ったりね。メキシコはブルースリー・ブームで僕やタイガーの打撃は人気があってね。だけど、すぐにフロリダのカール・ゴッチのところに行った。そこでゴッチの特訓を受けてからイギリスに渡った。そこで伝説のサミー・リーとなった。いままで落ち込んでいたイギリスのマットを超満員にしたんだからね。本人も言ってましたよ。「日本ではタイガーマスク、タイガーマスクともてはやされていたけど、僕としてはサミー・リーにタイガーのマスクをかぶせただけだ」って。
 彼は僕よりも3年後輩なんだよ。だけどライバル心というのが凄かった。普通、自分より3年遅れて入ってきた選手にライバル心なんて沸かない。だいたい同期のレスラーがライバルになる。だけど、タイガーはどんどん先輩レスラーを追い越していくんです。何でもできましたからね。その時はできなくても、その日の夜に一人で懸命になってできるように努力していた。そして次の日にはできているんだよね。そういうのを間近で見ていたから、さすがに僕もジェラシーがあった。

――なるほど。
小林 だから、僕もレスラーとしてそういうタイガーにジェラシーを感じていた。しかし、そのジェラシーがあって、僕もエキサイトして闘ったから、いまだに町を歩いていると「小林さん、小林さん」と声をかけられる。タイガーというのは僕にとって恩人かもしれないね。だって無名だった小林邦昭を有名にしてくれたんだから。シングルなんて10試合もやっていないのにね。

――調べてみると、シングルは6試合ですね。
小林 わずか6試合なのに30年経った今でも「虎ハンター」ですからね。これは凄いですよ。あの頃のテレビ朝日「ワールドプロレスリング」のゴールデンタイムがどれだけ影響力があったのか、ということですよ。
抗がん剤を打った帰りに道場でバリバリ練習!

――ゴールデンタイムもそうですけど、それは最初の小林さんのインパクトが凄かったからですよ。
小林 ロングタイツ。なんでロングにしたかというとベニー・ユキーデに影響されたんだけど、実際に蹴りをやるとロングタイツをはいていたほうがキレイに見えるんですよね。でも、あれは試合に出る直前まで悩んだんですよ。通常のショートパンツでいくか、ロングタイツでいくか。これまでレスリングの歴史はショートのパンツなんですよ。そのロングでリングに上がった。そしたらお客さんが笑ってるんだよね。案の定、笑われたなと思ったけど、クソッと思ったよね。試合で見返してやると。しかし、笑われたというのはインパクトがあったということ。

――インパクトは初めてのタイガー戦でいきなりマスクを引き破った。
小林 あの頃の視聴率は11~12%くらい。だけど10・26大阪府立(1982年)で最初にタイガーとやった時は22・5%超あった。倍ですよ。数字も出たけど、試合が凄かった。というよりも、初代タイガーにはびっくりした。噂には聞いていたんですよ。動きが凄いんだと。実際、大阪でやった時、メキシコでもトリッキーな動きをしていたけど、それ以上に凄かったんで、一気にジェラシーが爆発しましたよ。だからエキサイトしてしまった(笑)。今度の9・23レジェンドを見に来てくれるファンはその頃の僕らを見てくれた世代が多いと思うんでね。
そうだなあ、たとえばNHKの紅白歌合戦が大晦日にやる。僕らはその歌合戦を見ていて、懐かしの歌手が出てきて歌うと「ああ、懐かしいなあ。いいなあ」と思うでしょ。その歌を歌っているのは代わりの歌手じゃなくて本人じゃないですか。本人が多少、歌声が劣っていたって、当時を思い浮かべて聞くわけだから、納得できるわけですよ。レジェンドというのはそれと同じじゃないかなと思うんですよね。だから、その頃のファンがいっぱいくると思うから、目いっぱい懐かしんで欲しいし、エキサイトして欲しいですね。

