明治大学最後の黄金世代、重戦車FWの象徴だったKENSO

 先日、高田延彦がインターネット配信番組に出演して、来たる9月20日(金)に開幕するラグビー・ワールドカップ日本大会について語った。高田は日本代表の成績を『2勝2敗』と予想。この戦績では、予選プール突破はかなり厳しい。普通、こういう場合は日本代表を持ち上げるものだが、高田は正直のようだ。
 優勝予想は南アフリカ(スプリングボクス)、準優勝はニュージーランド(オールブラックス)と語る。昨年、本誌でもお伝えしたように、高田はラグビー界のレジェンドである元日本代表の林敏之とイベントを行った。日本代表の2勝2敗予想といい、優勝候補にスプリングボクスを挙げた点といい、高田はかなりのラグビー通らしい。

 さて、今回取り上げるラグビー出身のプロレスラーはKENSO。鈴木浩子(ゲイシャガール)との夫婦二人三脚でWWEを席巻したKENSOのラガーマン時代を見てみよう。

▼阿修羅・原がラガーマンとして光り輝いていた頃

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明治大学時代の教えは『前へ』、その通り突進を続けたKENSO人生

 1974年7月25日に愛知県で生まれたKENSO(本名:鈴木健三)は、刈谷北高校でラグビーを始める。卒業後の希望進路は明治大学。1990年代前半の大学ラグビーでは、明大が最強を誇っていた。
 明大のライバルといえば早稲田大学で、毎年12月の第一日曜日に行われる早明戦は大人気を博し、旧・国立競技場には6万人の大観衆が詰め掛けた。その6万人分のチケットを求めて、60万人の応募があったぐらいである。

▼早明戦が行われていた旧・国立競技場

 しかし、KENSOが進学したのは、推薦入試に合格した帝京大学。現在でこそ帝京大ラグビー部といえば、一昨年度まで大学選手権9連覇を果たすなど無敵の強豪として知られるが、当時はまだまだ弱小。選手権に出場するのがやっとの状態だった。
 結局、KENSOは4日で退部、帝京大も退学した。後先を考えないKENSOの性格が、早くも露呈したのである。

 英国留学を経て1年後、改めて明治大学に入学する。当時の明大ラグビー部の監督といえば、早大の大西鐵之祐監督と並び称されたカリスマ指導者の北島忠治。早大・大西監督の提唱する戦法『展開・接近・連続』とは対照的な『前へ』が信条の北島監督は、KENSOにとって最高の指導者だった。しかし北島監督は、KENSOが在学中の1996年5月28日、95歳で亡くなる。
 だが、明大が誇る『重戦車フォワード(FW)』の中で、KENSOは最も大きくて強い男が務めるロック(LO)の重責を担う(ポジションの説明については阿修羅・原編を参照)。KENSOの活躍もあり、明大は大学選手権2連覇を達成。
 だが、この年を最後に明大は低迷期に入り、その後は早大と関東学院大学の2強時代を経て、現在の帝京大全盛時代になる。ところが昨年度(2018年度、選手権の決勝が行われたのは2019年)に明大が復活、22大会ぶりに大学日本一となった。

 KENSO自身は明大在学中に、日本A代表に選出。ここで誤解を解いておきたいのは、日本A代表と日本代表は異なる、という点だ。
 ラグビーにおける日本A代表とは、日本代表の予備軍という位置付けで、要するに日本代表よりもワンランク下ということになる。A代表が日本代表を意味するサッカーとは対照的だ。つまり日本A代表として国際試合に出場してもテストマッチ扱いとはならず、したがってKENSOはキャップを得ていない(テストマッチとキャップの説明については、阿修羅・原編を参照)。

 日本A代表に選ばれたKENSOだったが、大学でラグビー生活を終えて卒業後は東海テレビに就職。しかし坂口征二と知り合い、新日本プロレスに入団した。
 明大時代での最大のヒットは、ラグビーのことよりも鈴木浩子(旧姓:水野)との出逢いだったかも知れない。鈴木浩子とは明大で同い年、しかも鈴木浩子は在学中にラグビー専門誌『ラグビーマガジン(ベースボール・マガジン社)』の契約記者になるなどラグビーにも精通していた。

