ダウンタウン・松本人志問題とプロレスとの関係とは!?

トップ画像:wikipediaより引用

 現在、テレビ業界は『松ちゃん問題』で揺れている。お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志による性加害を週刊文春が報じ、訴訟問題にまで発展した。
 松本人志は、裁判に専念するため芸能活動を休止すると発表。これにより、超売れっ子である松本人志を番組の軸としていたテレビ局は対応に大わらわとなった。

 そんな中、NHKは吉本興業の芸人を斬り捨てるのではないか、と報じられている。松本人志といえば、吉本興業のドル箱スター。そんな松本人志のスキャンダルにより、吉本芸人のイメージが失墜した。
 何よりも、民間放送とは一線を画す、公共放送たるNHKは清廉潔白を出演者に求める。松本人志問題により『吉本芸人は女遊びが派手』と十把一絡げにしようというのか。

 そもそも、NHKは吉本興業とジャニーズ事務所に頼り切っていた。もちろん、それは民放も同じだが、この芸能界両巨頭による相次ぐ不祥事で、NHKも窮地に追いやられたと言える。

日本にとってあまりにも大きな隔たりがあった9年間

 話しは変わって、2月19日は『プロレスの日』とされている。1954年2月19日、東京・蔵前国技館で行われたプロレス興行により、日本で本格的なプロレスが始まったのだ。
 それまでも日本でプロレスが行われたことはあったものの、ほとんど注目されていなかった。だが、この日のプロレス興行は、特別な意味があったのだ。

 この日、初めてプロレスがテレビで本放送されたのである。試験放送では以前にもプロレス中継はあったが、この記念すべき日から70年経った。つまり、今年はプロレス70周年である。
 大相撲出身の力道山と、柔道出身の木村政彦がタッグを組み、ベン&マイクのシャープ兄弟を迎え撃った。この日を境に、日本はプロレス・ブームが始まったと言っていいだろう。

 1954年といえば、太平洋戦争での敗戦からまだ9年しか経っていない。たとえば今から9年前といえば2015年だが、この年はラグビー・ワールドカップで日本代表が南アフリカ代表(スプリングボクス)に歴史的勝利を収め、とにかく明るい安村の『安心してください、穿いてますよ』のギャグが流行した。昨年の2023年、安村の同じギャグが海外でももてはやされたのは記憶に新しいところである。
 2015年、スマートフォンの普及率がほぼ半数に達した。筆者にとっては、9年前とは一昨日ぐらいの感覚でしかない。十年一昔というが、9年だと一昔すら経っていないのだ。

 だが、1954年当時の日本人から見ると、9年前は大昔のように感じていたに違いない。何しろ1945年の春先は米軍の空襲に怯え、実際におびただしい焼夷弾によって日本の都市は焼け野原になり、8月には2発の原子爆弾を食らって日本は連合国に無条件降伏した。
 日本は連合国の占領下となり、独立国ではなくなったのだ。サンフランシスコ講和条約により、ようやく独立を回復したのは7年後の1952年である。つまり『プロレス元年』の僅か2年前だ。

 その翌年、1953年に日本でもテレビ放送が開始された。8年前まで『欲しがりません、勝つまでは』の時代だったのだから、驚くべき進歩だろう。だが、まだ一般的には普及していない。
 そこで、テレビ普及の担い手として白羽の矢が立ったのがプロレスである。この頃、大相撲を廃業した力道山が、プロレスラーとしてアメリカやハワイで修業を積んだ。海外旅行なんて夢また夢の時代、日本にとってアメリカは絶対に手の届かない憧れの地だったのだ。そして、太平洋戦争で日本をフルボッコにしたアメリカは、永久に勝てない国と日本人に思われていたのである。

▼プロレス修業のため、ハワイに降り立った力道山。羽織袴に大銀杏という関取スタイル

今では考えられない、NHKによるプロレス放送

 テレビ放送が始まった1953年、電波による情報や娯楽はまだまだラジオが主流だった。テレビ局はNHKと民放の日本テレビの2局のみで、日テレは昼2時間・夜4時間が基本放送という現在では有り得ない短時間。
 ただし、スポーツ放送だけは基本番組とは別枠で、特に大相撲、野球、ボクシングが人気番組だった。当時はVTRがなかったため、演劇などでは間が持てないが、スポーツは連続性があってテンポが良く、しかも勝敗を争うので視聴者が熱狂しやすくテレビ向きだったのである。

 そして、テレビ放送が始まった半年後の1954年2月19日、遂に本放送によるプロレス中継が始まった。蔵前国技館で3日間の興行だ。
 まだ関東地区の各家庭でのテレビ普及は僅かに1万台強で、とても商売にはならない。そこで、人が集まりやすい駅前に街頭テレビを設置したのだ。

 予定では、プロレスは日テレの独占放送となっていた。ところが、ここにNHKが割って入ったのだ。『テレビ伸長のため』とNHKはもっともらしい理由を付けたが、要するにプロレスが人気になりそうだったため、公共放送の名の元に強引に割り込んできたのである。
 これにより、2月19日のプロレス放送は、NHKと日テレによる2局中継となった。

 この、NHKによるプロレス中継を手助けしたのは、他ならぬ吉本興業である。当時からNHKと吉本興業に太いパイプがあったのだ。
 当時の芸能界は戦前から引き続き、山口組などの暴力団が仕切っていた。もちろん、吉本興業もその一社である。つまり、NHKそのものが暴力団に関与していたわけだ。

 今の時代なら『反社会的勢力との交友』と断罪されるが、この頃はそれが当たり前だった。日本プロレス協会の設立には力道山と近しい暴力団が深く関わり、日本プロレス協会の初代会長は政権与党である自由民主党の副総裁だった大野伴睦なのだから、言ってみれば政界と暴力団は癒着していたのである。もちろん、NHKや民放も例外ではない。暴力団を取り締まるべき警察だって、ヤクザを散々利用していた。つまり、暴力団は『正・社会的勢力』だったわけだ。
 しかし、日本も高度経済成長を迎え、大企業が力を付けてくれば、暴力団は用済みとなった。そうなると、国民による反社に対する厳しい目もあり、政界や警察は手の平を返して暴力団を斬り捨てる。暴力団の肩を持つつもりはないが、ヤクザ連中にとっては政界や警察の方が仁義を守らない『反社会的勢力』なのだろう。

 プロレス中継に話を戻すと、NHKによる横車も初日だけに終わった。ショー的要素が強く、暴力的なプロレスを放送することにNHK内では反対意見が多かったうえに、日本プロレスと日テレとの強固なラインにこれ以上NHKは立ち入れず、2日目以降の放送は見合わせたのである。もっとも、力道山時代にはNHKも何度かプロレス放送をした。
 このプロレス本放送から22年後、異種格闘技戦のアントニオ猪木vs.モハメド・アリについて、NHKのキャスターだった磯村尚徳氏は『NHKニュースで取り上げるまでもない茶番劇』と言い放った。つまり、プロレスごときは大NHKが報道する価値もないと言いたかったわけだが、その『茶番劇』をNHKはプロレス黎明期に放送していたのである。

 時代は下って令和となった現在、吉本興業やジャニーズ事務所との蜜月関係は、ブーメランのようにNHKへ跳ね返ってきたのは皮肉というべきか。
 そのNHKが吉本興業を斬り捨てるというのだから、本当だとしたら時代も変わったものだ。


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