――そうですね。ま、当時を見ていた僕ら記者にしてみると、小林さんがエキサイトしている姿を見られるのは頼もしい。
小林 うん、そうだよね。僕も55歳。同じ年代のサラリーマンはそろそろ定年で引退する歳まわりですよ。だから、そうじゃないだろ、俺も55歳でバリバリやってるんだから、もっともっと頑張ってくれよ、というようなファイトを見せたいよね。

――そうですよね。手術も3度やっていて、これだけやれてるんだぞ!と。
小林 なんかね。手術をしてくれたドクターが癌学会で僕のことを取り上げてくれたそうですよ。癌が転移して手術を繰り返しながらこのように元気で試合をやっているというケースもあるんだと。

――プロレスラーというのは凄い。藤原さんだって癌の手術をやってリングで試合をやっているし。
小林 やっぱり練習じゃないですかね。ほら、この腕を見てくださいよ。この腕、3度手術をした男の腕に見えます? だいたい抗がん剤を病院で打った帰りに道場で練習して家に帰るわけだからね(笑)。

――抗がん剤を打ってから練習? 抗がん剤を打つと気持ちが悪くなって、練習どころじゃないでしょ。
小林 そうですよ(笑)。自分から積極的にやっていくという精神的なものかもしれないね。僕なんかドクターにとっちゃ、いいモデルケースですよ。
鋼鉄の肉体は作った!軽快にするため91㎏に落とした!

――しかし、今度の試合、初代タイガーのことですから、どんどん厳しく蹴ってきますよ。
小林 ええ。どっからでも蹴ってこいって感じですね。いくら重い蹴りであっても、それに耐えられる体を作ってますから。鋼鉄ですよ。(と、言いながら大胸筋に力を入れると大きな胸がぴくぴく盛り上がった)

――おお、凄いですね。
小林 腕だって現役選手と比べて遜色ないですよ。

――確かに。いまウエイトは何㎏ですか?
小林 91㎏。

――え、そんなにあるんですか。
小林 落として91㎏。98㎏だったんだよね。目標90㎏。

――ウエイトを落としたということは蹴りのスピードを上げたかったということですか?
小林 1㎏アップすると1kgのバーベルを背負って試合をするのと一緒なんですよ。8㎏体重を落としたから、ホント軽快ですよ。

――凄いですね。それだけでも小林さんの意気込みが伝わってきますね。
小林 お客さんに是非見て欲しいのは、お互いに50過ぎていますからね。50過ぎたって、こんな激しい試合ができるんだというのを見てもらいたいんですよね。もちろん、30年前の試合をやれって言ったって無理ですよ。あの頃は20代の動き、そしてパワーですからね。ですから、いまの50代の人たちに見てもらいたいですね。
なんとフィッシャーマン2発粉砕宣言!

――試合では何を狙っていきますか?
小林 鋼の肉体は作ってあるからね。フィッシャーマン2発連続でフィニッシュだね。

――この間の5・7大阪でフィッシャーマンやりましたよね。よくやれましたよね。
小林 やっぱり昔のお客さんが見に来てくれる。見せなきゃいけないですからね。日本武道館で2代目タイガーマスク(故三沢光晴さん)とやった時があった。その時、フィッシャーマン2発で勝った。だから今度の初代タイガーマスク戦はフィッシャーマン2発狙っていきますよ。
世の中の50代諸君!まだまだフケるには早いぞ!僕と初代タイガーマスクの最後の戦いを是非、会場に見に来てください。

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藤波辰爾 特別インタビュー
 レジェンド・ザ・プロレスリング 名古屋&北海道シリーズ(函館、札幌、厚岸郡浜中町)に向けて!”名勝負数え唄、再び!”ドラゴン藤波が、長州力との一騎打ち連戦への意気込みを語る!

