[ファイトクラブ]秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木#19(1973年12・7北米タッグ戦)

新日本プロレスにNWF世界ヘビー級王者、ジョニー・パワーズが参戦した記念ポスター
[週刊ファイト9月9日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木#19(1973年12・7北米タッグ戦)
 by 藤井敏之
・日本プロレス、国際プロレス、新日本プロレス3団体
・マイク・ラーベルとの提携オリンピック・オーディトリアム遠征
・日本プロレス全盛時の私のプロレス友達はかなり減ってしまった
・ジョニー・パワーズと“シスコの帝王”パット・パターソンが遂に来日
・大阪のリング上で吉田光雄(長州力)の新日本プロレス入りが発表
・超貴重写真を一挙放出!坂口は場外でパワーズの鉄柱攻撃を受け流血
・東京において猪木は見事、卍固めでパワーズを破りNWF世界ヘビー級戴冠
・過去2度猪木はシングル王者になるとその先に大きな暗雲が漂うジンクス
・1974年通算4度目の挑戦でようやく黄金コンビ(猪木&坂口)王座を獲得
・北米タッグもIWGP構想によりNWFベルトと共に返上の末路


 1973年4月1日、多額の借金を背負いながら約1年間興行を続けてきた新日本プロレスはアントニオ猪木と坂口征二(日本プロレス)の電撃合体という大ホームランをかっ飛ばす事により、テレビ問題においてもNETプロレス中継が日本プロレスから新日本プロレスに放送を鞍替えして、前途洋々たるスタートを切った。
 猪木&坂口の黄金コンビを看板とする新日本プロレスに対するは、NWA(全米レスリング協会)加盟と日本テレビを後ろ盾とする全日本プロレス、AWAとの提携とTBSプロレス中継を付ける国際プロレスとの新たな局面に突入したのだ。

 ジャイアント馬場は旗揚げシリーズから世界ヘビー級王座争奪戦を開催、力道山家から贈られた力道山ゆかりのチャンピオンベルトを1973年2月27日に最終決戦の対戦相手である“黒い魔人”ボボ・ブラジルを破り、世界チャンピオンクラスの強豪8人(8勝0敗2引き分け)を撃破するという実績を残し腰に巻いた。尚この日リング上では全日本プロレスの将来を担うであろうと期待される鶴田友美(後のジャンボ鶴田)のプロレス入りが発表されている。
 国際プロレスはストロング小林がIWA世界チャンピオンとして、AWA地区から来日する強豪を相手に連続防衛の記録を伸ばす中、唯一新日本プロレスには他団体に対抗しえる看板ベルトが無かったのである。

 黄金コンビが復活し、テレビも付いた新日本プロレスだったが、外人レスラーの質は相変わらず振るわず、ましてやチャンピオンクラスの選手など参戦することは無かった。そんな中、インドから疾風のごとくターバンを被った怪人がゴールデン・シリーズの開幕戦に乱入。桜井氏(東京スポーツ解説者)はヒンズー・ハリケーンではないかと解説、後に新日本プロレスの飛躍の救世主であるタイガー・ジェット・シンの初登場であった。
 この猪木とタイガー・ジェット・シンの抗争をきっかけに勢いに乗り始めた新日本プロレスは、NWA系のプロモーターでも異端児であるロサンゼルスのボス、マイク・ラーベルの力により活路を見出す。黄金コンビ結成後、初めてのアメリカ遠征においてロスのオリンピック・オーディトリアムにてNWAが認定するノースアメリカン・タッグ選手権に挑戦する事が決まるのだ。
 1973年8月25日(現地時間24日)黄金コンビは久々のロスのマットに上がり、王者チームであるジョニー・パワーズとパット・パターソンに挑戦するも反則勝ち。勝利を得たがルールによりタイトル奪取とはいかなかった。

