[Fightドキュメンタリー劇場⑮]「北米タッグ選手権」とは何か? 曖昧模糊としたベルトの経緯

[週刊ファイト10月28日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼[Fightドキュメンタリー劇場⑮] 井上義啓の喫茶店トーク
 「北米タッグ選手権」とは何か? 曖昧模糊としたベルトの経緯
  by Favorite Cafe 管理人

北米タッグチャンピオン、坂口&長州組(1980年)

 「北米タッグ」は初期の新日本プロレスの興行の柱のひとつとなっていた。しかし、そのタイトルのルーツは全くもって曖昧なもの。「北米タッグ」は、新日プロのために作られたタイトルとも言われているが、それにしては猪木&坂口組のタイトル奪取までに時間がかかりすぎている。この謎多きタイトルをI編集長が考察する。

■ 闘いのワンダーランド #020 (1996.12.27放送)「I編集長の喫茶店トーク」
 1975.12.19 アメリカ・ロサンゼルス・オリンピック・オーディトリアム
 アントニオ猪木&坂口征二 vs. ハリウッド・ブロンドス

(I編集長) この試合は、確か猪木&坂口組の北米タッグの最後の防衛戦でしょ。その翌年の2月6日に猪木vs.ルスカ戦があって、猪木がこの試合に専念するということでベルトを返上したはずですよ。だから猪木&坂口組の最後の防衛戦ですよ。これは難なく防衛してしまう試合ですよね。ロサンゼルス・オリンピック・オーディトリアムの試合で、ハッキリ言って私は取材に行ったわけではないんでね、あまり詳しい話はできないんですけども。
 
オリンピック・オーディトリアム
ハリウッド・ブロンドス

(I編集長) ロサンゼルス・オリンピック・オーディトリアムといいますとね、あそこでやる試合であれば、WWAが認定したWWA世界タッグというのがあったんですよ。これが1973年にパワーズとパターソン組が持っていた「北米タッグ」の元々のベルトだと思いますよ。そのWWAはご存知のようにNWAに合併吸収された。そして合併して「世界」を取りなさいと言われた。新日のNWFも全日のPWFもそうだったんですね、「世界」を取りなさいと言われて取っちゃいましたね。そこでロサンゼルスのWWAも同じで「世界」を外せと言われたんですね。それじゃあもうけったくそ悪いんで、「アメリカスタッグ」と名前を変えちゃえと、そんなことで名称が変わったんですよね。
 この時、「北米タッグ」と言ってたのは、現地ではWWAの「アメリカスタッグ」のことだったんだろうと私は思うんです。これは間違っとったら勘弁してください。詳しい方にね、オタクたちでいつかもう少しキッチリ調べて欲しいですね、プロレス者っていうのは詳しい人がおりますから。しかし海の向こうの話でしょ、日本での話じゃないんで、真偽のほどはわからないですよ。だけども僕はあのベルト、猪木&坂口組が最初(1973年)にロスに行って挑戦したベルトは「アメリカスタッグ」だと思ってるんですよ。

パワーズ&パターソン組、よく見るとベルトのデザインが違う(1973年)

▼秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木#19(1973.12.7北米タッグ戦)
 猪木&坂口の黄金コンビが「北米タッグ選手権」に挑戦

[ファイトクラブ]秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木#19(1973年12・7北米タッグ戦)

▼[Fightドキュメンタリー劇場] 井上義啓の喫茶店トーク
(I編集長)「オーディトリアムと言っただけで読者がワーッと騒いだもんですよ」

[Fightドキュメンタリー劇場②] 井上義啓の喫茶店トーク「オーディトリアムと言っただけで読者がワーッと騒いだもんですよ」

(I編集長) そのあと、1974年に「NWF世界タッグ」王者だということでヘス&ショッツ組が日本に来ましたわな。例のナチの亡霊です。そのベルトを何気なくヒョイと見ますと、ノースアメリカンタッグ・チャンピオンシップと書いてあるんですよ。これ、おかしいじゃないかと。我々は「NWF世界タッグ」と聞いてますよと。
 そういうことで「これはNWF世界タッグでは無い」となったんですよね。猪木&坂口組がヘス&ショッツ組に挑戦したタッグというのはね、「NWF世界タッグ」では無いということです。

1974年のパンフレットでは「NWF世界タッグ」とされている

(I編集長) ところがややこしいのは、パワーズのNWFが「NWF世界タッグ」というのを認定しておるんですよ。これはパワーズとルージョー組だったかね、そのタイトルを持っておったんですよ。そのベルトがどこに行ったかですよね。だから、実際に「NWF世界タッグ」というベルトも存在しておったんですよ。だからややこしいのは、「NWF世界タッグ」というのもあった、しかもLAオーディトリアムで猪木・坂口組が挑戦した「アメリカスタッグ」も当然あった、そして日本に持ってきたのが、「北米タッグ」だと非常にややこしいんですね。それで全部一緒くたにして「北米タッグ」と呼んでいるんですよ。だからそういったことの真相を、まあ今だからね、はっきりさせてもいいんじゃないかと、私はそう思ってますね。

闘魂シリーズのパンフレットでは「ノースアメリカン・タッグ」となっている

(I編集長) この場をお借りして、そういった話をさせてもらってるんだけれども、この北米タッグタイトルの取っ掛かりは、非常に曖昧模糊としています。それでもやっぱり猪木&坂口組がこのベルトを取ってからはね、だんだんだんだん権威を付けていきましたよ。これはNWFヘビー級も一緒ですよ。NWF世界ヘビー級というのはご存知のようにブッチャーとかね、ラッドとか、ワルドー・フォン・エリックとかね、そういったそうそうたるメンバーが歴代チャンピオンに名を連ねていますけどね。NWF世界ヘビー級の方は確か、猪木は13代目のチャンピオンですよ。12代がパワーズで、そこから取ったんでね。

北米タッグは、ファイト紙でも度々大きく扱われていた

(I編集長) だからNWFヘビー級の方はハッキリしてるんですけども、NWF世界タッグ、北米タッグの方は非常に曖昧模糊としてどこから来てどこに行ったかわからないというタイトルなんですね。ただ、今日の試合というのは、ベルトの文字を見ればれっきとした北米タッグで、しかも今申し上げたように、ルスカ戦に備えて返上した猪木&坂口組の最後の試合なんですよ。その後「北米タッグ」は、坂口&小林組、坂口&長州組にバトンタッチされる訳です。
 くだらんことを言ってるなとお叱りを受けるかもしれないけどね、北米タッグのルーツに関しては、やっぱりハッキリさせる時期ですよ。もう時効だしね。曖昧模糊としたものを残していてはダメですよ。そんなことを残しておくと、やっぱりプロレスというのは曖昧なもんだなと思われてしまうんですよ。

北米タッグの扱いがマスコミでも軽くなっていたことも、長州の不満のひとつ

(I編集長) だから長州のように「お前たちマスコミ自体が、プロレスとはこういうものだと思ってるんだろう。お前だってそう思ってるんじゃないか?」という、長州の怒りはね、私は分かるんですよ。私もそうだけど、我々マスコミ自身にも問題があるんですよ。だからそういったものを、この際、平成9年も10年にもなろうかとする時だからね、もう過去のそういったベルトに関しては、ハッキリッリさせないといかんですよ。

▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第81回

 1977年6月9日、クロケットJR氏の地盤であるバージニア州ノーフォークで北米タッグ選手権戦が行われた。坂口征二、ストロング小林組vs.タイガー・ジェット・シン、上田馬之助組。

[ファイトクラブ]井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第81回 藤波が煙たがった“笑わない”米プロモーター


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