ラグビー日本代表に故・三沢光晴の姿を見た!

 現在、日本列島はラグビー・ワールドカップで沸騰している。その原因として、日本代表の躍進が大きいだろう。
 今、この原稿を書いている時点で日本代表はロシアとアイルランドに勝って2勝0敗。特に、優勝候補のアイルランドを撃破したのは、日本のみならず世界を驚愕させた。このまま行くと予選プールを突破して、初の決勝トーナメント進出もありそうだ。今まで、こんな日本代表を想像したことがあるだろうか?

 今回の、日本代表の活躍ぶりに、筆者はある一人の男を思い出している。故・三沢光晴だ。体格的に決して恵まれなかった三沢は、そのハンディを乗り越えてエースの座を掴み取ったのである。それが、ラグビー日本代表と似ているのだ。

▼阿修羅・原がラガーマンとして光り輝いていた頃

阿修羅・原がラガーマンとして光り輝いていた頃

▼快足かつ巨漢のロックからプロレスラーへの転身! グレート草津

快足かつ巨漢のロックからプロレスラーへの転身! グレート草津

▼明治大学最後の黄金世代、重戦車FWの象徴だったKENSO

明治大学最後の黄金世代、重戦車FWの象徴だったKENSO

▼バッドラック・ファレがシピ・タウを踊る!? パワーのルーツを探る

バッドラック・ファレがシピ・タウを踊る!? パワーのルーツを探る


※月額999円ファイトクラブで読む(クレジットカード、銀行振込対応)
▼[ファイトクラブ]記者座談会:誰よりもレスラーの引退後を考えたジャイアント馬場・三沢光晴両社長

[ファイトクラブ]記者座談会:誰よりもレスラーの引退後を考えたジャイアント馬場・三沢光晴両社長

4年前、南アフリカ戦の勝利は、三沢にとってジャンボ戦の勝利

 4年前(2015年)の前回、イングランドで行われたワールドカップで、日本代表は南アフリカ(スプリングボクス)に34-32で逆転勝ちして、世界を驚かせた。ラグビー界のみならず、スポーツ界史上最大のジャイアント・キリングだろう。
 それまでのスプリングボクスは優勝2回、この大会でも優勝候補だった。一方の日本代表は、過去のワールドカップで1勝21敗2分。たとえるなら、高校野球で大阪桐蔭が大阪大会の一回戦で、無名の公立高校と対戦するようなものだ。ラグビーのことを少しでも知っていれば、ジャパンが勝つなどと予想していた人は1人もいなかったに違いない。ただでさえ、ラグビーは番狂わせが起きにくいスポーツなのだ。

 しかし、ジャパンは大方の予想を覆してスプリングボクスを破った。まさしく奇跡の勝利である。ただ、この勝利にはいくつもの伏線があった。
 その一つは、スプリングボクスがジャパンをナメていたという点だ。彼らは、ジャパンに負けることなど、全く考えてなかっただろう。スプリングボクスが考えていたのはただ一つ、ボーナス点を確実に奪って(W杯では4トライ以上奪うと勝ち点4の他に、ボーナス点1が与えられる)、できるだけ点を取ることだけだった。

 ところが、予想外にジャパンが踏ん張って前半終了で10-12の僅か2点のビハインドで折り返す。「こんなはずじゃないぞ!」スプリングボクスに、焦りが出始めた。
 そして後半28分、ジャパンが対スプリングボクス戦用に用意していたスペシャル・プレー『府中12内』が飛び出した。全く予期せぬサイン・プレーに強固なスプリングボクスのディフェンスは大混乱に陥り、FB五郎丸歩がトライを奪った。この間、スプリングボクスは誰一人、ジャパンの選手たちに指一本触れていない。タックルすらさせなかったのだ。
 さらに有名なシーン、試合終了間際にWTBカーン・ヘスケスの劇的な逆転トライが生まれ、史上最大の大番狂わせが起きたのである。

 この試合、プロレスで言えば1990年6月8日、東京・日本武道館で三沢光晴がジャンボ鶴田にフォール勝ちしたシーンを連想させる。このときの三沢は、鶴田の一瞬の隙を突いて、返し技からフォールを奪った。
 試合後に鶴田は、三沢について「まだまだだった」と語っていたが、今でも全日本プロレスのエースは三沢じゃなくて俺だよ、というプライドが見て取れる。つまり、鶴田は三沢に力負けしてなかったということだ。

 これは、4年前のジャパンvs.スプリングボクスにも通じる。スプリングボクスはジャパンに敗れてもチームを建て直し、準決勝に進出して3位に食い込んだ。
 一方のジャパンは、3勝1敗という好成績にもかかわらず、勝ち点の差で決勝トーナメントには進出できなかったのである。番狂わせを起こすことはできたが、世界8強には食い込めなかったわけだ。ここに、ジャパンの力不足があった。

 三沢も、鶴田には勝ったとはいえ、スタン・ハンセンに完敗し、三冠ヘビー級のチャンピオンにはなれなかったのである。三沢はまだ、チャンピオンの器ではなかった、ということか。