 この遠征によりマイク・ラーベルとの繋がりは確固たるものとなり、パワーズそしてパターソンの来日を確約、さらには次期シリーズのメンバー発表を見て、久しぶり全日本プロレスにも負けぬ布陣の名前を見て驚く。猪木との友情参加ともいうべきパワーズが8年ぶり来日、“黒い核弾頭”ビクター・リベラ、アール・メイナード、アナコンダ、ボビー・ボルト・イーグル、ウェイン・ブリッジ、エル・サント(オリジナルではない)、そして遂に大御所である“妖鬼”ジョニー・バレンタインの参加も決まる。専門雑誌は二人のジョニーがやってくる!とファンを煽った。
 さらには特別試合として10月14日、東京・蔵前国技館にて“鉄人”ルー・テーズ、“神様”カール・ゴッチ組と猪木、坂口による「世界最強タッグ戦」が90分3本勝負で行われることも決定。新日本プロレスは軌道に乗り始めるとともに、プロレスブームも徐々に復活し始めた。
昭和46年末の猪木クーデターによる除名処分から2年ぶりにプロレス暗黒時代にようやく光明が差し込み始めたが、この時においては日本プロレス全盛時の私のプロレス友達はかなり減ってしまった。のちの新日本プロレスが猪木の格闘技志向によりプロレスが格闘技に敗れ、人気が落ちてゆくあの時代以上に辛い時代でもあったのだ。  

      これまでになく豪華な外人レスラーが揃った第一弾・闘魂シリーズのチケット
         闘魂シリーズ第二弾の会場売りパンフレットと同夜のカード

 そして年末シリーズに“鋼鉄男”ジョニー・パワーズと“シスコの帝王”パット・パターソンが遂に来日。12月7日大阪で黄金コンビ(猪木&坂口)が再びノースアメリカン・タッグ王座に挑戦、さらに猪木はパワーズが所持するクリーブランドを中心に五大湖地区を勢力圏とする組織が認定するNWF認定世界ヘビー級タイトルにも挑戦することが決まる。
 テーズ、ゴッチ組を破り世界最強タッグの称号を得て勢いに乗る猪木と坂口は、大阪でのタイトル奪取に燃えた。リング上では試合に先駆け当時、専修大学レスリング部主将、昭和48年全日本レスリング選手権、フリー、グレコ100キロ級優勝の吉田光雄(後の長州力)の新日本プロレス入りが観客に紹介された。

     大阪のリング上で吉田光雄の新日本プロレス入りのアナウンスがされた

昭和48年12月7日 大阪府立体育会館
<北米タッグ(ノースアメリカン・タッグ)選手権試合>
〇アントニオ猪木、坂口征二
 2-1
●ジョニー・パワーズ、パット・パターソン

1本目 パワーズ(8の字固め 15分58秒)猪木
2本目 坂口 (体固め 3分10秒)パターソン
3本目 猪木 (反則 7分28秒)パワーズ

 1本目はパワーズのパワーズ・ロックこと8の字固めが猪木にガッチリ決まり先勝(15分58秒)、2本目は坂口が奮闘し、パターソンをネックハンギング・ツリーから豪快なアトミック・ドロップで叩きつけてフォール(3分10秒)。ファンも黄金コンビの勝利を信じ大歓声が館内に響き渡る。
 3本目に入ると王者チームも反則技を繰り出すなど必死で対抗する。坂口は場外でパワーズの鉄柱攻撃を受け流血。リング上では、またしても猪木はパワーズの8の字を受けるがロープにまで必死で逃れる。ロスの名物レフェリーであるレッドシューズ・ズーガンがロープ・ブレークと8の字固めを解離出来なさそうとしたところ、パワーズがズーガンレフェリーにパンチを浴びせ王者チームの反則負けを宣告(7分28秒)。ズーガンは立ち上がると猪木、坂口の手を上げるなり観客は大歓声。
 しかし反則勝ちではタイトルの移動が無いことを知ると日本チームは茫然とする。観客も納得がいかなくブーイングの嵐となる。

     パワーズ&パターソンの王者チーム      アントニオ猪木&坂口征二の黄金コンビ   

      パワーズの8の字固めがガッチリ決まる    猪木の渾身の逆エビ固め

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