[Fightドキュメンタリー劇場 39]シン、上田 仲間割れの真相 1978年9月19日 大坂府立体育館

[週刊ファイト9月15日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼[Fightドキュメンタリー劇場 39] 井上義啓の喫茶店トーク
 シン、上田 仲間割れの真相 1978年9月19日 大坂府立体育館
 by Favorite Cafe 管理人

 新日プロの新間営業本部長から「大阪ではどんな試合をやったら客が入るんだろう?」と相談されたI編集長は、「タイガー・ジェット・シンと上田馬之助を闘わせるぐらいじゃないと、大阪のファンは満足しませんよ」答えた。そして二年の時を経てそれがついに実現することになったのだ。しかし、この試合は単なる話題作りのための悪役同士の仲間割れではなかった。

■ 闘いのワンダーランド #051(1997.02.13放送)「I編集長の喫茶店トーク」
 1978.09.19 大阪府立体育会館
  タイガー・ジェット・シン vs. 上田馬之助
  (※特別レフェリー:アントニオ猪木)

1978年9月19日 大坂府立体育館(TV放送画面より)

(I編集長) 今日の試合は53年9月19日、大阪府立体育館で行われた、タイガー・ジェット・シンvs.上田馬之助という非常にユニークなカードです。この二人は非常に仲の良いタッグチームなんですよ。それが喧嘩別れして「バラバラ」になって、そしてシングルで闘うことになったんですね。
 ただここで私がお断りしておきたいのは、ファンのみなさんは「話題作りのために二人を仲間割れさせて、いがみ合うようにさせたんだろう」と思っておられる方が多いだろうということです。おそらくプロレス記者の中でもそう思っている人がいると思いますよ。これをね、猪木弁護士会の会長としては、やっぱり弁護しなくちゃいけないと思ってお話しするんです。

(I編集長) これ、事の発端というのはね、非常に気楽な話になりますけどね、私が新間氏と話したことが始まりなんですよ。というのは新間氏から「井上さん、大阪ではいったいどんな試合が受けるんだ?」という相談をされたんです。私は「大阪のファンには、型苦しいタイトルマッチなんかではダメだ。東京じゃ受けるかもしれないけど、大阪じゃあ、ひと山いくらの博打で儲けるぐらいの試合じゃないと。もう実質本位で見られるからね」と言ったんです。

大坂府立体育館

(I編集長) それで新間さんから「じゃあ、それはどんな試合なんだ」と言われたんですが、そんなにすぐに思いつくモノでも無いですからね。まあ、「ポッ」と、口から出まかせに言った訳ですよ、「たとえば、シンと上田が喧嘩別れして、この二人がいがみ合ってデスマッチをやる、そういった試合だと受けるでしょうね」と。その時には、他に思いつかなかったということもあるんです。それがね、この話の二年後に本当に実現してしまったんです。これ、新間さんが私との話を頭において実現させたのかどうかは知りませんよ。しかし結果的にそうなってしまったんですね。だから私はこの試合に対しては、もの凄く思い入れが深いんですよ。私があんなこと言ったから、実現したんじゃないかということがありますからね。ただ、さっき申し上げましたようにね、この試合は二人をいがみ合わせるようなことを演出としてやったんだとか、そういうんじゃないですよ。話は非常にシビアなもので、ホンマもんのいがみ合いだったんですよ、これ。

(I編集長) この年の6月のあたまに新日プロのMSGシリーズが終了しまして、来日していた外人部隊がロサンゼルス経由でアメリカに帰って行ったんです。上田もフロリダのペンサコーラに住んでいましたから外人部隊と一緒にアメリカに帰りますよね。

上田馬之助(ペンサコーラにて)