 やがて2人は結婚、渡米してWWEでレスラー&ディーヴァとして大人気を博したのはご存じの通り。現在のKENSOは共同テレビジョンのプロデューサーとフリー・レスラーという二足のワラジを履き、鈴木浩子は千葉県議会議員となっている。

覚えておきたいラグビーの3つの反則

 前回のグレート草津編ではラグビーの基本的なルールを説明したが、今回は反則について。よく『ラグビーのルールは難しい』と言われるが、とんでもない。日本人のほとんどは野球の基本的なルールは知っていると思うが、ラグビーよりも野球のルールの方が遥かに難しいのだ(関西独立リーグの公式記録員を務めたことのある筆者が言うのだから間違いない)。
 たとえば、日本語はわかるけど野球を知らない国の人に、野球のルールをどうやって説明する?

「ベースを1周してホームベースを踏んだら1点入るんだよ」
「そんなの、誰でもできるじゃん」
「だから、1周する前に打たないと」
「あの人も打ったけど、1周しないよ?」
「それは、相手に捕られたから……」
「次の人は大きい当たりを打ったけど、相手に捕られないのに走ろうともしない」
「それはファウルだから……」
「あんなに大きな当たりを打ったのに反則なの!?」

 実際に筆者は、野球を全く知らない外国人にルールを説明しようとしたが、全然通じなかった。
 野球に比べれば、ラグビーのルールはずっとシンプルである。反則についても、ややこしいことは考えずに、基本的なことを覚えればいい。
 それでは、基本的な3つの反則について説明しよう。

①スローフォワード(ボールを前に投げること)
②ノックオン(ボールを前に落とすこと)
③オフサイド(ボールより前にいる人がプレーすること)

 ①のスローフォワードはフォワードパスとも言い、グレート草津編でも説明したが、ボールを前へパスするのは反則だ。ボールは前へ運ぶものなのに、こんな奇妙なルールはラグビーだけだろう。ただキックでは前へ蹴っても良い。スローフォワードは、反則としては軽い部類に入る。

 ②のノックオンは、ボールを前に落とす反則。これは前にボールを投げるのと同じことになる。したがって、後ろにボールを落とした場合はノックバックと言って反則にはならない。
 また、下半身にボールを当てて落としてもノックオンではなく、キックと同じ扱いとなる。ノックオンも軽い反則だ。

 ③のオフサイドはサッカーの場合と違い、ボールを持っている選手よりも、前にいる選手がプレーした場合に適用される反則だ。オフサイドこそがラグビーのルールの根幹をなすとも言え、オフサイドを知ればラグビーの半分以上を知ると言っても過言ではない。
 たとえば前方にキックした場合、前にいる味方の選手が蹴られたボールを捕るとオフサイドの反則だ。また相手選手がボールを捕った場合、その選手にタックルしてもいけない。

▼図-1 キックをした場合のオフサイド

 図-1をご覧いただきたい。赤チームの⑩がキックした場合、前にいる味方の⑧はオフサイド・プレーヤーとなるためプレーできないのだ。もし⑧がボールを捕ったり、ボールを捕った相手の黒丸の選手にタックルしたりすると、オフサイドの反則になる。ただし、相手選手が5m以上走ったり、パスやキックをしたり、ボールを弾いたりしたら、⑧はプレーできる。
 図-1の場合、キックした⑩や、その後ろにいる⑫はオンサイド(プレーできる)・プレーヤーなので、ボールを捕ったり、相手にタックルしたりしても構わない。

 次に図-2を見てみよう。このケースでは、オフサイドの位置にいる⑧が、オンサイド・プレーヤーの⑫に抜かされている。
 こうなると、⑧のオフサイドは解消されてオンサイド・プレーヤーとなり、晴れてプレーに参加できるわけだ。また⑧は⑫だけではなく、キックした⑩に抜かされてもオフサイドは解消される。オンサイド・プレーヤーになったからには、⑧はタックルしてもボールを捕っても良い。

▼図-2 オフサイドが解消される場合

 他にもオフサイドにはライン・オフサイドもあるのだが、それを説明すると煩雑になるので、ここでは割愛する。
 要するにラグビーの基本は、ボールを持っている選手が先頭にいる、ということが大原則なのだ。ボール・キャリアーより前にいる味方はプレーできない、と覚えておこう。
 なお、オフサイドは重い反則の部類に入る。

