[ファイトクラブ]アントニオ猪木の孫・猪木・アントニオ・尚登がリングで始動!祖父木への熱いリスペクト

[週刊ファイト10月15日]期間 [ファイトクラブ]公開中

▼アントニオ猪木の孫・猪木・アントニオ・尚登がリングで始動!祖父木への熱いリスペクト
 (C)闘道館 富井清一編
・アントニオ猪木が亡くなって4年 その節目に「猪木・アントニオ・尚登」がリングへ
・A猪木の名前を受け継ぐ覚悟 それでも「自分は自分」という言葉が重要になる
・祖父A猪木が残した「強さ」の物語 尚登が受け継ぐのは技だけではない
・アントニオ猪木の実弟・啓介氏もエール 「闘魂遺伝子」が次の世代へ


週刊ファイトの猪木情報はファイトクラブ
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アントニオ猪木が亡くなって4年 その節目に「猪木・アントニオ・尚登」がリングへ

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 2022年10月1日にアントニオ猪木が亡くなってから4年が経過した2026年、プロレス界にあらためて猪木の名を強く意識させる存在が現れた。それが猪木の孫である猪木・アントニオ・尚登である。まだ17歳から18歳前後という若さながら、すでにプロレスラーとしてのトレーニングを積み、アマチュアレスリング、ムエタイ、柔術、さらにはプロレスの実戦経験まで重ねており、今夏には「Kumo」というマスクマンとしてルチャリブレのリングに登場、その姿がSNSを通じて広がったことで、アントニオ猪木のファンだけではなく世界中のプロレスファンから大きな注目を集める存在になっている。

 尚登という名前が大きな意味を持つのは、単に有名レスラーの孫だからではない。本名は猪木・アントニオ・尚登であり、祖父と同じ「アントニオ」の名前を持つ青年が、実際にプロレスラーとしてリングへ歩み出したからである。アントニオ猪木が残したものは、単なる過去の名勝負やタイトル歴だけではなく、「強さとは何か」「プロレスとは何か」を生涯にわたって追い続けた姿勢そのものであり、その血を引く尚登が、いま自分自身の身体を使ってプロレスの世界へ入ろうとしていることは、猪木を知るファンにとって極めて大きな出来事である。

 しかも尚登は、祖父の名前だけを頼りにリングへ上がろうとしているわけではない。中学時代からレスリング部で競技経験を積み、2022年11月には113ポンド級のロス地区大会で優勝し、その後はムエタイや柔術にも取り組み、プロレスラーとして必要になる打撃、組み技、テイクダウン、関節技などを幅広く身につけてきた。さらにカリフォルニアの猪木道場でトレーニングを重ね、柴田勝頼からもプロレスの技術を学んできたことが伝えられており、リングネームやコスチューム以前の段階から、すでに格闘技を土台にした身体作りを続けていたのである。

 尚登がプロレスラーへの道を歩み始めたことは、2026年になって突然生まれた話ではない。2023年3月、アントニオ猪木のお別れの会で尚登は、将来について「おじいちゃんのようなプロレスラーになりたい」という思いを明かしていたとされる。つまり猪木の死をきっかけに急にプロレスを始めたのではなく、祖父が生前から残していた存在感を身近に感じながら、自分自身もリングに立つことを考えていたのである。

 アントニオ猪木という名前は、プロレスファンにとってあまりにも大きい。1960年9月30日にプロレスデビューを果たし、ジャイアント馬場とのBI砲で日本プロレス界の頂点に立ち、1972年には新日本プロレスを旗揚げし、1976年にはモハメド・アリとの異種格闘技戦を実現させ、1980年代にはIWGP構想を打ち出し、自身もIWGPヘビー級王座を獲得するなど、選手としても団体経営者としてもプロレス史を動かし続けた人物である。得意技としてコブラツイスト、卍固め、延髄斬りが挙げられ、そのリング上での存在感と「燃える闘魂」という強烈なキャラクターは、引退後も長くプロレス界に影響を与え続けている。