(I編集長) 上田は当時、馬場さんにも挑戦状を叩きつけておったんです。上田馬之助には、仙台とか福岡とか、そういったところに上田後援会がありました。上田は一匹狼ですから、そういった組織を動員して、「上田vs.馬場、闘うべし」という流れを作ろうとしていたんですよ。後援会を通じて署名を集めてね。上田が帰国する空港でウチの記者が話を聞いたんですが、「だいぶ署名が集まったので、これを馬場に突きつけて実現させる」というような話をしてくれたんです。そうなると上田が全日に行くかも知れない、これがシンとの仲間割れの原因の一つですね。

上田馬之助後援会報 Vol.1

(I編集長) それとは別に、もう一つ大きな原因があったんですよ。MSGシリーズが終わって、当時新日の若手だった木村健吾がアメリカ遠征に行ったんです。木村は別の飛行機でロサンゼルスに入ったんですね。その時に木村がロスの会場に行ってビックリしたわけですよ。なんと、2日前に新日で闘っておった同じメンバー全員がそのままいたんです。健吾は知らなかったんですけど、その当時、ロスのマイク・ラーベルはそういったシステムで興行を組んでいたんです。

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美城丈二の“80’s・プロレス黄金狂時代”Act⑯【上田馬之助という名の“常識”】

(I編集長) 日本に遠征した連中は、シリーズが終わったら全員アメリカに帰りますね。帰国するときには、まず日本からロサンゼルスに入って、そこから国内便で自分の住んでいる所に移動するんです。ラーベルにしてみたら、全米各地からレスラーを集めてくるのは大変な仕事なんですけど、これをマクマホンと契約をしておけば、新日本のシリーズが終わって日本から帰ってくる時に、レスラーが自動的にロスに集まる訳ですよ。だから帰国したレスラー達もすぐに各地に散るんじゃなくて、一泊してオーディトリアムで試合をやって、ひと稼ぎしてから解散するシステムになっていたんです。今ならね、アメリカのファンも直前に日本でのそういったシリーズがあったことを知っておってね、「なんだこの前、日本でやった試合と同じじゃないか」となるんだけども、あの時代のファンは当然そういう事を知らんわけですよ。だからそれで良かったんですよ。たとえば「マッチメイクは日本でやったのと同じでいいよ」とかね、そういった事だったらしいですよ。

ビンス・マクマホン(左)、マイク・ラーベル(右)

(I編集長) そこで上田も試合に出場したんですけど、上田はタイガー・ジェット・シンにロサンゼルスのオーディトリアムでも、一緒にもう一試合やろうと誘ったんですね。ところがシンはマクマホンのブッキングじゃなくて、新日本プロレスとの直接契約なんですよ。ですからシンだけ他のルートで直接カナダに帰るんです。だからシンは、「俺は早く帰って女房と愛しい子供の顔を見るんだ」と断ったわけですよ。まあ、当時シンが断った理由は、それだけじゃなくてね、シンは貿易会社の社長だから、そのビジネスもあったんです。そういうことだったので、ロスでは上田は木村健吾と組んで試合をして、その後も上田と健吾は田子作スタイルでアメリカを荒らし回ったんです。

(I編集長) 当時シンは「アジアサーキット」というのを考えていたんですよね。インド、パキスタン、シンガポール、フィリピンとか、そういったところをサーキットする計画ですよ。自分がプロモーターであり、オーナーであって、サーキットのトップレスラーとして闘う。そのサーキットには新日本プロレスの協力が必要だから、そこで上田に新日本プロレスとのパイプ役を果たしてもらおうと考えていたんです。だからシンは上田に「お前がオレの片腕としてやってくれ」と話しておったんですね。その話は上田も「イエッサー」と言って快諾していたんです。

