[ファイトクラブ]プロレス界の混迷を招いた日本プロレス~マット界をダメにした奴ら

[週刊ファイト9月8日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼プロレス界の混迷を招いた日本プロレス~マット界をダメにした奴ら
 by 安威川敏樹
・力道山が日本のプロレス界統一に成功、日本プロレスの独壇場に
・力道山死去、日本プロレスは存続するも、体制が大きく変わる
・力道山の死により、日本のプロレス界は複数団体時代に逆戻り
・2局放送により日本プロレスは馬場派と猪木派に分裂
・プロ・スポーツ経営のセンスがなかった日本プロレス


『マット界をダメにした奴ら』というのは逆説的な意味で、実際には『マット界に貢献した奴ら』ばかりである。つまり、マット界にとって『どーでもいい奴ら』は、このコラムには登場しない。
 そんなマット界の功労者に、敢えて負の面から見ていこうというのが、この企画の趣旨である。マット界にとってかけがえのない人達のマイナス面を見ることで、反省も生まれるだろうし、思わぬプラス面も見つかって、今後のマット界の繁栄に繋がるだろう。記事の内容に対し、読者の皆様からは異論も出ると思われるが、そこはご容赦いただきたい。(文中敬称略)

 今回は幻の老舗団体・日本プロレスを取り上げる。もう日本プロレスのことを知る人も少なくなったが、『マット界をダメにした奴ら』として、どうしても外せないプロレス団体だ。

▼角界の悪習を持ち込んだ力道山~マット界をダメにした奴ら

[ファイトクラブ]角界の悪習を持ち込んだ力道山~マット界をダメにした奴ら

力道山が日本のプロレス界統一に成功、日本プロレスの独壇場に

 現存する日本最古のプロレス団体といえば新日本プロレス。最古でありながら『新』が付くのは、日本最古の団体が既に消滅してしまったからだ。
 事実上の、日本最古のプロレス団体は、言うまでも日本プロレスである。当時の日本には他にプロレス団体はなかったのだから『日本プロレス』というシンプルな団体名になった。

 太平洋戦争終結から僅か8年後の1953年、力道山が日本プロレスを創設。翌1954年2月19日、東京・蔵前国技館で行われた力道山&木村政彦vs.シャープ兄弟(ベン&マイク)のタッグ・マッチで、日本のプロレスが本格的に始まったと言っても過言ではない。
 この試合は、日本で放送が始まったばかりのテレビ中継で、日本テレビとNHKの電波に乗り、ほとんどの日本人が初めて目の当たりにするプロレスに誰もが熱狂した。当時はまだテレビが家庭に普及していなかったとはいえ、街頭テレビに群衆が集まり、社会現象となったのである。何しろ、まだNHKと日本テレビという2つのチャンネルしかなかった時代、この時間のテレビはプロレスしか放送してなかったのだ。

 だが、この頃の日本のプロレス界は黎明期。まだ団体としての秩序は確立されていなかった。
 柔道史上最強の男と言われ『木村の前に木村なく、木村の後に木村なし』とまで謳われた木村政彦が、力道山とのタッグではいつも負け役をやらされることに不満を持っていたのである。
 力道山と組んでシャープ兄弟と闘った僅か3ヵ月後、木村は熊本で国際プロレス団を結成した(後の国際プロレスとは無関係)。現在の感覚で言えばあまりにも早すぎる団体結成だ。

 そして同年12月22日、蔵前国技館で木村は力道山と日本選手権を行う。有名な喧嘩マッチとなって木村がKO負けとなるが、その点については今回は触れない。
 面白いのは、団体を立ち上げたレスラーが、フリー参戦だったとはいえ元の団体のリングに上がってファイトしたという点だ。力道山は日本プロレスの、木村政彦は国際プロレス団のエースとして。こんなこと、現在では考えられないだろう。

 木村政彦との日本選手権を制して、初代日本一となった力道山は、豊臣秀吉のように天下統一を目指して次々と日本平定を行う。国際プロレス団の次のターゲットは、大阪の全日本プロレス協会(現在の全日本プロレスとは無関係)だ。
 力道山は、全日本プロレス協会のエースだった山口利夫を日本選手権で破り、ヘビー級はほぼ制覇した。山口が敗れたことにより、全日本プロレス協会は大打撃を受け、プロレス興行としては立ち行かなくなり、静岡へ落ち延びて山口道場として再出発する。

 しかし、力道山は手を緩めず、他団体の徹底壊滅を目指した。そして、ウェイト別日本選手権を開催する。主催は日本プロレスリング連盟で、参加した団体は日本プロレス協会、アジア・プロレス協会、東亜プロレス、山口道場。つまり、当時は日本にもプロレス界を統一する連盟組織があったわけだ。なお、アジア・プロレス協会というのは国際プロレス団の後身である。
 だが、主催が日本プロレスリング連盟と言っても、企画したのは力道山。日本プロレス協会のための選手権だったことは明白だ。