反則の重さと、レフリーのシグナルについて

 前項では3つの反則を説明したが、もちろん他にも色々反則はある。しかし、全ての反則を覚える必要はない。かなり観戦歴の長いラグビー・ファンだって、筆者を含めて何の反則が起こったのか判らないことはよくあるのだ。
 反則がわからなくても、レフリーが笛を吹いたら「ああ、反則があったんだな」と思うだけで良い。

 前項では『軽い反則』『重い反則』という言葉が出て来たが、ラグビーでは反則の重さによって罰則が変わる。それはアメリカン・フットボールのように『何ヤード罰退』というものではなく、反則された側にボール保持の権利を与えるのだ。
 反則の重さとプレー再開には、以下の方法がある。

★軽い反則ではスクラム
★中ぐらいの反則ではフリー・キック(FK)
★重い反則ではペナルティー・キック(PK)

 軽い反則とは、前述したようにスローフォワードやノックオン、あるいはアクシデンタル・オフサイド(ボールを持った人が偶然、前にいる味方にぶつかる反則)などのときに適用される。どちらかといえば、反則というよりも偶然のミス・プレーに近い。もちろん、反則された側にスクラムのボールの投入権があるのは言うまでもない。
 反則ではないが、密集からボールが出なかった場合(アンプレアブル)でも、スクラムから再開される。

 中ぐらいの反則とは、たとえばアーリー・プッシュと言って、スクラムをレフリーの合図よりも早く押した場合などに適用される。『ずるい反則』と考えれば良い。
 フリー・キック(PK)では、反則をされた側にボールを蹴る権利が与えられるが、直接ゴールを狙うことはできない(ゴールについてはグレート草津編を参照)。また、スクラムを選択することもできる。
 反則ではないが、フェアキャッチ(相手がキックしたボールを、自陣22mラインの内側で「マーク!」と叫んでダイレクト・キャッチする)した場合でもFKの権利が与えられる。

 重い反則は前述のオフサイドの他に、ノット・リリース・ザ・ボール(タックルされてもボールを離さない反則)やオブストラクション(ボールを持っていない選手が相手タックラーの邪魔をする反則)など、様々な反則に適用される。プレーを妨げた場合や、危険なプレーは厳しく取り締まるのだ。
 ペナルティー・キック(PK)には大きな特典がある。直接ペナルティー・ゴール(PG)を狙うこともでき、成功すると3点だ(PGについてはグレート草津編を参照)。
 また、ダイレクト・タッチ(自陣22mラインの外側からノーバウンドでタッチの外に蹴りだすと、蹴った地点に戻される)でも地域を進めることができ、しかもマイボールのラインアウトで再開するのだ。つまりPKを得るだけで、大きなチャンスとなる。
 なお、PKを得てもスクラムを選択しても良い。2015年のW杯、日本vs.南アフリカ(スプリングボクス)では、日本はラスト・ワンプレーでPKの権利を得たものの、PGが決まれば同点だったのに敢えて狙わず、スクラムを選択したことが逆転トライに繋がった。

 なお、悪質な反則があって、レフリーがイエロー・カードを出したら『シンビン』と言って10分間の一時的退場で、1人少ない人数で戦わなければならない。もっと悪質な反則の場合はレッド・カードで完全な退場となる。イエロー・カードが2枚でもレッド・カードとなり退場だ。

 反則があった場合、レフリーは笛を吹いてシグナルを出す。シグナルは腕を上げるわけだが、気を付けていただきたいのは、サッカーやアメフトとは腕の方向が逆ということだ。サッカーおよびアメフトでは、反則した側の腕を上げるが、ラグビーでは反則をされた側(ボール保持の権利を与える側)の腕を上げる。

 反則の重さによって腕の上げ方が違い、PKの場合は腕を斜め上に上げ、FKの場合は腕を直角に曲げ、スクラムの場合は水平に腕を出す。

▼レフリーのシグナル。左PK、中FK、右スクラム

 時々、レフリーは笛を吹かないものの、反則のシグナルのように腕をサッと上げることがある。笛こそ吹かないが、反則があったという合図だ。
 これはラグビー独特の『アドバンテージ・ルール』で、反則があっても罰則を与えず、試合を流してしまうのである。といっても、プロレスの『反則5秒ルール』のようなものではない。