(I編集長) そして上田馬之助と組んで闘っているアメリカ遠征中の木村健吾からは、毎日のように新間さんに報告が行くわけですよね。その報告を聞いて、策士の新間さんがひらめいたんですよ。新間さんは、シンのところに電話をしたんですね。「ミスター・シン、上田は木村健吾と組んでアメリカで闘ってる。あんたと手を切るんじゃ無いか?」「それに、上田は日本のファンから署名を集めて馬場に挑戦状を叩きつけている。上田は全日に行く気かも知れない」と。「だから、あんたが考えているアジアサーキットも出来なくなるかも知れないよ」とそんな風に伝えたんです。まあ、シンにとっては、アメリカで上田と健吾が組んでいることは、ハッキリ言ってどうでもいいんですよ。ビジネスですからね。それよりも、アジアサーキットがパーになる、シンを裏切って全日本プロレスに行こうとしている、そのことにシンは「カチーン」と来たわけですね。

(I編集長) そんな状態で8月になって、新日のシリーズにシンと上田が来日しましたわな。シンは上田馬之助に「お前、馬場に挑戦状を出すとかやってるじゃ無いか、馬場がウンと言ったら、全日に行くのか?」と問い詰めたんですよ。馬場と闘うとなると上田は全日プロに行っちゃいますね。一匹狼だからと言っても、向こうでも闘う、こっちでも闘うとはなりませんよ。全日プロに行ってしまったが最後、シンとはタッグ解消だし、当然アジアサーキットも出来なくなるんですよ。だからシンは上田に「どうしてくれるんだ」と言うわけですよ。

(I編集長) 一方の上田は仲間割れしたくないんですね。上田はシンと仲間割れしたら、ハッキリ言って商売になりませんよ。上田はシンの相棒として大きな価値がありますからね。「これは誤解だ。馬場に挑戦していることは確かだけども、馬場は受けるはずが無い。新日プロを盛り上げるためにやってるんだから、全日に行くことは無い」と何度も説明しましたよ。だから、「アジアサーキットにもちゃんと協力する」と言ったんだけれども、シンは聞く耳を持たなかったんです。

(I編集長) それで上田は困ってしまってですね、マスコミに「なんとかしてくれ。シンの誤解を解いてくれ」と頼み込んできたんですよ。僕の所にも電話がかかってきましたよ。「編集長、申し訳ないけど8月25日の開幕戦の長岡大会に来てくれ。(マネージャーの)本田さんと一緒にシンを説得してくれ」と。当時上田には本田治(ほんだおさむ)さんというマネージャーがついておったんですよね。

(I編集長) 上田は週刊ファイトのために協力してくれる男でしたから、その話を聞いて私は長岡に行くことにしたんです。僕はその当時、ちょうど肋骨を折る怪我をしていたんですよ。試合中にレスラーにぶつかってこられてね。荒川でしたかね、若い頃には元気のいいファイトをするでしょ。「ガーン」とぶつかってきたときに、僕が逃げ損なったんです。当時の週刊ファイトの雑感にも「編集長はそういった状態だったけども、上田の依頼を受けて長岡大会に出かけていった」と書いてあるんですよ。僕が書いたんじゃないですよ、これは。

(I編集長) それで開幕戦の長岡の会場に行ったらね、上田がシンの控え室に入るなり大げんかが始まったんですよ。「ブワーン」とイスを投げる音が聞こえてね、シンが大声で怒鳴っている。それで真っ青な顔をして本田さんが飛び出してくる、そのあとすぐ上田も出てきました。それで上田が「こんな状態ですよ、どうにもならない」と言うんです。もちろん、カメラマンも記者も誰もシンに近寄れませんよ。シンの周りには誰も居れなかったですよ。

