[Fightドキュメンタリー劇場 42] I編集長が深淵に斬り込む~1978「プレ日本選手権」とは何だったのか

[週刊ファイト10月6日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼[Fightドキュメンタリー劇場 42] 井上義啓の喫茶店トーク
 I編集長が深淵に斬り込む~1978「プレ日本選手権」とは何だったのか
 by Favorite Cafe 管理人


 アメリカを拠点に活躍するヒロ・マツダは言った。「日本の団体、レスラー達は、アメリカで闘っている俺達のことを見下している。アメリカのマットで俺たちはホントの意味での実力勝負を毎日毎日やっている。プロレスの実力的にはこっちのほうが上だ」と。それを聞いた新間氏は、日本選手権開催の好機だと捉えて、すぐに動き出した。

■ 闘いのワンダーランド #056(1997.02.20放送)「I編集長の喫茶店トーク」
 1978.12.16 蔵前国技館
  プレ日本選手権決勝戦
  アントニオ猪木 vs.ヒロ・マツダ

1978年12月16日 蔵前国技館(TV放送画面より)

(I編集長) 今日は昭和53年12月16日、蔵前国技館で行われました「プレ日本選手権・決勝」アントニオ猪木vs.ヒロ・マツダ戦です。このシリーズは非常にユニークなシリーズでありますし、新鮮な顔合わせも多いんですよね。まずは、この「プレ日本選手権」とは一体何なんだという疑問を持たれた方は多いと思うんです。決勝戦の試合は見ていただいた通り、猪木が卍固めでヒロ・マツダを切って落とした、それで優勝したというフィナーレなんですけども、気になるのはその背景ですね。やっぱりこれを説明しておかないと、「プレ」とか、何のことだかさっぱりわからないでしょう。この「プレ日本選手権」が行われるまでのいろんな経緯(いきさつ)が面白いんですよ。ですからそれを思いつくまま時間いっぱいお話します。

(I編集長) そもそもこの発想はどこから生まれたのかというと、新間寿さん、当時の新日本プロレスの営業本部長をやっておられました新間さんですね。この新間さんが考えついたアイディアなんです。あの人は頭がいいですからね、色んなことを考える。そのヒントと言うか、とっ掛かりは何かといいますと、ロサンゼルスで、マツダとか、ドクター・ヒロ・オオタ、これはまあ、名前を申し上げても分からん人が多いと思いますけども、ヤス・フジイですね、彼らと新間さんとが食事をしたんですよ。

新間寿氏、ヒロ・マツダ

(I編集長) その時に彼らは、「日本の団体だとかレスラーだとかは、アメリカで闘っておる俺達のことを見下している」と言ったんですね。「我々はこれだけ実力があって、ホントの意味での実力勝負をアメリカのマットで毎日毎日やっている。日本にいるレスラーたちは、ぬくぬくと温床に浸って、極端に言えばぬるま湯に浸かって、ええかげんな試合をやっている。実力的にはこっちのほうが上なんだ。それなのに我々一匹狼をバカにしたり、たいしたことはないと言う。ケシカランじゃないか。どうですか、新間さん!」と、こう言い出した訳ですよね。

ヒロ・オオタは後のストロング・マシーン3号と言われている

(I編集長) この話を聞いた新間さんは、これは面白いと思ったんですね。「そうか、あなたたちがそれだけ言うんだったら、猪木とか馬場とかと闘って、優劣を競ったらどうですか? そうしたらどちらが強いか分かるじゃないですか」とけしかけたんです。するとマツダも、オオタも「ああ、是非やろうじゃないですか。それじゃあ、日本で興行を打つことができる新日さんに大会開催をお願いしますよ」となったんですね。それで新間さんが「これで行こう」と考えたんです。新間さんがけしかけたというのは私の推測ですよ。推測だけども、おそらくそうですよ。あの人は切れ者ですからね。