 今年1月10日の東京・後楽園ホールから発進したレジェンド・ザ・プロレスリング。その柱となるのは昭和のプロレスファンを熱狂させた藤波辰爾vs長州力の名勝負数え唄の復活だ。1・10後楽園、続く5・7大阪では藤波が勝利。そして9月23日の名古屋国際会議場イベントホール、10月30日の札幌テイセンホールでも一騎打ちが決定した。
 長州の新日本・引退直前の97年8月10日に一騎打ちを行った名古屋、長州が維新軍団として新日本離脱前に最後の一騎打ちを行った札幌という思い出深い土地で、あの数え唄が時空を越えて実現するのである。
 デビュー40周年を迎え、vs長州2連勝と波に乗っている藤波辰爾に来たる名古屋決戦、札幌決戦について聞いてみた――。
<聞き手=プロレスライター/小佐野景浩>

――今年はデビュー40周年ということで、かつてのライバルのベイダーやミル・マスカラスと対戦したり、その一方ではSMASHという新しいリングに上がるなど、精力的に活動されていますね。
藤波 40年という節目で…集大成というよりも、逆に自分の殻を破るというかね。これまでは新日本一筋であったり、いろいろ背負うものがあったけど、この40周年を契機に自分が見ていないところをちょっと見てみようかなっていう。本来、自分はジックリと見極めるというか、腰が重いタイプなんだけど、SMASHに出たのは間違いではなかったなと。試合の構成はもちろん、お客さんを惹きつけるビジネスという点で見習うところはあるね。

――40周年を迎えて、まだまだ勉強することや新しい発見があると。
藤波 40周年にして自分の眠っていた部分、自分が追求しなかった部分の扉が開いたっていう感じだよね。

――さらに進化していこうという?
藤波 そうだね。敢えて動いている部分もある。それはプロレスの分野に限らず…今、米を作っているんですよ。女房(伽織夫人)が料理の仕事をしていることもあって、美味しいお米が作れないかと思ってね。南魚沼の雪解け水で作っているんです。田植えから草刈りから自分たちでやりながら。毎日は行けないから普段は現地の人たちにやってもらっているんだけど、必要な時には自分たちが行ってやってますよ。

――そういうチャレンジ精神がプロレスでもずっと第一線でやっている秘訣かもしれませんね。
藤波 やっぱり、いいエネルギーになる。「もう40年だから、そろそろ…」ってなっちゃったら、すべてがトーンダウンするじゃないですか。自分の場合は性格的にそうやって常に動いてなきゃ駄目なんだよね。

――そういう動いていく中で1月からレジェド・ザ・プロレスリングが発進しましたけど、藤波さんの中での位置付けというのは?
藤波 いろいろ動いている中の一環ですね。自分が持っているドラディションもそうだし、プロレス以外の講演の活動もそうだし、自分の中ではすべてが連動しているんですよ。今、凄く講演が多いんだよね。先日は全国のPTAの『子育て』っていうテーマの講演。やっぱり自分を呼ぶってことはプロレスの話もちょっとは聞きたいんだろうから、最初に掴みでプロレスの話をして、それで家庭の話から子育ての話に入って、最後の20~30分は女房を呼び込んで。やっぱり子育てとなると母親の話がよりリアルだからね。

――本当にいろいろ動いているんですね。
藤波 そうした自分の動きのひとつとして、レジェンドは長州、初代タイガーマスクと一緒に3人をテーマにして活動していく中で「何かを残していきたい」っていう。今回の東日本大震災の復興支援も個別には動いているんだけど、何とか3人でスケジュールを合わせて何か出来ることをやろうと。それもレジェンドの活動、大きなテーマとしてやりたいというのがありますよ。

――さて、話をリング上に移しますが、レジェンドの柱になっている藤波vs長州は、長州さんが「そろそろ自分も時間がないから、集大成として付き合ってください」と藤波さんにラブコールを送ったのがきっかけでしたね。
藤波 彼の場合、自分のテンションを維持してリングに立てる相手っていうのは僕になっちゃうんだろうね。我々の世代は段々、少なくなっているしね。多分、長州にしてみれば刺激が欲しいだろうし、リングに上がるからにはテーマを持って上がりたいっていうのがあるんだと思う。そこで1月10日の後楽園ホールでの十何年かぶり(13年5ヵ月ぶり)の対決になったわけだよね。

