一目置かれた先駆者☆追悼”Exotic”エイドリアン・ストリート

2005年4月16日カリフラワー・アレイ・クラブよりリンダ、藤井敏之特派員、エイドリアン、ドン・レオ・ジョナサン

 by タダシ☆タナカ

 エイドリアン・ストリートは先駆者だった。
 記者がアメリカに移住したのが1982年からであり、ちょうどその頃、英国ウェールズ出身の41歳になったエイドリアンも米国に渡り、ロサンゼルスのNWAハリウッド・レスリングに登場した。お付のリンダを従え、派手な原色の衣装にメイク、いわゆる「オカマ」ギミックでテレビ番組にお披露目、オリンピック・オーディトリアムでは”The Battle of the Undefeated” (無敗同士の闘い)と銘打たれたミル・マスカラス戦に負けるのだが、どっちがケバく目立ったか、印象に残ったかという話である。

 さらに翌年にはフロリダのCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)にて、ダスティ・ローデスとの抗争を開始。米国在住者にとっては目につく存在だったのだ。この時に親父の試合を見ていた息子のダスティンは、のちに「ゴールドダスト」ギミックの原点にした。エイドリアンとリンダはその後米国の各テリトリーに遠征するが、英国ウェールズに戻るまでフロリダ北部のガルフ・ブリーズに長く居住する。レスリング・スクール”Skull Krushers Wrestling School” のトレーナーをしていたが、ハリケーンIvanがスクールを全壊させたこともあり、故郷ウェールズに戻っている。

 本誌が直近でエイドリアンを取り上げたのは2022年9月3日、WWEのウェールズ遠征『Clash at the Castle』である。トリプルHとバックステージで写真に納まっていたが、毎日のトレーニングを欠かさず、「いたって元気」と伝えられていた。

▼欧州通喜ばせた元祖オカマ現禿頭エイドリアン・ストリート顔見世リンダ

[ファイトクラブ]骨太試合内容 集客 顧客満足度でも頂点極めたWWEウェールズ遠征

 お尻をなでたりキッスを迫ったりのリング芸を披露するおかまレスラーなら、すでに1980年の新日本プロレス『ビック・ファイト・シリーズ』から、メキシコのロス・エクソティコス(エル・グレコ&セルヒヨ・エル・エルモソ)が来日して投げキッスで愛嬌を振り巻いていたが、超ド派手なコスチュームに、もはやペイント・レスラー元祖とも言えるメイク、さらに女子マネージャーを従えとなると、これは他に類を見ない。

 典型的な英国の炭鉱夫ファミリーとして1950年12月5日に生まれたエイドリアンは、「バレエ・ダンサーになる」と親に反抗する、映画『リトル・ダンサー』のplotと極めてよく似ている。レスラーになる、しかもゲイ・レスラーを売りにするとなれば、当時の時代を思えばいかに「反逆」であったことか。なにしろ父親が炭鉱夫として働き出したのは14歳だったそうで、エイドリアンも無理やりで炭鉱夫になったのだが、ロンドンに行ってレスラーになる夢を実行に移す。1957年8月8日、憧れていたドン・レオ・ジョナサンにあやかったキッド・ターザン・ジョナサン(Kid Tarzan Jonathan)のリングネームでデビュー。16歳だった。

撮影:藤井敏之

 ジョナサンを目標としたように、ケバいメイクだろうが「腕っぷしの強い炭鉱夫出身のタフガイ・レスラー」そのものであり、筋骨隆々のボディビルダーにして、本物のシューターだったことは述べるまでもない。

 ちなみに食っていくためにカーニバル・ボクシングに参戦していたエイドリアンは、長年「ボクシングはワークで、プロレスはリアル」と思い込んでいたそうで、仲間から「プロレスなんかフェイクじゃないか」とファン時代のエイドリアンがからかわれると、「そうじゃない」とムキになっていたそうな。実際、最初の試合で現場監督から”負け役”を告げられた時、なんのことがマジにわからず、アームバーで相手の腕をボキっとやって”勝ってしまった”逸話がある。

 先駆者というのは多岐に及ぶ。最初に自身が書いて唄ったレコードを発売してそれを会場で売ったりした。「世界で最初に入場曲を使いだしたのは誰か?」には諸説があるのだが、間違いなくエイドリアンも極めて早くからリンダを引き連れた入場にロックを使っていた。対戦相手が「こんなレコード、誰が聴くのか!」とリング上で塩化ビニールをヒザで割らせて、おかげでグッズ販売は大盛況という仕組みである。ヒール稼業の極意をわかっていた。後年は自身がデザインしたリング・コスチュームの制作販売を手掛ける“The Bizarre Bazaar”を運営しており、ミック・フォーリーのデュード・ラブや、ドインク・ザ・クラウンも顧客だったという。後進に与えた影響の大きさからも、先駆者は評価されねばならない。

 これらの細かい情報は、エイドリアンに関する2本のドキュメンタリー、“The Life and Times of Adrian Street”と、2019年公開の“You May Be Pretty, But I am Beautiful: The Adrian Street story”から借用させてもらったが、後者はNXT UKが動き出して現地でインタビュー収録されたものだ。

 本誌とのかかわりでは、2005年のカリフラワー・アレイ・クラブ総会で藤井敏之特派員が撮影に成功している。驚いたのは元女子レスラーのエンジェル・ダストことリンダは、当然に妻なんだろうと思っていたものの結婚はしてなくて、この2005年にラスベガスでついに正式な結婚式を挙げたこと。そしてそのベストマン(仲人)が、ドン・レオ・ジョナサンだったのだ。16歳のデビューから歴史は一周したのである。

 日本で闘った記録はない。1990年代前半、日本テレビのバラエティ番組『世界まる見え! テレビ特捜部』の異色レスラー特集にスペシャル・ゲストとして出演、来日を果たしたそうだ。当時米国在住の記者は見れてはいない。その際に、「ビリー・ライレー・ジム出身の本物!」と紹介されたそうなのだが、許される範囲なのではなかろうか。おかまレスラーの仮面の裏は、タフガイにしてシューターだったのだから。

 2023年7月24日没。享年82歳。ご冥福をお祈りいたします。


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