ドイツ出身の元プロレスラー、ローラン・ボック氏が死去した。死因はまだ伝わってこないが、ドイツのレスラー時代の仲間がFacebookで追悼のコメントが寄せている。さらに、ロックファブリック・ルートヴィヒスブルクが、同社Facebookページで、ロックファブリック創業者の一人、ローランド・ボック・シニア氏が81歳で亡くなったことを発表したと、19日(現地時間)、ドイツの地方紙 Ludwigsburger Kreiszeitung (LKZ) が報じている。

ローラン・ボック氏は1978年11月25日、西ドイツ・シュツットガルトで欧州選手権ツアー・決勝戦として、アントニオ猪木と対戦し、勝利(判定勝ち)したことで、今なお語り継がれる存在のプロレスラーとなった。この試合は、モハメド・アリとの異種格闘技戦を経て世界的知名度を得ていたアントニオ猪木を終始圧倒して勝利したという意味でも、プロレス史に刻まれる忘れられない一戦だった。

そのボック氏は2000年代に入って約30年ぶりにコンタクトがとれたことから、日本でも再び注目を集めていた。昨年(2024年)には、すでにドイツおよびオーストリアで刊行されていた自伝『BOCK!』の日本語翻訳版出版を目指すクラウドファンディングが実施された。この企画は多くの昭和プロレスファンから支持を集めて翻訳版出版プロジェクトが成立し、昨年(2025年)9月に日本語版として『ローラン・ボック~欧州最強プロレスラー、人生の軌跡』というタイトルで刊行された。一度は「過去の人」として忘れ去られていたものの、令和の時代に再評価されつつあったレスラーである。

ローラン・ボック氏は1944年8月3日、ドイツ・シュツットガルト生まれ。14歳の時に地元のレスリングクラブでアマレスを始めた。ヨーロッパ選手権で実績を残し、1968年のメキシコ五輪に出場している。そして1972年、地元ドイツで開催されるミュンヘン五輪の最有力候補となるもドイツアマレス協会と対立したことで除名され、出場を逃してしまった。

翌1973年にプロレス転向。レスラー兼プロモーターとして活躍し、モハメド・アリと引き分けた男「アントニオ猪木」と闘うために1978年にヨーロッパでのビッグイベントを主催したのだ。

そのツアーにおいて、日本では「シュツットガルトの惨劇」とまでも称されるプロレス史に残る激闘を展開し、日本のファンに強烈な印象を残したが、興行的には大損失を負い、さらにその清算の過程で脱税・詐欺行為の罪に問われて逮捕・収監された。それでも出所後には、不屈のバイタリティで実業家として再起。ドイツ最大規模のディスコ経営を手掛けて、王のような暮らしを手に入れた。1990年代には、事業を社員に任せ、東南アジア・タイへと移住。楽園の暮らしを楽しんだ。そして2000年代には故郷ドイツのシュツットガルトに戻ったが、その時点では、経営不振となったディスコは人手に渡っていた。しかし、その後も新たな事業に突き進む野心は衰えず、新たに起業してドイツで暮らしていた。しかし、事業から引退した後の晩年は年金に頼る慎ましい生活だった。2001年のドイツ『BILT』紙のインタビューでは、 「私は貧乏な家庭で育ち、カーチェイスのような人生を生きた。そしてまた貧乏な暮らしに戻って死ぬのかな」と笑っていた。
ボック氏は2025年の春、日本語翻訳版の自伝完成を前に、日本のファンに次のようなメッセージを寄せている。
「私には、あの死闘の記憶が今でも鮮やかに蘇る。戦友・アントニオ猪木との闘い、私の人生に刻まれた忘れがたい瞬間。ドイツから日本の読者に熱い思いを届けたい(※1)」
秋には本人の手元に届けられたが、ボック氏は急速に認知症が進み、日本で出版された自らの自伝であることを認識できなかったという。この事実は、原書『BOCK!』の著者であるアンドレアス・マトレ氏から知らされた。もし、あと数か月早く届けられていれば――。その思いは拭えない。
(※1)『ローラン・ボック 欧州最強プロレスラー、人生の軌跡』(サウザンブックス社)からの引用

ローラン・ボックの人生は、波乱と挑戦に満ちた81年だった。
心よりご冥福をお祈りします。

(※2)写真:アンドレアス・マトレ氏提供
HP Favorite Café管理人
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