――振り返れば、おふたりの名勝負数え唄は82年10月8日の長州さんの「俺はお前の噛ませ犬じゃない!」という宣戦布告から始まりましたけど、今回も長州さんからのアピールだったわけですね。形や状況はまったく違いますが、受ける立場の気持ちというのは?
藤波 僕はもう一緒。彼とやるっていうのが決まったら、僕の場合は瞬間的にあの時代のvs長州になっちゃうんですよ。たとえばタッグを組んでいても「来週は一騎打ちですよ」って言われれば、すぐそこに戻れるんですよ。これは不思議(苦笑)。

――ただ1・10後楽園の時は、前年暮れに藤波さんが総胆管結石の手術をして…。
藤波 あの時はね、自分の中で凄く重いものを背負っていた。今まで経験したことがない術後の何も調整出来ないままでしょ。12月16日に手術して、19日に退院だからね。だって医者に内緒で上がったんだもん(苦笑)。でも久々の一騎打ち、チケットが売れていてファンの期待も感じたしね。それが我々の世代の責任感なのかな。自分自身もこの対決を棒に振りたくなかったしね。翌日の新聞とか、専門誌に載った写真を見たら、自分でも目を覆いたくなるような、納得のいかない体だったけど、あの時はもう気力だけ。気力だけでリングに上がって、気力だけで戦ったね。

――勝ちましたけど、最後の回転足折り固めはブリッジが出来ませんでしたよね。やはり本人的には悔いが残りましたか?
藤波 物凄く悔いが残った。あの時はね、僕がリングに上がってきただけで長州の「ありがとう」っていう気持ちを感じたよね。あとは本来の長州よりも「藤波はどこまで動けるのか」っていう手探りのような感触だったね。

――確かに長州さんにしたら「よくぞ、上がってきてくれた」という感謝の気持ちが強かったかもしれません。
藤波 やっぱり「動いてくれよ」とか「止まるなよ」とか、いろいろな想いがあったんじゃないかな。こっちは必死だったけどね。「足がもつれるんじゃないか」とか「どこかで息絶えちゃうんじゃないか」とかね(苦笑)。

――その後、5月7日の大阪で再戦しましたが、この時はコンディションが上がっていましたね。
藤波 自分の中で体が動いてきた時期だし、1月とは全然違ったね。

――こうして久々にシングルで肌を合わせた長州力は昔と変わっていませんか?
藤波 確かに僕も彼も同じで、あの当時のはち切れんばかりのアレはないけど、でも感触は一緒だね。やっぱり間というか、勘が素晴らしいね、長州は。それと今時の選手には、あのウワッと来るパワーはないね。今の選手は激しい動きはしますよ。でも、あの重圧感はないんだよね。あの一発一発の動きの重圧感っていうのは。その間、空気感、迫力っていうのは経験なのか、彼が持って生まれたものなのか…。

――長州さんが相手にかけるプレッシャーの強さは昔も今も変わりませんね。そして藤波vs長州からノンストップのハイスパート・レスリングが生まれましたよね。
藤波 時折、古いVHSのビデオを引っ張り出してあの頃の映像を見るけどさ、決して古くない、決して遅くない…もしかしたら今のプロレスよりも速いんじゃないかっていう攻防だよね。

――藤波さんは以前「長州を前にすると本能のままに体が反応する」と言ってましたが、今もそうですか?
藤波 まったく何も考えないで体が動く。やっぱりあの時と違って気持ちと体にズレが生じるのは仕方ないけどね。当時は、手に取るように長州の動きが見えたけど…。

――現実として20代、30代の時と同じ動きは無理なわけで、その中で闘争心が消えないというのが大事なんだと思います。
藤波 そうですね。だから僕にとっても40周年でまた長州とシングルで出来るっていうのは、ある意味で息をつないでくれたよね。これが顔見せ程度にリングに上がるんだったら、どうしても尻すぼみになっちゃうだろうけど、シングルでやるとなったら、コンディションを整えなきゃいけないし、気持ちのテンションも挙げなきゃいけないから大きいよね。

