[Fightドキュメンタリー劇場⑧]別冊元祖「シン特集号」、これは週刊ファイトでなかったら出来ませんよ

1980年10月24日 沖縄・奥武山体育館
[週刊ファイト9月9日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

[Fightドキュメンタリー劇場⑧]井上義啓の喫茶店トーク
▼別冊元祖「シン特集号」、これは週刊ファイトでなかったら出来ませんよ
 by Favorite Cafe 管理人

 たとえ舞台裏であっても取材も出来ないほど凶暴・凶悪なタイガー・ジェット・シン。ところがファイト記者のねばりと根性によって、奇跡のカナダのシン自宅訪問が実現。そして出来あがった「週刊ファイト・シン特集号」は、井上義啓氏自身、自分の編集長時代の「遺産」だと語っている。
「これは週刊ファイトでなかったら出来ませんよ。自慢するわけじゃないけどね」(I編集長)

闘いのワンダーランド #008(1996.12.11放送)「I編集長の喫茶店トーク」
1974.06.26 大阪府立体育館
アントニオ猪木 vs. タイガー・ジェット・シン

(I編集長) タイガー・ジェット・シンというのは、今でこそ人気レスラーですけどもね。当時は無名のそこに居るのか居らんのか、わからんような男だったですよ。だから、ジェット・シンとしたら必死でしたよね、なんとかしてここで一流レスラーの仲間入りをしたいという。だから伊勢丹の襲撃事件とかね、ああいったことにしたって恐らくもう必死になってやったと思いますよ。

「自己催眠というかね、だからもう本能的にやってましたからね」(I編集長)

(I編集長) ジェット・シンという男はね、演出でね、オレはヒールなんだから、ここで観客を殴らなくちゃいけない、カメラマンを蹴飛ばさなくちゃいけない、というようなことじゃないんですよね。この男はね、もう成りきってしまってるんですよ。自己暗示というのが非常に強い男なんだよね、自己催眠というかね。だから、演技・演出でやってるんじゃないんですよ。
 これが非常に怖いんですよ。演技でやっておればね、まだ、カメラマンが居らんようになったり、ホテルのロビーなんかで会った時にはね、ハッキリ言えば、「この前はどうも済まなんだな」というような話になるでしょ。ところが全然無いですよね、あの男は。

(I編集長) あの男はね、トロントの近郊に自宅がありまして、私が編集長をやっていた時に「シン特集号」というのを出したんですよね。これはもう、業界の七不思議でね、よくシンが「ウン」と言ったなと言うようなことだったんですけどね。これは今(1996年)、週刊ファイトの編集長をやっているフランク井上、井上譲二君ですけどね、これがそれこそシンにどつかれながら突撃して行ったんですよ。
「シン特集号」は私が編集長をしておった時の遺産の一つでしょうね。よくやれたと思う。自分でも思うしね。

カナダ・トロントにあるシンの自宅、シンのファミリー

 当時のシンなんていうのはね、インタビューなんか出来たもんじゃなかったですよ。だから、今言ったように井上譲二くんがね、もうどつかれ、蹴られ、殴られね、それでも何回やられても取材に行ったんですよ。あの男(井上譲二氏)はファイトがあるからねぇ。プロレスのことも詳しいし、もうプロレスオタクなんて真っ青だからね、あの男にかかると。
 そういった意味じゃ僕は非常にね、楽(らく)しましたよ。もう生き字引がそこに居るんだからね、あれ何月何日だ、って言ったら、ちょっとでも違ったら、「いや編集長違いますよ、コレはこうでこうで、このときシンがこうでこう言ってましたよ」と言うふうに教えてくれるしね。

「井上譲二くんがね、どつかれ、殴られても取材に行ったんですよ」

 たとえばシンの右腕だったかな、ベンガル虎に喰われた痕があるんですよね、あるんですよ、シンの体に。これはタイガー・ジェット・シンというのがね、伊達や酔狂でつけた名前じゃないと言うことですよ。やっぱりね、ベンガル虎に喰われてるんですよ、「ガチーッ」とね。青年になってからですけどね。その傷跡を見せてくれましたよ。
 僕はシンが見せてくれたことだけは覚えてることは覚えている。でもそういう事もね、ボク自身はどこでの話だったかな?とケロッと忘れてしまってるんですよね。聞けば、札幌で見せてくれたらしい。そんなことも彼が、いつ・どこでの出来事だと教えてくれるんですよ。

▼昭和プロレス偉人伝TJシン宅 / カリフラワーアレイクラブ / 藤波辰爾40周年

昭和プロレス偉人伝TJシン宅カリフラワーアレイクラブ藤波辰爾40周年

▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第81回

1977年6月9日 バージニア州ノーフォーク 北米タッグ選手権戦
坂口征二、ストロング小林組vs.タイガー・ジェット・シン、上田馬之助組

[ファイトクラブ]井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第81回 藤波が煙たがった“笑わない”米プロモーター

(I編集長) これはね、タイガー・ジェット・シンと僕との関係というか、僕だけじゃないんだけどね、記者との関係というのがもう、顔を見たらどつき倒す男ですからね。それじゃあ困るじゃないかということでね、高橋レフリーに文句を言ったんですよ。そしたら高橋さんが、じゃあ一席設けて、仲直りしてくださいよと、こうなった訳ですよ。じゃあそうしましょうと、「焼き肉でもごちそうさせてくれますか」と言ったら「いいだろう」ということでね。あの当時10万円使ったらしいですよね、焼き肉料理でね。その時にシンから「あなたは編集長だ。まあ一目置いてやろう」ということで、やっと和解が、和解ということでもないけどね、成立したんですよ。
 
ミスター高橋との交渉で・・・シンとの一席が実現

 それまではね、ジェット・シンには、僕はもう5、6回やられてるんじゃないですか? 蹴られたり、ネックハンギングされたり。話をしてたらね、いきなり来るんだよ、あやつは、どこからともなく。他のレスラーだったらね、だいたい分かるじゃないですか。ところがシンというのはね、猫の様にというか虎の様にというか、足音を忍ばせて「スーッ」と来るんですよ。気が付いたら、もうそこに居るんですよ。それでいきなりあの形相で首を絞めてくるんですよね、こうやって。ネックハンギングですよ。そんなことが2、3回はあったしね。ネクタイをこうやられてだね、首を絞められたこともあるしね。

雑貨の輸入業でも財を成した証拠

シン、上田と週刊ファイトのカメラマン

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