[Fightドキュメンタリー劇場 24 ]アクラムの訃報に号泣“猪木ペールワン”はパキスタンの英雄

トップ画像:1984年8月の新日本プロレス パキスタン遠征
[週刊ファイト5月26日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼[Fightドキュメンタリー劇場 24 ] 井上義啓の喫茶店トーク
 アクラムの訃報に号泣“猪木ペールワン”はパキスタンの英雄
 by Favorite Cafe 管理人


 1976年12月12日パキスタン・カラチで行われたアントニオ猪木vs.アクラム・ペールワン戦。壮絶な試合の後に「群衆が騒いだ」「軟禁された」とか、「あわや殺されるところだった」などと報道されている。しかし実際には、観衆は猪木に対する賞賛の拍手を送っていたのだった。そして猪木には“英雄”ペールワンの称号が与えられた。

■ 闘いのワンダーランド #031(1997.01.16放送)「I編集長の喫茶店トーク」
 1977.03.31 蔵前国技館
 アントニオ猪木 vs.ジョニー・パワーズ

(I編集長) 今日放送のジョニー・パワーズについては先日お話ししましたので、今日はちょっと趣向を変えて、猪木vs.ペールワン戦の話を思いつくままにさせていただきます。なぜ私がこの話をここで持ち出しますかと言いますと、やっぱり未だにあの試合は誤解されているんじゃないかと思うからです。
 あの試合の会場はパキスタンのカラチ・ナショナル・スタジアム、日本で言えば国立競技場です。観衆が5万とも7万とも10万とも人によってバラバラに伝えられていますけども、だいたい観客は5万人ぐらい、これが正しいと思います。その上に入りきれなかった人たちが2万人、競技場の周辺や丘の上とかにおったと思います。そういった意味では、7万という数字になるかもしれませんけれども、そんな大観衆の中で行われた試合なんですね。

スタジアムの外、丘の上にも人だかり(ワールドプロレスリング放送画面より)

※編集部注

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ペールワン戦は本誌タダシ☆タナカがこれまでの説を180度覆す新たな深淵分析を複数回掲載済み。上記「番外編『1976年のアントニオ猪木』への違和感」が特典収録されているも、本篇はあくまでI編集長の解釈軸に留める。

(I編集長) 御存じの通り壮絶な試合になりまして、猪木がペールワンの左肩を破壊してしまう訳です。プロレス用語で言う、いわゆる「左腕を折った」試合ですね。それで観客というか群衆がいきり立って、「猪木をやっつけろ!」とか、極端に言えば「殺せ!」となったと伝えられています。当時のパキスタンのお国柄で当然そうなったことも考えられます。

猪木vs.ペールワン(新日プロの大会パンフレットより)

(I編集長) そりゃそうでしょう、アクラム・ペールワンはもう、パキスタンの英雄なんですね、これ。グレート・ガマの流れを汲む、ボロ一族、ボロ・ブラザースというのがおりまして、その次男坊が、アクラム・ペールワンだったんです。これが一番強かったんですね。六人兄弟、男の子が6人おりまして、長男はアスラムと言ったんですけども、その長男は非常に温厚派で常識人だったんです。そして猪木と闘った次男のアクラムが非常に強かった。
 当時、日本のアントニオ猪木というレスラーがモハメド・アリと闘って引き分けたという話が一族に伝わってきたんですね。それじゃあ、その猪木をやっつけようじゃないかとなりました、それも国家的プロジェクトで。そういうことで、猪木を呼んでの国家的なイベント計画が立てられたわけです。

(I編集長) 実際にパキスタンのシンド州のお役人が、来日して新日本プロレスの事務所に来ました。そして「カラチに来て試合をして欲しい」と申し入れたんです。最初は猪木もあんまり良い返事はしなかったんです。それでもお役人が何人もいて、非常に丁寧な物腰で「お願いします」と話すので、その熱意に絆されて「じゃあ、やりましょう」となったんです。猪木としてはパキスタンであれば、プロレスの新しいマーケット、市場開拓ができるという狙いもあったんですね。後日、新間さんがそんなことを言ってました。
 新間さんというのは当時新日本プロレスの営業本部長をやっていた新間寿さんですね。アジア・東南アジアにもプロレス拠点を作りたいという考えもあったので、パキスタンでこのイベントをやるという結論に至りまして、カラチのナショナルスタジアムに乗り込んでいったのが、この試合なんです。

パキスタンのカラチ・レスリング・アソシエーションと76年12月の遠征契約をする新間氏

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(I編集長) 現地入りして試合が始まり、猪木がリング上で最初にペールワンと組み合った時に「愕然とした」と言ってますよね。アクラムの筋肉と関節が非常に柔らかいんですよ。ナマコのような体と言いますか、そういった体だったんです。どう絞めても、どう関節をとっても極まらないので、猪木が愕然としたわけですよ。これはアクラムがオイルを塗って出てきたこともあるんですよね。だからツルツル滑ると、そういうこともあったんですけど、このままだと当然自分がやられてしまいますわな。だから猪木にも焦りがあったんですよ。猪木もインタビューで「一瞬頭の中が真っ白になった」と話しています。

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