[Fightドキュメンタリー劇場②] 井上義啓の喫茶店トーク「オーディトリアムと言っただけで読者がワーッと騒いだもんですよ」

[週刊ファイト7月29日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼[Fightドキュメンタリー劇場]  井上義啓の喫茶店トーク #001
「オーディトリアムと言っただけで読者がワーッと騒いだもんですよ」
 by Favorite Café管理人


 1996年12月1日、世界初のプロレス・格闘技専門チャンネル「FIGHTING TV SAMURAI!」が開局しました。そして翌2日(月曜日)からスタートした番組「闘いのワンダーランド」では、新日本プロレスの創生期の映像を振り返るとともに、元週刊ファイト編集長井上義啓氏の「喫茶店トーク」が繰り広げられました。その記念すべき第一回放送からの採録です。

とてもシンプルな番組OPタイトル(制作が間に合わなかった??

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■ 闘いのワンダーランド #001 (1996.12.2放送)
「I編集長の喫茶店トーク」
1973.08.24 アメリカ・ロサンゼルス・オリンピック・オーディトリアム
アントニオ猪木&坂口征二 vs ジョニー・バレンタイン&パット・パターソン

(I編集長) これはもうやっぱりね、今とは違いましてね、当時はやっぱり海外、アメリカンプロレスというのがウエイトというのを、それはもう大きな割合を占めていましたよ、ファンの間でもね、マスコミでも。

 正直言って今(1996年)記者を出してね、アメリカの会場を回らせたところでね、今の読者は「フンッ」てなもんですよ、はっきり言って。僕らが編集者やってた頃はね、アメリカのオーディトリアムと言っただけで読者が「ワーッ」と騒いだもんですよ。我々もそうだしね、ものすごくステータスがあったんですよ。だからそのステータスを狙ってやったこともあるし。

 それから、あの、北米タッグにしろ何にしろね、「(アメリカ側からすれば)こっち(アメリカ)にまず来い」と、日本で闘いたいと言うんだったら。「こっち(アメリカ)に来て我々に挑戦しろ」と、そしてそれから我々が日本に行くのがフィフティフィフティだと、そういった興行上のやり取りがあったからね。猪木としても行かざるを得なかったんですよ。

 あんまりね、海外で闘いたくはなかったと思いますよ、猪木は。猪木はアメリカンプロレスが嫌いだからね。向こうじゃ苦労したけれども、はっきり言って日本人対決というのをね、主流にしてやってきたのは猪木だしね。だからそんなに外人レスラー、外人レスラーといって有難がっていたわけじゃないんですよ。だけどもそうせざるを得なかったわけですね。
 それはやっぱりテレビ局の思惑をあるでしょう。テレビ局としてもねロサンゼルス・オーディトリアムで北米タッグに挑戦だということになったらそれだけでね、一つのパターンと言うかデモンストレーションになっちゃいますからね。

 これはもう猪木組がね、反則勝ちしたんですよ。結局ダメだった、タイトル取れなかったという試合で、あんまりこの試合は印象に残ってないんですよ。名勝負ではなかったでしょう、ハッキリ言って。こんな事をのっけから言ったら猪木が怒るかもしれないけどね。私はそういった印象を持っていますね。ロサンゼルス・オリンピック・オーディトリアムでやったという事でファンは騒いだ試合ですよ。

 まああのー、パット・パターソンというのはコワルスキーに憧れてレスラーになったという、非常にセンスを持った男ですし、パワーズというのはご存知のようにね「8の字固め、パワーズロック」という、これね、パワーズは東京プロレスという猪木が旗揚げしたでしょ、その時に来てるんですよ、バレンタインと一緒に。それでね、ファンは注目しとったはずですよ。だからパターソンという名前はともかくとして  パワーズの名前は浸透しとったはずですね。これはそういった意味では注目された試合ですよ。
 ま、猪木坂口組が取るとは僕も思わなかったですよね。やっぱりいいところまで行って結局反則で逃げられてしまった。で、無念の涙ということで帰ってきた試合ですよね。

井上譲二記者(左)とマイク・ラーベル。右はタダシ☆タナカ記者撮影1980年WRESTLING DIGEST vol.6

(インタビュアー)ジョニー・パワーズとは?
(I編集長)これはね、猪木の言葉をそのままお伝えしたほうがいいような気がするんですけども、決してね、素晴らしいレスラーじゃあ無いですよ。天才とかなんとか言われましたけどね。確かにNWAに入ったときは嘱望された選手ですよ。いずれはNWAチャンピオンになるだろうと思われとったんだけれども、非常に我が強い男でね、オレがお山の大将でなかったら気が済まないというところもあったし、オレがオレがというところでね、非常に今流でいうと「キザ」っぽいというかね、服装から何からそう言うところがあったしね、人を見下すというところがあったんでね、NWAの組織からはみ出てしまったんですね。「はみ出し男」ですよ、コイツは。

(インタビュアー)新日本プロレスというのは、海外でNWAやAWAという大きなマーケットから外れてしまった選手を使う傾向がありましたよね

ジョニー・パワーズにインタビューする井上譲二記者 1976年2月

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