(I編集長) その日の試合が終わったあと、僕はシンの泊まっているホテルへ行ったんですよ。シンと話をするように頼まれてましたらね。そしたらシンが出てきて「ジローッ」とこちらを見るんです。あいつは手には竹刀を持ってるわけですよ。そのあと上田と本田さんが来たところで、いきなりシンが僕の方へ飛びかかってきたんです。それで竹刀で「ガーン」と突いてきたわけですよ。ホテルのロビーですよ。あんまり大きなホテルじゃ無かったんですけどね。僕はソファーに座って待ってたんですが、こうやって竹刀を避けたんですよ。避けたからまだ良かったんです。まともに受けておったら、肋骨にヒビも入っていた状態だから、もう救急車で運ばれるところですよ。そんなことになったらもう、たまりませんよ。その時に瞬間的に避けたので、竹刀は後ろから飛んで来る形になりましたよ。竹刀が僕の体に「ガーン」と当たったのは、ちょうどこのベルトの所だったんですね。それで僕は吹っ飛びましたけどね、ラッキーだったのは吹っ飛んだところがソファーの上ですよ、だからそんなに大きなダメージは被らなかったんです。

この番組で長岡のホテルの話が出るのは、3回目

(I編集長) それを上田も必死になって止めてくれたし、ホテルのロビーだから支配人も真っ青な顔をしてすっ飛んできましたよ。ヤッパリ支配人というのはエライもんですね、自分の身を挺して立ちふさがって止めてくれましたよ。そこでやっとシンが引いたんですよね。さすがに支配人は一般の人ですから、シンも手を出せませんね。
 そんな状態だから、もう話し合いどころじゃ無いですよ。シンはそのまま出て行ってしまうしね、私の方から「待て!」ともとても言えませんからね。だからそれでシンとの話はパーになってしまったんです。そういうことがあったぐらい、シンの怒りはホンマもんだったんですよ、これ。

(I編集長) 上田は「俺は喧嘩別れなんかはしたくない。だから説明するんだけども、シンがどうしても聞く耳をもたない」と言って泣いてましたよ。そりゃあそうでしょう、ホントを言うと高橋レフリーがなんとかしてくれなくちゃいけないんですね。高橋レフリーはシンから「高橋さん」と呼ばれていたんですよ。シンは猪木にさえ「イノキ!」と呼び捨てにする男ですよ。それが高橋レフリーだけは「タカハシサン」と呼んでいましたね。あとは上田のことも「ウエダサン」と呼んでいました。この二人に対してだけですね、シンが「サン」を付けて呼んでいたのは。
ところがシンが信用して「タカハシサン」と呼ぶ高橋レフリーも、「上田のことは新間さんの言うとおりだよ」とシンに吹き込んでいたに違いないですよ、私が察するのには。新間さんから言われてたんでしょうね。シンが聞いてきたら「新間が言った通りだ、上田は馬場と闘いたいと考えている」そう言っておいてくれと言われていたに違いないですよ。これは私の推測ですよ。そうじゃなかったらですね、高橋レフリーが仲裁に入って、シンは上田の説明をちゃんと聞いて受け入れる筈なんですよ。

高橋レフリーとI編集長(左)

(I編集長) そういったことが続いていたんですが、シリーズの最初の頃はそんな状況でも上田は我慢していたんですよ、蹴飛ばされても殴られても。それでも控え室は毎日毎日、シンと同じなんですからね。だから上田は「たまりませんよ、もう精神的に参ってしまう」と言っていましたよ。ホテルなんかも上田は外人組のホテルですからね。シンと揉めているなら、日本人組のホテルでどうぞ、とはなりませんよ。ただこのシリーズの終わりのぐらいには、シンの方が別のホテルを取ってね、別々に泊まったりしていました。

(I編集長) 9月1日の福島・会津大会で6人タッグが行われたときに、とうとう爆発するんですよ。6人タッグマッチで、猪木・小林・藤波組、外人側が、シン・上田・カーン(=ジンバ・カーン)。開幕から一週間経って、シンと上田が仲直りするような雰囲気が出ていたんですね。周りが一生懸命説得しましたから、シンも納得しかけていて、二人の仲も修復出来そうだということで6人タッグの試合になったんですよね。
 それが6人タッグの三本目にですね、藤波が鮮やかな逆さ押さえ込みでカーンを押さえてしまったんです。それを見た上田が、「お前、だらしない負け方をしやがって」とシンの子分のカーンに噛みついたんです。上田にしてみたら鬱憤がたまってましたからね、それをシンにぶつけるわけには行かないから、カーンにぶつけたんですよ。それを見ていたシンの顔色が「サーッ」と変わったんです。周りから見ても「ヤバい」と思ったほどですけど、もう遅いですよ、シンが上田に「ガーン」と行ったんですよ。それでも上田はやられながらも、その場ではシンに対しては黙っておったんです。