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 選手権では、全階級の上位を日本プロレス勢が独占。この結果、他団体はもはや興行を停止せざるを得なくなった。
 力道山の日本プロレスは、遂にプロレス界の制圧に成功したのである。

力道山死去、日本プロレスは存続するも、体制が大きく変わる

 もはや一党独裁体制となった日本プロレス。そして、ウェイト別選手権を主催していた日本プロレスリング連盟もいつの間にか消滅する。もう複数の団体を統括する組織は不要となったのだ。
 しかし、思わぬ事件が日本プロレスを襲った。力道山が暴力団員に刺され、その傷が元で1963年12月15日に死去。日本プロレスは窮地に立たされる。

 何しろ、力道山が絶対的エースだったのだ。客足が遠のくことが予想され、日本テレビの中継も打ち切られると思われた。テレビ中継がなくなれば、もう日本プロレスもおしまいだ。
 ところが、救世主が現れる。いや、現れたわけではなく元々存在していたのだが、プロレス番組の一社提供スポンサーだった三菱電機が、そのまま番組スポンサーを続けたのだ。これでテレビ放映打ち切りの心配はなくなった。
 三菱の社内では、スポンサー撤退の論議すらされなかったという。社長と副社長が力道山に入れ込んでいたうえ、当時は家庭内に家電が急速に普及し始めていたので、プロレス中継による宣伝効果は抜群だったのだ。そして、この三菱が後に日本プロレスの命運を握ることになる。

 力道山亡き後の日本プロレスは、力道山夫人の百田(現姓:田中)敬子が社長に就任。一口に日本プロレスと言っても実は二本立てで、日本プロレス協会と日本プロレス興行に分かれていた。百田敬子が社長を務めたのは、日本プロレス興行である。日本プロレス協会は日本プロレス・コミッショナーの傘下組織、日本プロレス興行はその名の通り興行会社だったのだ。
 しかし、日本プロレスには大きな悩みがあった。力道山が残した莫大な負債である。プロレス興行のみならず、多角経営していた力道山には多額の借金があったのだ。

 そこで豊登道春、芳の里淳三、吉村道明、遠藤幸吉の幹部がトロイカ体制を敷き、新たな日本プロレス興行を立ち上げ、百田敬子が社長となった日本プロレス興行を切り捨てる。百田家は事実上、日本プロレスから干されてしまったのだ。百田敬子に残ったのは、負の遺産のみである。
 さらに、日本プロレスにはまだ問題があった。日本プロレス協会の会長は右翼の大物である児玉誉士夫、副会長が山口組三代目組長の田岡一雄および東声会会長の町井久之という、泣く子も黙る超強力な反社トリオだったのだ。

 安倍晋三・元首相の銃殺事件で明るみに出たように、自由民主党は旧・統一教会(世界平和統一家庭連合)というカルト宗教団体との関係だけではなく、右翼や暴力団のような反社会的勢力とも深い繫がりがあった。それは、政界と太いパイプを持っていた力道山も同じで、日本のプロレス界そのものが黒い交友をしていたのである。
 いわば、戦後の日本を動かしていたのは反社だったとも言えるのだが、力道山の死と時を同じくして、警察が反暴力団キャンペーンを張ったのだ。政府や警察は反社を散々利用しながら、大企業が力を付けるとそちらへアッサリ鞍替えしたのである。

 当然、反社が幅を利かせる日本プロレスが槍玉に挙がった。そこで日本プロレス興行のトロイカ連中は日本プロレス協会から反社トリオを更迭して、自民党の平井義一を会長としたのである。

力道山の死により、日本のプロレス界は複数団体時代に逆戻り

 力道山の死に乗じ、体よく百田家と反社を追い出した日本プロレスのトロイカ連中。しかし、ワンマン社長がいなくなると、求心力を失いタガが外れるのは世の常だ。
 新しい日本プロレス興行の社長に就任した豊登はギャンブル狂で、会社のカネをバクチに注ぎ込む。エースとしてのスター性もない豊登は、もはやお荷物状態となった。さらに、心配された力道山亡き後のスターも、アメリカ帰りのジャイアント馬場が育って大人気を博している。

 トロイカ連中は豊登に見切りをつけて追放、芳の里が社長の座に就いたが、豊登がプロレス界から去るつもりはサラサラなかった。そこで、豊登は若手のホープだったアントニオ猪木を誘い、新団体の東京プロレスを設立する。1966年のことだった。
 同じ年、レスリング出身の吉原功も日本プロレスの相撲部屋気質経営に辟易しており、日プロを退社、国際プロレスを創設する。

 力道山がいなくなったことにより、日本のプロレス界は複数団体時代に逆戻りしたのだった。そしてそれは、21世紀になり55年以上経った現在でも続いている。
 問題はその後だ。東プロと国プロは、コミッショナーに対し加盟団体としての認可を申請した。しかし、コミッショナーはアッサリ却下している。
 コミッショナーの見解は、健全なプロレス団体なら加盟を認める、というものだった。つまり、認可しなかったということは、東プロも国プロも『健全な団体』ではなかったというわけだ。

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