――そして今回、9月23日の名古屋、9月30日の札幌とシングル2戦が決まりました。
藤波 毎回、その時代と変わらない気持ちに戻れるから、自分の中では新鮮なの。今になるとね、自分が気弱になったわけじゃないんだけど、今更ながら「こんな凄い奴を相手にしてるんだな」って思うね(苦笑)。だって長州はアマチュア・レスリングでオリンピックに行った(ミュンヘン五輪)ほどのベースを持っているんだから。当時は僕も若かったから夢中でやっていたんだけど、今になって改めて凄さを感じますよ。だから僕だけじゃなくて、長州がリングを降りるまで、若い選手はなるべく対戦した方がいいと思う。僕自身も意思表示する人間とはなるべくシングルでやるようにしているからね。僕らが猪木さんに憧れて「戦いたい!」って思ったように、今の若い選手も同じ時代にリングに上がっているなら、長州や僕と肌を合わせてみるのもいいんじゃないかって客観的に思うよね。きっと全然違う、得るものがあると思う。だから新日本も長州を特別ゲストって感じじゃなくて、若い人間にシングルで当たれるチャンスを作ってあげたらいいと思うよ。

――1・10後楽園、5・7大阪は超満員で熱気ムンムンでした。
藤波 鳥肌が立ったね。これだけ月日が経っても、これだけのファンが集まってくれて「これは下手なことは出来ない!」っていう刺激をもらいましたよ。懐かしさで来てくれるファンがいる反面で、きっと昔の僕らの試合を知らない新しいファンも来てくれてると思うんだよね。だから今のプロレスのファンがどう分析しているのか、聞いてみたいね。

――今のところ藤波さんの2連勝ですが、勝ち負けにはこだわりますか?
藤波 「いや、もうこだわらないよ」とは言いたくないよね。こだわらないって言ったらウソになる。戦う限りは「負けたくない!」って言う気持ちがどこかにあるよ。長州の中でも必ず「退けを取りたくない!」っていうのがあるはずだし、それは今度の名古屋、札幌で出してくるでしょう。彼は「懐メロで藤波と長州が戦ってます」って見られるのを一番嫌がるからね。

――1月、5月が序曲としたら、この名古屋と札幌から新段階と言えそうですね。
藤波 2連敗している長州としたら、惰性でリングに上がっていると思われたら嫌だろうから、これまで以上に”長州力らしさ”を出してくるだろうね。そんな気がする。特に一発目の名古屋は気を引き締めていかないとね。

――藤波vs長州はノスタルジーではなく、今現在であると。
藤波 今現在だね。確かにあれだけやってきているから懐かしさで見るファンがいるのは当然なんだけど、僕らは懐かしさでリングに上がっているわけじゃないから。「今のプロレス界に一石を投じてやろう!」って気概があるわけだから。多分、懐かしさで見てくれているファンの人たちはそれなりの年齢になっているよね。そういう人たちに僕らの今現在のファイトを見てもらって、元気になってもらいたいっていうのも願いだよね。「いつまでリングに上がるの?」って聞かれたとしたら「まだまだ先を見てるんですよ!」っていうことだよね。

――2人の戦いは完結していないということですよね。
藤波 だからファンの人たちに見てほしいのは、僕らのこの業界での生きざまだよね。ふたりの歩んできた道は違うにしても、このリングに賭けるものは共通するものがあると思っているし。このふたりの戦いっていうのは、どちらかが「もう勘弁してよ。やめようよ」と言い出すまで続くんじゃない? 結局、僕と長州はライバルなんですよ。
我々2人の戦いを是非見に来てください!

長州 力 特別インタビュー
 レジェンド・ザ・プロレスリング 名古屋&北海道シリーズ(函館、札幌、厚岸郡浜中町)に向けて!”名勝負数え唄、再び!” 革命戦士・長州 力が、藤波辰爾との一騎打ち連戦への意気込みを語る!