 反則があっても、レフリーはすぐには笛を吹かず、プレーの行方を見守る。そして、反則をされた側に不利益がないと判断すれば、反則がチャラになるのだ。
 なぜアドバンテージ・ルールがあるのかといえば、ゲームを途切れさせないためである。反則でゲームがブツ切りになると、試合はつまらない。そこで、反則があってもできるだけ笛を吹かないようにしているのだ。
 しかも、相手の反則が却って味方のチャンスになることがある。その場合、反則をされた側は笛を吹かない方が有難い。
 もし、反則が相手の有利にならないと判断したら、その時点でレフリーは初めて笛を吹く。そして、しかるべき罰則を与えるのだ。
 しかし、アドバンテージをどこまで見るの? という疑問も浮かぶだろう。最近のテレビ中継ではレフリーがマイクを着けているので「アドバンテージ・オーバー!」という声が聞こえることがある。レフリーがそう叫べばアドバンテージは解消されて、さっきの反則はなかったことになるのだ。

 アドバンテージが出た場合、相手にとっては大きなチャンスとなる。何しろ攻撃を失敗しても反則があった地点に戻ってマイボールから試合再開となるのだから、リスクはない。そのため、イチかバチかのギャンブル的な攻めが可能になるわけだ。

ワールドカップ物語(第6回~第8回)

【第6回ワールドカップ】2007年:開催国=フランス他
 優勝候補のニュージーランド(オールブラックス)が準々決勝で地元フランスに敗退、初めて4強入りを逃した。逆に躍動したのは、フランスを2度にわたり破ったアルゼンチンで、初の4強入りどころか3位となる。
 優勝したのは、前回優勝のイングランドを決勝で破った南アフリカ(スプリングボクス)で、オーストラリア(ワラビーズ)と並ぶ2度目の栄冠となった。
 日本はワラビーズ、フィジー、ウェールズに3連敗。最終のカナダ戦でも試合終了間際までリードされて敗色濃厚だったが、最後のワンプレーで起死回生のトライを奪い、コンバージョン・ゴールも決まって引き分けに持ち込んだ。これにより、日本はW杯の連敗を13で止めたのである。

【第7回ワールドカップ】2011年:開催国=ニュージーランド
 第1回大会以来、ずっと優勝から遠ざかっていたニュージーランド(オールブラックス)は『万年優勝候補』と揶揄されていた。それだけに、地元開催のこの大会は、絶対に優勝する必要があったのである。
 地元の大声援を受けたオールブラックスは決勝進出、フランスとの対戦では思わぬロースコア・ゲームとなったものの8-7で振り切り、遂に2度目の世界一となった。第1回大会は地域予選が行われず、南アフリカ(スプリングボクス)も出場してなかったので、この優勝がオールブラックスにとって初となる正真正銘の世界一である。
 日本はフランス、オールブラックス、トンガに3連敗、最終戦は因縁のカナダが相手。今度は日本が終始リードを奪い、第2回大会のジンバブエ戦以来の勝利が期待されたが、終了間際で同点に追い付かれて、2大会連続の引き分け。今回は勝ちゲームをドローに持ち込まれたことにより、前回と違って悔いの残る引き分けとなった。

【第8回ワールドカップ】2015年:開催国=イングランド他
 下馬評の高かったニュージーランド(オールブラックス)は圧倒的な強さで勝ち進み、史上初の2連覇、最多となる3度目の世界一を成し遂げた。この大会ではオールブラックスの他にオーストラリア(ワラビーズ)、南アフリカ(スプリングボクス)、アルゼンチンの南半球が4強を独占、完全に南高北低の勢力図となったのである。逆にラグビーの母国イングランドは、ホスト国として初めて予選プール敗退の屈辱を味わった。
 日本は初戦で、絶対に勝てないと言われた優勝候補のスプリングボクスを撃破、世界をあっと驚かせた。さらに日本の快進撃は続き、スコットランドには敗れたものの、サモアとアメリカを連破して、3勝1敗という今まででは考えられない好成績を収めたのである。
 勝ち点の差で決勝トーナメントには進出できなかったが『史上最強の敗者』と称えられ、日本にラグビー・ブームを巻き起こした。


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