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(I編集長) しかし試合が終わった後でね、上田は「もう我慢ならん、俺もここまでやられたら黙っているわけにはいかない。やってやる」と、とうとう爆発しました。「どこの会場でもいいから、シンと闘わせろ」と。ここまできたらもう、新間氏の思うツボですよ。次に倉敷大会もあるし、大阪大会が控えておるしね、大きな会場の大会があるんですよ。誰だって、それじゃあ大阪でやらせろと言いますよ。上田はそういう狙いだったとは知らないんです。だから本当に新間さんというのは奸智に長ける(悪知恵がはたらく)というかね、そういう所があるんですね。

(I編集長) その気になった上田が、「ヨーシ、大阪大会でやってやる」と言うと、新間さんもさらに上田に「シンがあんたを叩きのめしてやると言ってるぞ」と焚きつけるわけですよ。一方でシンの方に行って「上田がお前を足腰が立たないようにしてやると言っている」と伝えるわけですよ。それを聞いたらシンも「上田の野郎! 好き勝手なことを言いやがって」とカンカンになって怒りますよ。それで9月19日の大阪大会になだれ込むわけですね。

(I編集長) だからね、シンと上田の感情としては、これはヤラセでも何でも無いんですよ。ホントに喧嘩をしていたわけですよ。大阪ではシンが単独行動をしてロイヤルホテルかなんかに泊まってましてね、そこから会場入りしたんです。一方の上田はどこに居るか、さっぱり分からなかったんですよ。というのは、上田も試合前にシンが襲ってくるんじゃ無いかと恐れておったんですね。これはマジな話でね。もしも府立体育館の前の「ホテル南海」なんかに泊まっておるとね、いきなりシンが殴り込んでくる可能性があるんですよ。そういうことを恐れて上田も別のホテルに泊まっておったんです。我々の知らんホテルに。それで府立体育館に入るときも裏から「コソーッ」と入ったんですよね。

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(I編集長) そういうことだから試合前に僕らもなかなか上田をつかまえられなかったんです。まさかそんな行動を取るとは思ってなかったからね。若手に聞いたら、「上田さんは会場入りしてるようですよ」と言うから、もう体育館の中におることがわかったんですよ。だけど見かけないんですよね。しばらくしてマネージャーの本田さんが歩いているのが見えたんです。それで「本田さん」と声をかけたら、「シーッ」と言いながら連れて行ってくれたんですよ。そしたら上田は誰も入らない、我々も行ったことの無いような道具部屋の裏の所に居るんですよ。上田は真っ青な顔をしてね「体調が悪いんだ」と。額の傷口も膿んでいたしね、精神的なダメージもいろいろあったんでしょう、上田は「俺は、もうホントは試合どころじゃ無い、ぶっ倒れそうだ。でもやらなくちゃいけない」と言ってました。

(I編集長) 黄色いハンテンを着てね、そして紫色の布に包んだ長いものを持っていましたよ。すぐ、これは日本刀だと分かりましたね。東スポが「上田は日本刀を持って大阪に乗り込む」と書いていたんです。上田は「俺がコレを車に積み込むところを東スポの記者に見られた。それで書かれてしまった」と言ってましたね。「俺は竹刀と見せかけて、いきなり日本刀を出して驚かせてやろうと思っていた。それなのに新聞に書かれてしまったから、ガックリだよ。今まで張り詰めていたのに、記事を読んだとたんに、いっぺんに力が抜けてしまった。実際、体調は悪いし、精神的にもやられてしまっているし、もうどうにもなりませんよ」と言うんです。