 1月10日の後楽園ホール、5月7日の大阪府立体育会館で昭和のファン、そして今のファンを熱狂させたレジェンド・ザ・プロレスリングにおける藤波辰爾vs長州力の名勝負数え唄の復活。日本全国のファンのラブコールに応えるべく、今度は名古屋、北海道に上陸することが決定した。そして9月23日の名古屋国際会議場イベントホール、10月30日の札幌テイセンホールでも両雄の一騎打ちが行われる。これまで2連敗を喫している長州の藤波に対する想い、レジェンド・ザ・プロレスリングに対する想いとは…。
<聞き手=プロレスライター/小佐野景浩>

――レジェンド・ザ・プロレスリング、後楽園ホール、大阪府立体育館(第二)、超満員の盛況。立ち上げのコンセプトは”プロレスの復興”でしたよね。
長州 みんな、この業界の中で遠回りしたよ。いろんな部分で遠回りした。それがどこかでバッタリ(この3人が)会ったんだろうな。会った時は時間も経ってるし(微笑)。だから「最後ぐらい同じ方向でやれるんだったら…」っていう話で、レジェンド・ザ・プロレスリングが始まった。この世界に近道があるのかどうかわからないけど、みんな遠回りしたんじゃないの?
“プロレスの復興”?そんな重いもんじゃないよ。せっかく3人が同時に会ったんだから「何かやれるんじゃないか」っていう。そこからですよ。そうしたら人生の中で経験するかしないかっていうような震災もあったし。立ち上げてスタートしたのは1月なんだけど、ビックリしたよね。ホント、開催地候補の中には東北も入っていたんだけど…来年、九州が終わったら入ろうと思っています。

――このレジェンド・ザ・プロレスリングは、プロレス復興であると同時に震災の前からボランティアをやっていくというのもテーマだったと思います。
長州 ボランティアっていうのは俺たちにとって重い言葉だよね。まあ、出来ることがあるんだったら、それはもう進んでいこうと。みんな個々でやっている最中です。俺たち3人(長州、藤波、初代タイガーマスク)に、貢献が出来ることもあるんじゃないかなって。だから素直に出来るよね。

――さて、レジェンド・ザ・プロレスリングは、1月10日の後楽園、5月7日の大阪を経て、9月には名古屋、北海道を回ります。
長州 新春からやって、今年は早く感じているよね。日が経つのが凄く早く感じていて、頭の中では九州ぐらいまであったんだけど、時間かけてゆっくりゆっくりやっていこうっていうのが、今、微妙にいい具合になっているのかな。今は身軽だよ。藤波さんも単体でドラディションやったり、佐山(初代タイガーマスク)も、リアルジャパンやっているから、ゆっくり時間をかけて決まったものを打ち出していける。それが俺たちのメリットかもしれないね。だから、そんなに重いものが出るわけでもないし。これが、今から20~30年前だったら爆弾ばっかり考えていたけどさ。今はそういうものも要らないし、個々の価値観と考え方だけで。

――肩に力が入らない自然体というか…。
長州 ここ2~3年いろんな団体を見てるけど、しんどいよね。各団体、動かしてるものがデカイからさ。レジェンドはそんなにものを抱えて動いているわけではないから非常に良い感じでやってるよ、ウン。藤波さんや佐山の価値観や考え方で動かしているだけだから。大きく団体で動いていくんだったら、しんどいと思うけどね。そこのところで今はまだプロレス業界は大変な時期だよね。でも、この業界は根強いからね、潰れることはないんだよ。好きな奴がやっていれば潰れることはない。これは間違いない。

――レジェンド・ザ・プロレスリングの場合、1月も5月も超満員でしたけど、長州さんとしてはどう分析していますか?
長州 それはね「最初はイケる!」っていう確信はあるよ、最初はね。まあ、最初言ったように時間があるから、この1年は種を撒いているのかなって。来年は試合数増えますよ。この状態で試合数が増えるから、まだ各団体よりも楽だよね。

