さよなら、ストロング小林さん by みぶ真也(俳優)

[週刊ファイト1月27日号]収録

 その名を知ったのは小学校5年の時に、たまたま開いた少年雑誌だったように思う。
“怪力”豊登、“サンダー”杉山、“グレート”草津と並び、新人枠で「日本初の覆面レスラーだった覆面太郎の正体」として小林省三という名が地味に紹介されていた。

英国遠征時は本名(左)、国際プロレスではエースだった。
ドクターX戦

 それが数年後にはストロング小林と名乗りIWA王者として君臨、パワーファイター、それも豊登から“気は優しくて力持ち”路線を引き継ぐような闘いぶりは魅力的だった。
 ぼくはサンマルチノのようなパワーファイターが好きなのだ。実際、小林さんを和製サンマルチノと呼ぶ人も多い。

 後にヒールとして渡米した際、小林さんはフィラデルフィアでサンマルチノのWWWFタイトルに挑戦している。どのような怪力合戦が行われたのか興味深い。

1974年WWWF遠征時はMSGでの貴重写真が本誌に残されている。Photo by George Napolitano

 この“気は優しくて”の部分が仇になったのは、猪木さんへの挑戦会見。
「俺と闘おうなんておこがましいんだよ」と挑発する猪木節が炸裂すると、「自分はおこがましいなんてそんなことは…」と困ってしまった。
 うん、なんて良い人なんだ。


 再戦の会見時には自分から先に突っかかって行ったが、それも、“これからはこの団体で仕事をしていきますので、前回のことを反省してきちんとやってみます”みたいな心がけが見え隠れして、国鉄職員をしていた頃からの生真面目さを感じさせた。

 こうした貢献度もあり、新日では外様ながらも坂口さんと並ぶW二番手の地位を得たのだろう。だが、時代はサンマルチノや小林さんのようなナチュラルな怪力派から、ステロイドで造る筋肉ファイターへと変わりつつあった。
 グリーンボーイ時代のホーガンに負けてみせたり、それでも小林さんらしく真面目に仕事をこなしていたのだが、カナディアン・バックブリーカーの職業病である腰の不調もあり戦線を離脱。この病と晩年のスキンヘッドは、奇しくもサンマルチノと共通する。

 引退してからも自宅でトレーニングを続け「今日からでもリングに立てるコンディションを保ってる」と話したり、入院してからは取材を断ったり、“気は優しくて力持ち”のイメージをずっと崩さなかった姿は小林さん一流の真面目なダンディズムを感じさせた。
 今もぼくの中でストロング小林は少年時代に見た強くて礼儀正しい理想のヒーローのままなのだ。


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