『美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代~時代の風が男達を濡らしていた頃”』Act⑩【T・J・シンの光芒】

 「RG」を甚振る。
 「クロマティー」を翻弄する。
 「ボノ」を強襲する。
 “時の魔術師”の悪戯によって、私の中で翳してきた両極端な勘考。どちらもまたあの“狂虎”そのものであったのか・・・!?
 幼い時分から強烈に焦れるほどにその世界観に引き寄せられた“狂虎”T・J・シンという稀代の悪役異人プロレスラーの“ハッスル登場”。そして時を経ての芸人「RG」との絡み、リング上での相対。
 リング外を駆け回るさまはなるほどあの日、あの頃のシンの装い、そのままのように映じた。だが逃げ惑う観客らにあの日、あの頃の緊迫感など勿論、有りようがないのだ。リング上に目を転じればシンは「RG」をコブラ・クローに捕らえる。さも必死に逃れようともがく「RG」。失笑がどこからともなく漏れ聞こえる。そんな館内もいつしか“RGコール”で沸き返る。
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(右 東スポ紙面より)
 まさに隔世の感を覚え、あの日あの頃、猪木氏に狂気の目を宿し、その喉首をえぐり、鮮血を滴らさせていた頃のシンはもうどこにも存してはいないのだと従えた。なのに、シンは未だに“あのシン”足ろうとする。どこまでも“あの狂虎”足ろうとしているのではないか?。
 せつな過ぎるという感情よりも必死に“あの日、あの頃のシン”足ろうとするシンに私はシンのシン足る“矜持”を垣間見ようと努めた。
 この“矜持”プライドなるものに“隔世感”などという感傷ごとは通用しない、はずだろうと思いたいが為に・・・。
 シンはいまでも“狂虎”タイガー・ジェット・シンを全うしようとしているはずだ・・・。
 そのように感じとめてしまっていた私だったろうに、あの「クロマティー」とのリング騒乱ぶり、さてはいままた第64代大相撲横綱「曙太郎」の“化身”たる「モンスター・ボノ」に対峙したシンを凝視した際にふと、ある翳してきたもうひとつの勘考・・・・・・。
 プロレス史上、名高い「伊勢丹襲撃事件」、
 大阪府立の館内で腕をへし折られて喘ぐシンも、
 RGやボノの首をえぐらんとするシンも、シンの中ではあの日の“狂虎”そのものなのではないか・・・。
 もはや矜持も糞も無い、そこには何十年と時を経ようが、シンの中では恒にまたリング上の狂態は『プロレスラーとしてのシン』あるがままでの姿ではないのか?。
 “時の魔術師”によって曇らされてきたフィルターを違う“時の魔術師”の視点でもう一度、覗こうと試みたとき、またもう一方のシン、その虚像がちらついて見えてしまったのであろうか?。
 かつて新日本のリングで戦慄の登場を果たしたシンは、新日本がブッキングした異人レスラーでは無い、という振れ込みで、自ら乗り込んできた「招かざる地獄からの使者」として猪木氏とのライバル闘争を経て、日本での地位を確固たるものにした。
 目玉外人が他に居なかったという側面もあろうが、フレッド・アトキンス仕込の隠し持っていた実力者ぶりを猪木氏が見初め、“視聴率”“観客動員が見込める”という対外的要因も重なって9年間にも及ぶ死闘を猪木氏と繰り広げた。
 ブッチャーの新日本移籍を受け、これを“不服”とするかのように全日本へと転出。あの“まだら狼”上田馬之助氏との復活コンビで故・馬場氏、故・鶴田氏からインター・タッグのベルトをも“強奪”したが、華々しい活躍はこの辺りまでであった。
 FMW参画によって一時、水を得た魚の如く生き生きと荒れ狂うシンが見られたが、再度の新日本登場、馳議員との巌流島決戦、越中選手との平成維新軍興行でのメーンイベント、猪木氏との初タッグ結成、闘魂三銃士ら、次世代レスラーとの激突、だがそのどれもがプロレス界に大いなる傷跡を残すほどのインパクトを残し得なかった。
 シンの狂乱ぶりに強烈に惹かれるものを感じてきたかつての私は、いつしかオフ・ザ・リングの風景で笑顔を絶やさぬシンを見やるたびに、(いや・・・違うよな)という感慨を抱くようになってしまっていた。
 シンの“色”は何をしでかすか判らないといった按配の破天荒ぶり、狂気ぶりなのであって、それを少なくとも非日常では無い場所、リング上以外で潜め薄める、実際の素顔たるシンを覗かせることはマイナスであろうと思い込んできた。
 
 それがどうしたことだろう!?久々に「ハッスル」のリング上で見たシンにはそのような感慨はついぞ抱かせなかった。素顔のシンを晒してしまった上での“狂虎”シン然とした姿勢に私は素直にシンは恒に“素顔”だと思わせていた部分も実は“ギミック”のひとつ足りえたのかな!?などとあらぬことまで思い馳せてしまっていた。
 筆者が幼き時分、縁故もあって多くの異人レスラーと直接、接する機会を得た上でもっともリング上の活躍ぶりと相応しく無いと思わせた男こそ、シン、そのひとであった。強烈なる“内なる我”でさえ纏(まと)っていないかのように普段は何気ない所作の中に落ち着いた寡黙感を漂わせていた。
 「・・・この男が、あのシンなのか!?」
 だが、じろりとこちらを一瞥した瞬間、その蘭(らん)とした両目の輝きにまじまじと射すくめられそうで、そのときはじめて近寄りがたい雰囲気を感じさせ、幼い私を心から脅えさせたものである。
 あれからもう、30年近い歳月が流れてしまった。
 だが、シンもまた“もう一方の稀代の悪役外人”A・T・ブッチャーと共に未だに往時の活躍の場ではないながらも、元気な姿を臨むことが出来る、まさに稀有な異人レスラーのひとりである。
 その背にはあのかつて格闘技界の華とも謳われた、『黄金期のプロレス界』、その威風が漂っているかのようだ。
 されど、感傷ごとというフィルターを通して見やることを拒むかのように今日もT・J・シンは“狂虎”として荒れ狂う。私はそんなシンをいつまでも見ていたい衝動に駆られた。「プロフェッショナル」シンはきっと墓場まで、プロのレスラー、その信義を正しつつ持ち込んでゆく矜持のなんたるかを悟る、プロ中のプロ、漢”に違いない。
 かつて多くの識者によって語られてきた“狂虎”T・J・シンの素顔。その深奥をいまも胸に“狂虎”は“ハッスル”の舞台をも諒として繰り出して行く。シンはきっと死するまでどのようなリングであろうともあのスタイルを崩すことなく吼え続けることだろう。シンのいつまでも変わらぬリング上の佇まいに古き良きプロレス界の匂いが内包されている。
 ☆【あの、時代の風を照射するミルホン・ネット、好評既刊本】
  ⇒栗山満男『ワー・プロを創った男⑤救世主T・J・シン』
  ⇒TOSHI倉森『これがプロレスのルーツだ!カリフラワー・レスラーの誇り』
  ⇒美城丈二『 魂暴風*a martial art side2 感涙の”トップ外国人”プロレスラー篇』
  ⇒ターザン山本!&一揆塾『毒を食らわば皿までも①底無し沼論』
  ⇒タダシ☆タナカ+シュ-ト活字委員会『マット界の黙示録』③』