――レジェンドには懐かしさで来るファンもいますけど、若いファンにとっては新しいものだと思います。
長州 そんなにキバって、どうのこうのっていうものを打ち出すつもりはないですよ、ホントに。でも間違いなく時間をかけて「石橋叩いてでも…」っていうのが強味…。っていうもんでもないんだけど、やっていけるっていう。荷が軽いっていう。それと3人の「やってみよう!」っていう気持ちに強いものがあるから。ある部分では楽しんでいるかもしれないね。リングの中は別だけど、ある部分で楽しんでいる。何か…今のこの時代だったら、間違いなく俺たちしかできないんだろうって。そういうものを10年後、20年後には今の選手がやっていくかもしれないね。

――レジェンドの前段階として、ドラディションやリキプロ、リアルジャパンで組んでいた頃に長州さんの方から藤波さんに「集大成として一騎打ちを付き合ってください」というラブコールがありましたが…。
長州 もう集大成は通り越してるよ、時間は通り越してる、ウン。

――でも長州さんの口から「一騎打ち」という言葉がポンと飛び出したというのは?
長州 あのままで行ってたら、多分、何の変化もないだろうし、ある意味では俺自身は疲れちゃう。「しんどいな」っていうのはあったよね。何て言うのかな、インパクト、刺激がないっていう。やっぱり何十年経ってもリングに上がる時の気持ちっていうのは、俺は変わらないからね。どういう状態だろうが、リングに上がる前の気持ちっていうのは、何十年前も今も変わらないですよ。それで「リングの中は怖いな!」って感じる時もあるし。そういうものがあるから「これはもうヤバイな!」と思うことがあったら黙ってリングを降りるよ。もう、1回引退してんだから、ああだこうだやるつもりはまったくない。だから、やれるだけのことはやってリングに上がるつもりではいるよね。藤波さんのところだろうが、佐山のところだろうが、上がる時の感覚は昔とまったく変わらないですよ。

――そういう意味で言ったら、藤波さんとは組むよりも戦った方が…。
長州 そうですね。やっぱり、ぶつかった時の刺激っていうのが自分を安心させるんだよね。どういう動きになろうが、どういう状況になろうが、自分を安心させることが出来る。多分、彼もそうじゃないかと思いますよ。

――刺激であり安心、ですか?
長州 俺、一番「クソーッ!」と思う時は、そのリングの上でのテンションと自分自身の動きがギクシャクした時だよね。気持ちと体のギャップって言うのかな。流れが作れなかった時は凄く後悔して腹立たしいよね。作れないんじゃなくて諦めたり…。これは自分にしかわからないじゃん。「なぜ、ここで止まったんだろう?」「なぜ、ここで行っちゃったんだろう?」とか。そういうのがあるよね。それはもう現実問題としてしょうがないことであって。30年前と同じだったら凄いよ(苦笑)。ただ、そういう姿勢だけはもう、昔と変わらないですよ。

――藤波さんは1・10後楽園の試合については、直前に手術もあってコンディションを作れずに悔いが残ったと言ってましたね。
長州 多分それはおんなじ、おんなじですよ。それは勝ち負け関係なく。俺は「彼は後悔してるんだろうな」、藤波さんも俺に対して「後悔してるな」って…感じ方は一緒ですよ。

――実際問題、久々に一騎打ちをした感触はいかがでしたか? やっぱり「ああ、藤波辰爾だ!」と?
長州 それは前からタッグでやっていた時から感じてましたよ。組み合う時の呼吸とか、動いた時の間っていうのが、凄く安心感がある。ただ、その間の中で考えていることと、自分の動きのギャップにジレンマはあるよね。「この間でなぜ行けなかった」「この間は違った」とかはあるよ。まあ、基本的に辛いのは…感情が出てこないよね。

――昔のようなガーッというものが?
長州 出し切れない。何でだろうな? まあ、それもやっぱり…丸くなったんだろ(苦笑)。

――昔とは状況も違いますしね。
長州 今度、まず名古屋があるでしょ?「名古屋の前に何試合かあれば楽だなあ」とは思うよね。何試合かやって、それ(一騎打ち)を迎えたいっていうのはあるよね。そこんとこはちょっと、しんどいというか。

