[ファイトクラブ]第2回大阪ヤマモ会!矢継早やに出るマニア話の宴に心は酔いしれて

[週刊ファイト4月18日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼第2回大阪ヤマモ会!矢継早やに出るマニア話の宴に心は酔いしれて
 photo & text by ルーツ鐘中
・『リングの女豹』(57)映像まで飛び出すプロレス天国の空間「ヤマモ酒」
・山本雅俊氏+週刊ファイト現主幹・タダシ☆タナカとの接点を紐解くと・・・
・藤波辰巳FC誌「闘竜」での山本雅俊とシュート活字提唱タダシ☆タナカ
・今週のレッスルマニア週間、旧ECW勢が聖地2300 Arenaに大集結
・フィラデルフィアは裏WM週4・4Supershowには竹刀持ったサンドマン
・ミスター高橋本の理論下敷きにされた『開戦!プロレス・シュート宣言』
・神取忍vsジャッキー佐藤シュートマッチの真実 WJに、ビックリした!!等


■ 山本雅俊presentsトーク&宴会
昼のヤマモ酒・大阪編『大阪大好き❤』
日時:4月7日(日)
会場:ケイアンドティ心斎橋(JR難波駅徒歩4分 ほかアクセス至便)

 以前ヤマモ会開催時にはなぜか来場者がほとんどなく本当に内輪の会のようなものになってしまい、今回はリベンジを期した開催と相成った。
 いみじくもこの日はピュアJ大阪大会(場所・生野区民センター13時開催)とも被っていたのである。

 ちなみにヤマモ酒のコンセプトはプロレスマニアの秘密基地。門外不出のトークを披露しますであるとのこと。これは当日の来場者にはすごく理解してもらえたであろう。
 確かにプロレス話に飢えている者にとって、ざっくばらんで深く語れて来場者からもプロレスマニア冥利に尽きる話が次々に披露されるというまさに至福のイベントであることを。
 なお内容については来場者の特典であるので読者には非公開であるというのはこれはご承知いただきたい。
 主催の山本雅俊ことヤマモのスタートから、いきなりマニアックな話が全開されて飲み食いが進む者も手が止まったままの者も、それぞれが本当に食い入るような雰囲気に包まれていた。

 次に映像を用いての話は上岡龍太郎司会・進藤晶子アナウンサーがアシスタントの『ズバリ』の「女子プロレスラー50人」という番組に全日本女子プロレス、JWP、LLPW、ガイアジャパン、FMWのレスラーが登場するという、あの当時の女子プロレスの熱狂を忘れられない者にとってはたまらない番組、あまりにも壮観すぎる。次に初めての対抗戦のw井上(井上京子、井上貴子)対尾崎魔弓、キューティー鈴木戦の熱狂。そして1957年の貴重な映画『リングの女豹』のさわり場面。
 来場者すべての者がコクのある話を堪能していたというのはこれは確信をもっていえる。
 記念撮影時もそれを尻目にすぐにさっと帰っていったものは誰もいなかったものだ。
 ヤマモ酒は次回は秋には開催されるということであるが、プロレス天国の空間であるというのは一つ強調をしておきたい。

週刊ファイト面子:みぶ真也ルーツ鐘中山本雅俊大島慶山の諸氏

山本雅俊氏+週刊ファイト現主幹・タダシ☆タナカとの接点を紐解くと・・・

 ヤマモ酒は関西風に言い放つとマニアには、「ほんまに面白いでっせ!」となるんであるが、その勢いのまま2次会でもマニアックな話が何気に飛び出るわ飛び出るわで、ヤマモがその中でも「田中さんの記事は業界にとって必要なんです」と言われたことは伝えておきたい。
 要約すると批評性、業界への提言について。決して当たり障りのない文章に終始するなんてそういうのは何の意味のないことである。知識欲が掻き立てられる事はなく、やる側も「こういう風に書かれたか!次は見てろよ」という健全な競争意識も芽生えないのは活性化に繋がらなくて良い事にはならないからだ。

’18年07月26日号マサ斎藤 G1開幕 Bブロディ CZW 覆面マニア RISE QUINTET 浜田文子

 タダシ☆タナカこと田中正志の略歴を記すとDWA(同志社大学学生プロレス連盟)初代ブッカーであり、その在学中からタブロイド紙・週刊ファイトのアルバイト待遇にて記者活動も開始。のちに初代海外特派員・フランク井上こと井上譲二の後を受けて2代目を継ぐ。初代タイガーマスク対ダイナマイト・キッドの伝説のMSGシングルマッチや同会場でのジミー・スヌーカーの伝説のスーパーフライと称される試合を氏は最前線リングサイドで観ている。

 それ以前にも1980年8月9日のシェイ・スタジアム『ショーダウン第3回大会』のためニューヨークに飛来。井上譲二先輩と合流したという。メインイベントはブルーノ・サンマルティーノ対ラリー・ズビズコの金網決着戦だ。師の裏切り者のかつての弟子の鉄拳制裁劇である。アンドレ・ザ・ジャイアント対ハルク・ホーガン。若き日のホーガンがアンドレをボディスラムを成功させた一戦などもあった。アントニオ猪木や藤波辰巳の参戦は、日本での報道と異なり単にオマケで挿入されたものだった。
 82年よりマンハッタンに移住。この頃の毎月のMSG定期戦には、そのタナカこと初代の松崎一郎ニューヨーク特派員(笑)や、その横にビル・アプター、現在も週刊ファイトと仕事しているジョージ・ナポリターノ記者がリングサイドで撮影しているのが、WWEネットワークのアーカイブで確認出来よう。配信時代とは便利になったものである。

 その後はコロンビア・ビジネス・スクールを卒業してMBA取得、証券マンをしていた時期があり、氏の私生活上で転機となることがあった後に執筆活動をゲリラ的活動ながら再開する。それが徐々に物議を醸し知れ渡る事になり業界関係者(プロレスラー、フロントのトップクラス)、著名マニアにも一部毛嫌いする者も出て、30年以上前からターザン山本こと山本隆司を超える業界のブラックリストの筆頭と言われるほどの存在に。氏のことを「ケーフェイ・シートの人」と言ったプロレスラーもいたそうな。

藤波辰巳FC誌「闘竜」での山本雅俊とシュート活字提唱タダシ☆タナカ

▼闘竜年表 1978-93 『闘竜ベストセレクションVol.8』

闘竜年表 1978-93 『闘竜ベストセレクションVol.8』

▼ヤマモ山本雅俊スペシャルインタビュー『Best of 闘竜』

ヤマモ山本雅俊スペシャルインタビュー『Best of 闘竜』

▼闘竜年表 1994-2006 『闘竜ベストセレクション』

闘竜年表 1994-2006 『闘竜ベストセレクション』

 当時、タナカは藤波辰繭ファンクラブの「闘竜」にコンタクト。
 「闘竜」はタナカとの関わりを“悪魔の書”さながら部分的以上に感化されて、与えられたものを普通に受け入れるミーハーから大いに路線変更、会員もそれを受け入れれる者とそうでない者もやはりいた模様である。本当に我々が面白いプロレスの観戦記がより多く掲載されるようになった。それが大阪プロレスやJWPなどである。
 福岡晶率いるユニット名も闘竜が発祥でもあったりする。

山本雅俊著作

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