左手に紫色の包みを持ってリングイン(TV放送画面より)

(I編集長) 実際に日本刀をリングに持ち込みましたね。すぐに取り上げられたから振り回しはできませんでしたけどね。試合は、もう上田の調子も悪いしね、相手のシンのことを心から憎んでいるわけでもありませんからね。こんな調子では迫力のある試合にはならないですよ。もう上田の迫力の無いこと、夥しいんですよ。シンの方は「この野郎!」という気持ちがありますから、そこそこやりましたけどね。上田は逆に弱腰なんですよね。そういったことで、上田はシンにやられて血だるまになるんです。結局、上田の反則勝ちになったんですけどね。もうリングアナが結果を伝える余裕なんかも無いですよ。すぐに上田はリングを降りて、逃げるように出て行って、車に飛び乗って、それもタクシーじゃ無くて本田さんの車に乗って「ブワーッ」と出て行ってしまったので、どこに行ったかも分からないという結末ですよ。

「迫力が無いこと夥しい」上田馬之助(TV放送画面より)

(I編集長) しょうが無いから、上田を取材するのを諦めて、日本人控え室に行ったんですよ。そしたら猪木が「カンカン」になって怒っていましたよ。この日は超満員だったんですよね。試合前に星野が出てきて「凄いよ、今日の入りは。普通は招待券を出すんだけども、今日は全部お米(お金=現金)になっている」と言ってたんです。パンフレットもあっという間に1500部が売れてしまって、売り切れる時間も新記録だったということです。だから猪木は、今日は特別レフリーとして、シンと上田の凄い試合を見せてやるぞ、意気込んでいたんです。ところが上田の方に全く迫力が無くて、ああいった試合になって、すぐにトンズラしてしまったでしょ。だから控え室では猪木が荒れたんですよね。「なんだ上田の野郎は、なんでガンガン行かないんだ。馬之助じゃ無くてロバ之助だよ。借りてきた猫、それ以下だよ」と、もうクソミソに言ってましたよ。まあ、猪木が言う通りでしたね、我々が望んでおった、そして猪木の望んでおった迫力のある試合からはほど遠いんですよ。生きるか死ぬかの壮絶な試合にはならなかったんですよ。対戦カードとしては凄かったし、新間マジックでシリーズ前から煽って盛り上がったし、超満員だし、お米(お金)になったしね、儲かった大会ですよ。それだから猪木としては本当に凄い試合をして欲しかったんですよ。

(I編集長) 試合後にはいつも通りウチの記者が集まってですね、「なぜこんなに迫力が無い試合になってしまったのか」ということを考えたんです。その日のうちに原稿を書かなくちゃいけませんから、結論を出す必要があるんです。その時に僕は「上田の顔が真っ青で体調が悪かった、それが一つある」と言ったんですよ。そしたら「編集長、それだけじゃ無いでしょ」と意見が出たわけです。だからもう一つ僕が言ったのは、「猪木が特別レフリーをやったのが間違いだ。他のレフリーにやらせたらもっと迫力がある試合になったはずだ」ということですよ。試合ではシンの方にも手加減しているころがあったんです。なぜかというと、シンは「テーズだとか猪木だとかが、レフリーとして出てくるのはとても嫌だ。彼らはまともな試合をヤレと言ってくる」と言っていましたね。この年の4月1日にテーズが裁いた北米タッグ戦がありました。テーズは反則を厳重にチェックして、フェアな試合をやらせようとするんです。猪木もそうなんですよ。まともな試合をやれと、ちょっとでも反則したら許さないとね。4月1日の試合は、シンが「ガーン」とやった瞬間に、テーズがシン組の反則負けを宣告したわけですよ。テーズとか猪木とかの大御所が出てきて、レフリーをやられると、シンのスタイルとしては非常にやりにくいんです。