――藤波さんは「長州とやると、体が本能のままに反応する」と言ってます。
長州 それはあるね。呼吸とか、間とか、そういう部分では、彼は俺に合わせているんだろうね。スイングとは違うんだよ。スイングしたらおかしくなっちゃうよ。でもまあ、シングルは日本全国をある程度、回ったら打ち止めって感じだよね。今はずっとシングルやっていきたいですよね。

――現在、長州さんは2連敗ですが…。
長州 関係ない。関係ないって言うのはおかしいけど…今度は先に行きたいよね。よくファンが言ってるんだけど、俺の方が勝率いいと思ってるんだよね(実際は藤波が11勝5敗2分4無効試合でリード)。でも、物凄い差があるんだよ(苦笑)。今から来年までやったって追いつかないぐらいの差があるんだけど。だから大変なのは彼の方だよ。

――かつての名称数え唄は長州さんのインパクトが強かったですからね。
長州 だから彼の方が大変なんですよ。ああだこうだって攻めてる方が勢いよく見える。それを受け止めるのは大変ですよ。俺だったら無理だよ(苦笑)。

――今回は名古屋、札幌と2回のシングルがあるんで、今年に入ってからの成績を2勝2敗のタイに持ち込めますよね。
長州 タイにしたいね。やっぱりポイントになるのは感情ですよ。感情ばかりが空回りしても駄目だろうし、感情なくして試合だけがスイングしても「えっ、こんなもんだったの?」ってなっちゃうだろうし。まあ、難しいところですよ、ウン。

――1週間でシングル2回というのは…。
長州 でも、その方がいい。時間が空くよりいい。いくらトレーニングしてもリングの中とはまったく違うからね。おんなじ人間とずっと戦い続けるのはしんどいんだけどね。

――あの名勝負数え唄時代は、試合ごとに戦法を変えようとか思っていたんですか?
長州 いや、そういうのは出来なかったね。年間260試合やっていたんだから、何をどうやって変えるんだよ? だから、その場その場の感覚で。ホント、途中から逃げたくなったもんな(苦笑)。だから、どこで何をやったか覚えてないよ。それはマスコミが調べてくれればいいから(苦笑)。

――そして甦った名勝負数え唄は過去への郷愁ではなく現在進行形ですか?
長州 それは当然だよ。それは当然。もう、過去を語るのはリングを降りた時だよ。別にしぶとく粘っているわけでもねぇし。もう、こういう考え方になっちゃっているんだから。今、藤波さんとの闘いで見せたいものっていうのはさ…たくさんありそうで、まったくないのかなっていう、ウン。まずは間違いなく言えるのは、リングの中でも降りてもライバルだよね。人生の中に良くても悪くても意識する人間がいるのか、いないのか。いない人たちっていうのはどういう人生を歩んでいるのかって思うよね。俺にはたまたまこういういう凄いライバルが目の前にいて、常に…お互いに遠回りしていても藤波辰爾っていうものを意識してるっていう。それは間違いないことだね。それは俗に言うライバルなんだろうね。どっかで「負けたくない!」っていう感情は間違いなくある。いろんな意味において「負けたくない!」って、ウン。

――そういうのがリングに滲み出てくるんでしょうかね?
長州 やってる俺にもわかんないよ。でもこうやって、まだやってるわけだから、あと何試合出来るかわからないけど…。

――藤波さんは「どっちかが勘弁してくれ言うまでやる」と言ってました。
長州 言わないよ、ウン(苦笑)。ホントの頑固っていうのは…藤波辰爾の方が頑固だよ。ホントの頑固さを持ってる。やっぱプロレスの中では、彼は天才だよ。プロレスをよく理解している。まあ、彼の理解力と、俺のプロレスに対する理解力は、多分、まだ平行線だと思うよ(苦笑)。それはどこかで一致するのかもしれないけど、一致した時はつまんないよ。つまんない。このまま平行で走ってる方がいい。彼のプロレス観と俺のプロレス観は違うと思う。それを合わせたら、こういうシングルもないだろうし、ウン。そういうところだよね。
<聞き手=プロレスライター/小佐野景浩>

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