▼三沢光晴にとって、高い壁として立ちはだかったジャンボ鶴田
100904jTenryu-NickRaceF841211.jpg

今回のアイルランド戦は、三沢がハンセンをエルボーでKOした試合

 2015年のW杯を最後に、ジャパンのヘッドコーチだったエディー・ジョーンズが退任し、ジェイミー・ジョセフがヘッドコーチに就任した。
 エディーの戦法は『シェイプ』と呼ばれるもの。巡目、巡目にボールを動かし、敵のディフェンス・ラインを突破してトライを獲るという戦略だった。これは、体の小さいジャパンに合った戦法とも言える。そして、シェイプの戦法でジャパンは決勝トーナメントに進出できなかったとはいえ、3勝1敗という好成績を残した。

 ところが、エディーの後を受け継いだジェイミーは、エディー流を封印し『ポッド』という戦略をジャパンに課す。ポッドとは、3人でユニットを組み、相手のディフェンス・ラインを崩していくという戦法だ。現在のラグビーでは、シェイプよりもポッドが主流である。
 だが、ポッドがジャパンに向いているとは思えない。当然、選手からもジェイミー流の戦略に反発が出た。エディー流のシェイプで成功したのだから、それを受け継ぐべきではないのか、と。

 エディー流のシェイプとは、いわば弱者の戦法だ。弱いチームが、いかに強いチームに勝つか、という理論である。
 それに対し、ジェイミー流のポッドとは、強者の戦法と言っていい。エディー流のシェイプはたしかに成功したが、それ以上は望めない。ジャパンがベスト8以上を目指すのなら、ポッドが必要だ、とジェイミーは考えた。
 ちなみに、ポッドに否定的だったエディーは現在、イングランドのヘットコーチに就任しているが、ポッドを採用している。

 ジャパンは今回ロシアに勝ち、優勝候補のアイルランドと対戦した。過去、ジャパンがアイルランドに勝ったことはない。アイルランドのパワーに、いつもジャパンは粉砕されてきた。

 思い出されるのは1995年の第3回ワールドカップである。この大会では、第3戦でニュージーランド(オールブラックス)に17-145で大敗したが、ジャパンのFWにとってそれ以上に屈辱的だったのが第2戦のアイルランド戦だったという。
 この試合でジャパンは、アイルランド相手に好勝負を演じ、敗れたとはいえ国際的に高評価を得たが、ジャパンのFWはこの一戦でメンタルを完全に潰された。スクラムを崩され、ペナルティが多発して敗れたのである。

 しかし今回のW杯では、アイルランドのスクラムを押してペナルティまで取った。ジャパンFWにとって歓喜、アイルランドFWにとって屈辱だっただろう。アイルランドは、スクラムをはじめとするFW戦でジャパンを圧倒し、試合を優位に進めるプランを立てていたはずだ。しかし、スクラム戦で敗れたため、このプランが崩れる。
 ジャパンの思わぬ抵抗にアイルランドは反則を重ね、ジャパンはSO田村優のペナルティ・ゴールで着実に点を重ね、遂にはWTB福岡堅樹のトライによって逆転した。
 試合終了間際、負けを覚悟したアイルランドは、ボーナス点を獲得するために外へ蹴り出して、ジャパンがアイルランドを倒したのである(7点差以内の負けなら、ボーナス点1点が与えられる)。

 今回のジャパンの勝ちで、前回のスプリングボクス戦と違うのは、力勝負で勝ったという点だ。4年前のスプリングボクスは、ジャパンに対して明らかに油断があった。ジャパンは、その隙を突いて勝った。
 だが、今回のアイルランド戦は違う。アイルランドはジャパンを警戒し、入念なプランで試合に臨んだ。それでも、ジャパンは完璧なディフェンスを見せて勝った。完全な力勝ちである。
 相撲に例えるなら、4年前のスプリングボクス戦ははたき込みで勝ったような試合。今回のアイルランド戦は、四つ相撲で勝ったようなものだ。

 これは1992年8月22日、東京・日本武道館で三沢光晴がスタン・ハンセンに勝った試合に通ずる。三沢が2年前に、鶴田に勝ったときはフロックと思われていたが、この試合の三沢は完全な力勝ちだった。
 三沢がハンセンにエルボー一閃。ハンセンが動かなくなってしまったのである。その試合が、今回のラグビー日本代表がアイルランドに勝った試合と似ているのだ。

 この原稿を書いている時点で、日本と同じA組のスコットランドがサモアに完勝、勝ち点5をゲットした。これで、ジャパンは4戦全勝しないと決勝トーナメントに進出できなくなる可能性がある。
 かなり厳しい状況ではあるが、なんとか史上初のベスト8入りを果たしてもらいたいものだ。

120929hansen.jpg


※490円電子書籍e-bookで読む(カード決済ダウンロード即刻、銀行振込対応)
’19年10月03日号鬼神ジェイDESTRUCTION神戸 北米バブル秋TV改編 中川達彦 長州地獄