 だからこそ、尚登が「おじいちゃんのようなプロレスラーになりたい」と語った言葉は、単なる少年の憧れとして終わる可能性もあった。しかし実際には、そこからレスリング、ムエタイ、柔術、プロレスのトレーニングを積み重ね、2024年7月20日にはカリフォルニアの猪木道場で行われた試合に出場している。公開されている記録では、Casanovaを相手に勝利を収めており、すでに実戦のリングを経験していたことが確認できる。

 尚登のプロレス人生を語るうえで重要なのが、柴田勝頼から学んだストロングスタイルである。アントニオ猪木が追求したプロレスには、相手を倒すための技術や強さをリング上で表現するという明確な思想があり、その系譜を現代につなぐ存在の一人が柴田勝頼である。その柴田から指導を受けた尚登が、初期段階からパンチやタックルを中心とした激しい攻防を経験していたことには大きな意味がある。

 2024年7月20日にカリフォルニアで行われた試合では、尚登は素顔で赤い闘魂タオルを首に巻き、オープンフィンガーグローブを装着して登場したとされる。派手なマスクやリングネームで自分を演出するよりも、まずは格闘技そのものを前面に出したスタイルであり、パンチとタックルを繰り返しながら相手を崩し、最後は三角絞めでギブアップを奪うというフィニッシュを見せた。

 ここには、祖父アントニオ猪木の名前を受け継ぐ以前に、一人の格闘家として自分の身体を鍛えようとする尚登の姿勢が表れている。アントニオ猪木はプロレスラーでありながら、柔道、空手、ボクシングなど異なる格闘技との接点を積極的に作り、プロレスという競技の可能性を広げてきた。その孫が若い段階からレスリングと柔術、ムエタイ、プロレスを横断して学んでいることは、結果的に猪木の歩んだ道と重なる部分も多いのである。

A猪木の名前を受け継ぐ覚悟 それでも「自分は自分」という言葉が重要になる

 そして2026年、尚登は新たな姿を見せることになる。それが「Kumo」というマスクマンである。ここで興味深いのは、ストロングスタイルや格闘技を学んできた尚登が、ルチャリブレというメキシコのプロレス文化へ進んだことである。

 尚登はメキシコシティ生まれのメキシコ人であり、母親の寛子はアントニオ猪木の娘、そして父親のデュランゴはメキシコ系のプロレスラーである。デュランゴは自身も長いキャリアを持ち、新日本プロレスにも参戦経験があり、尚登にとっては父親からルチャリブレの技術を学ぶことができる環境が身近に存在していた。つまり尚登の中には、アントニオ猪木からつながる日本のストロングスタイルと、父親のデュランゴから受け継ぐメキシコのルチャリブレという2つのプロレス文化が存在しているのである。

 公開されているプロフィールでも、尚登は2026年からKumoというリングネームを使用していることが確認され、ルチャリブレの技術をデュランゴ・キッドらから学んでいるとされている。

 このスタイル変更は、単純に祖父のスタイルから離れたという話ではない。むしろ「猪木の孫だから猪木と同じことをしなければならない」という固定観念から距離を置き、自分自身のプロレスを作るための重要な一歩と見ることができる。

 アントニオ猪木のプロレスをそのまま再現することは、現代の尚登にとって決して簡単なことではない。卍固め、延髄斬り、コブラツイスト、強烈な張り手、蹴り、グラウンドの攻防、そして独特の間合いまで含めて猪木を再現しようとすれば、どれだけ技術を身につけても「猪木のコピー」と比較され続けることになるからである。

 その意味で、格闘技を土台にしながらルチャリブレの動きを取り入れ、Kumoという別人格からリングキャリアをスタートさせたことには大きな意味がある。猪木の孫だからこそ注目される一方で、猪木とは違う動き、違う身体能力、違う表現を身につければ、そこから初めて「猪木・アントニオ・尚登」という一人のレスラーが生まれるのである。

 尚登の成長を間近で見てきた人物の一人がウルティモ・ドラゴンである。デュランゴと長年の友人関係にあり、尚登を幼い頃から知っているウルティモは、実際にリング上で尚登と組み、父親であるデュランゴと対戦するという特別な6人タッグも経験している。

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