[ファイトクラブ]追悼!怒濤の怪力・ストロング小林さん

[週刊ファイト1月20日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼追悼!怒濤の怪力・ストロング小林さん
 photo & text by 西尾智幸
・日本で初の覆面レスラー・怒濤の怪力ストロング小林さんが肺の疾患で死去
・昭和49年のアントニオ猪木vs.ストロング小林戦のあとにプロレスファンになった筆者
・温厚な小林さんが切れた時の迫力は凄かった
・第2回MSGシリーズでの対藤波辰巳戦に思ったこと
・ハイアングルのアトミックドロップはインパクト大の必殺技
・大阪で猪木vs.小林戦を観れることになった感動


追悼!怒濤の怪力・ストロング小林さん
 
 あの“怒濤の怪力”ストロング小林(本名小林省三)さんが、2021年12月31日のう肺のため亡くなっていたことが分かった。81歳だった。
晩年は、老人ホームで過ごしていたようだが、昨年11月に肺の疾患で入院、そのまま残念ながら年末に息を引き取った。この訃報を知った時、当時小林さんのファンだった筆者はとてもショックであった。
 日本人初のマスクマン覆面太郎の正体でもあり、リタイア後はストロング金剛の芸名でタレントとしても活躍した小林さん。1981年にはプロレスをセミリタイア状態だったので、試合の思い出も少ないのだが、筆者なりに小林さんを回顧してみたい。

 筆者が、プロレスを本格的に観始めたのは昭和50年(1975年)頃から。つまり、いまだ語り草となっているあのアントニオ猪木vs. ストロング小林の2連戦の翌年なのだ。これは、ファンになってから、雑誌でこの試合のことを知り、当時はなぜこの試合を観なかったのかと凄く悔やんだものであった。
 のちに、ビデオで試合は何度も観る事になるのだが、あの当時は久々の日本人大物対決ということで観客も本気で、あの熱気は今とは異次元の空気感であり、いい意味で昭和のプロレスの醍醐味であった。
 その昭和50年に観始めた頃は、まだ選手名も良く解らずで、一瞬猪木と小林さんの違いが良く解らないという昭和プロレスあるあるであった。
 しかし、段々とキャラも解り、坂口征二とのコンビで北米タッグ、アジアタッグの王者に君臨し、その力強いファイトと普段の優しさに惹かれファンになっていた。
 普段は、坂口の引き立て役のイメージがあり、ライバルチームであったタイガー・ジェット・シン&上田馬之助にもボコボコにやられるのだが、たまに切れた時の小林さんはまさにストロングで、シンをイスでぶん殴ったりし、観ていてとても爽快であった。

 しかし、人が良すぎるなと思ったのは、1979年5月4日、岡山で行われた第2回MSGシリーズの予選トーナメントの藤波辰巳戦。30分フルタイムのあと、延長、再延長にもかかわらず決着がつかなっかったのだが、そのあと小林さんは若い藤波に権利を譲るといい、そのまま敗退となった。小林ファンの筆者からすると、『攻め込んでたのになんで放棄するねん!』と当時は大人の事情が解らなかったので(笑)、本気でショックであった!
 でもまあ、そういう小林さんの優しさ、ひとの良さが好きでもあったのだが…。


▲1980年2月7日・大阪 vs. スティーブ・カーン戦より

 小林さんの繰り出す技と言えば、パワー殺法が多く、定番はベアハッグ、ハイアングル・アトミックドロップ、パワーで引っこ抜くブレーンバスター、相手の首を掴んでのネックブリーカー、そしてカナディアンやシュミット流のバックブリーカーであった。

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