特別レフリーアントニオ猪木(TV放送画面より)

(I編集長) 私はそれが原因だと思いますよ。レフリーが猪木でしょ、シンは猪木が喧嘩試合じゃ無くて、まともなストロングスタイルの試合をやらせようとしている、そう勘違いしたんだと思うんです。実際、猪木レフリーはシンが反則をやるたびにシンをぶん殴ったりね、蹴飛ばしたりするんですよね。シンに対しても上田に対しても両方ですよ。だからますますシンは、猪木はまともな試合、ストロングスタイルの試合をさせようとしていると勘違いしたんですね。だから、シンの方にも迫力が無くなってしまう部分があったんですよ。

▼[Fightドキュメンタリー劇場⑧]別冊元祖「シン特集号」
これは週刊ファイトでなかったら出来ませんよ
 

[Fightドキュメンタリー劇場⑧]別冊元祖「シン特集号」、これは週刊ファイトでなかったら出来ませんよ

(I編集長) これまで話したように、仲間割れ自体はマジだったんですよ。仲間割れしたことにして闘ってくれ、試合が終わったら、また組ませるからと言って実現させるようなエエ加減な仲間割れじゃなかったんですよ。ところがあの試合は、未だに新日本が話題作りに闘わせたんだと思われているんですね。シンと上田が本当に仲間割れするはずが無いとね。そうじゃないんです。上田が離脱してしまうかもしれない、シンのアジアサーキットが出来なくなるかも知れない、そういうことがあったんですよ。だから私がここでちゃんと説明しないとね、ファンの皆さんも誤解されたままでこの試合を記憶することになるんですよ。

(I編集長) プロレスはインチキくさい試合ばかりだと思っている人が非常に多いんですけど、そうじゃないんですよ。新日本プロレスの試合には、そういったマジな部分がありますよ。第一回IWGPの決勝戦もそうですよ。あんなもん、猪木は役者だとか、名演技だとか言う人がおりますけどね、そんなことを言うんだったら、実際に自分であれだけ長い時間、舌を「ダラーッ」と出してみなさいよ、ということですよ。普通そんなこと出来ないですよ。

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 トークではシンvs.上田はシリーズの流れで、急遽決定したカードとなっていますが、週刊ファイトでは、新日プロの「ゴールデン・ファイトシリーズ」が開幕する前から、“シン、上田仲間割れ”を煽っています。これはこのシリーズの既定路線だったんじゃ無いの?・・・・と疑ってしまうと、I編集長に、「ファンの方も、プロレス記者も、そう勘違いされている人が非常に多い」と言われてしまいますが。I編集長に言わせれば、新間さんの作戦があったのは確かだけども、シンと上田が仲違いしていたのはマジな部分であって、決して演出では無いということです。

8月29日付けの週刊ファイト、発売はシリーズ開幕より前

 シン、上田の仲間割れを、今回のトークのように考察すると、単なる悪役同士の仲間割れも10倍楽しくなります。トークの最後のIWGP決勝戦、6・2猪木舌だし失神事件についてのコメント、「あんなにダラーンと舌を垂らしたままに出来るはずが無い」という見方についても、この先の喫茶店トークの中で出てくると思うと楽しみです。
 I編集長の持論は「プロレスとは一人一人が構築するモノ」なのです。それが出来なければ、「プロレスの中にある“宝物”の半分しか享受出来ていないことになりますよ!」ということです。

 もう一つ、週刊ファイトの広告もちゃんと読まないと、週刊ファイトの中にある“宝物”の半分しか享受出来ていないことになると言えるかもしれません。話題・街で拾った話、女王様の部屋・紳士淑女のもっとNOWな遊び・指導料5万円・・・・。

 
HP Favorite Café管理人 
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