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(I編集長) 新間さんは日本に帰ってから、早速そのことを私にも話したし、他のマスコミにも話す訳ですよ。そうやって煽っておいて、日本の三団体と海外で闘っているフリーの選手を集めて「日本選手権シリーズを開催する」とアドバルーンをあげたんです。この頃、上田馬之助あたりも日本選手権のことをしょっちゅう言っていましたね。「日本には日本チャンピオンがいない。統合チャンピオンがいない。アメリカにはNWAという大きな組織があって、NWA世界ヘビー級チャンピオンがアメリカのナンバーワンレスラーと認められている。アメリカにはそういったハッキリとした目安がある。一方、日本には団体がいくつもあるのに統合チャンピオン、一番上のチャンピオンがいない」と。だからアメリカのプロモーターとかレスラーとかが、「日本のチャンピオンは一体誰なんだ。ナンバーワンは誰なんだ?」と、いつも上田に聞いてくると言うんですね。だから上田は常々「日本にはコミッショナーが無いことで、各団体がバラバラにやっている。だからいつまで経っても日本のプロレスを海外にアピールできない」と言っていましたよ。

NWA王者 ハーリー・レイス 新日プロは二階堂進氏をコミッショナーに立てていた

(I編集長) だからヒロ・マツダ達の思いや、上田馬之助の考えていたこと、そういったことをまとめて一つの興行にしようと新間さんが動き出したんですね。少し遡りますが、前年の昭和52年1月4日の東スポさんのプロレス大賞の授賞式ではアントニオ猪木の爆弾発言もあったんです。この年の最高殊勲選手・MVPは猪木だったんです。その他に、タッグがどうだとか、敢闘賞がどうだとか、女子プロの優秀選手はどうだとか、色んな表彰がされましたね。関係者が400人ぐらい、ズラーッと列席しましてスコミはカメラの砲列を敷いてました。

写真は、1983年のプロレス大賞

(I編集長) 壇上には猪木が立って、無論その横には馬場さんが居る、鶴田も居るってなもんですよ。その壇上の挨拶で猪木がいきなり、「馬場さん、今年はシングルのタイトルを統一しようじゃないですか」と、こう呼びかけたわけですよ。
 馬場さんにしてみたらビックリですよね、これ。なんの打ち合わせもなくイキナリですから。ビックリしたんだけど、ああいった席、マスコミや関係者の見ている前で「そんなことはできない、お前は何を言っているんだ」と言うことは出来ませんからね。だから馬場も「そうだね、統一する方向で努力しましょう」と、そういうふうな事を言うんだけども、実際には苦り切っているわけですよ。だから後で「なんであの席でいきなり、あんなことを言うんだ」と揉めたんですね。

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(I編集長) 昭和52年の始めには、そういったこともあったんです。そして翌年に新日本プロレスが「日本でのナンバーワンは誰か、それを決めようじゃないか」と“日本選手権”と称した大会のアドバルーンを「バーン」と上げてしまったんですよ。海外で闘っている日本人レスラーたち、これをまあ、一匹狼の集まりだから便宜上「狼軍団」とか言ったんですよね。まあ、わかりやすく「マツダ軍団」とも言われましたね。「新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレス、これに加えてマツダ軍団、この4つのグループが集まって、ナンバーワンを決める」と、新日本プロレスが言い出したんです。

(I編集長) ただ、ここでマツダ軍団と言っても、ヒロ・マツダが親玉じゃないんですよね。ひとまとめにされた一匹狼の連中はマツダの部下でも何でも無いんですから。だから上田が言ってましたよ、「俺はこの大会の趣旨に賛同して、このグループに入るけども、マツダの子分じゃない、マツダ傘下じゃ無い。日本のマスコミが書いている記事を見ると、皆がマツダの下についているように見えるけども、そうじゃない。マツダが提唱している日本のナンバーワンを決めようという趣旨は、オレが言い出したことでもあるんだから、これについては賛同するということだ。だから俺も一匹狼の軍団に名を連ねたんだ」と。

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(I編集長) 本当にマツダの傘下にいたのは、当時国際プロレスからフリー宣言をしてフロリダ・タンパのマツダの所に武者修行に来ていた剛竜馬ですね。彼は元々は国際プロレスの若手ナンバーワンだった選手です。これがマツダのところに行っていたんです。だから「狼軍団」と言っても、普段はそれぞれ別々に活動していますから、国プロ系、全日系、新日系と異なる背景をもつレスラー達がいて、新間さんはそれをひとくくりにしようと考えていたんですね。

剛竜馬(週刊ファイト1977年1月4日号)

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剛竜馬追悼 プロレス馬鹿一代記


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