ポール・オーンドーフ慢性外傷性脳症から認知症になり71歳で死す

 また、悲しい訃報が飛び込んできた。Mr.ワンダフルことポール・オーンドーフさんである。自宅のある米ジョージア州フェイエットビルで享年71歳だった。

 すでに息子のトラビスさんが5月8日に認知症になっていることを公表していたから、いきなりの驚きではないのだが、その段階から全盛期は筋骨隆々の身体を売りにしてきた”鋼鉄男”戦士が、げっそりと痩せた姿になっており米国の専門媒体ではショッキングな変貌が話題になっていたばかり。そのトラビスさんによると通称CTE、あるいはパンチドランカーとも称される慢性外傷性脳症だったと言う。直接頭をイスで叩いたりするのはどうなのかの議論がまたマット界で起きていた最中であり、トラビスさんも警鐘を鳴らしていた。

 タンパ大学時代からフォットボールで鳴らしたがNHLへの出場は叶わず、ヒロ・マツダのコーチを受けて1976年、プロレスラーに転向してデビュー。1983年4月、”七色のスープレックスを使いこなす”前田日明の欧州からの凱旋試合の対戦相手として、かませ犬役を務めたことで日本での人気が出る芽を潰したことは、当時、新日本プロレス営業本部長だった新間寿が「後悔している」と証言している通りである。いきなり”潰されてしまった”ことがいかに勿体ないことだったか。逆にアメリカでは、ブレイクしている最中だったからだ。
 事実、1985年3月31日、ニューヨークはMSG(マディソン・スクエア・ガーデン)で開催された『レッスルマニア』第1回大会のメインイベントに登場、ロディ・パイパーとのヒールコンビで、ハルク・ホーガン、テレビ番組で人気だったミスター・Tと対戦したことは余りにも有名だ。以降、アメリカではトップなのに、日本では不当に低い評価のままだったことが残念である。2005年にはWWE殿堂入りも果たしていた。

photo by Mike Lano

 現体制になってからというか、写真がデジタルになって以降の本誌直接の取材大会として写真がスグに出せるものとしては、車椅子生活だったマサ斎藤さんが2011年1月、米国『WrestleReunion』でなんとかリングにあがり、ポール・オーンドーフとの往年の抗争が勃発するかのようなさわりをちょっとだけ見せた場面が印象的だ。但し、念のため本誌『マサ斎藤追悼特集』を読み返すと、オーンドーフもこの時点でガンを患っており、健康状態が大いに心配されていると活字に残っている。オーンドーフと言えば、そりゃ一般にはホーガンとの抗争となるのだろうが、きっちりフォローしてきた方ならマサ斎藤とも長く抗争していた事実がある。だから『WrestleReunion』で名場面再現のお膳立てが企画されたのだが、オーンドーフもまともに動ける状態ではなかったという現場レポートだったのだ。

 もっともガンは克服したようで、2014年の『レッスルマニア30』では、数字の区切りもあって『レッスルマニア初回』の“ラウディ”ロディ・パイパーと、ご都合主義でWWE殿堂入りとなったミスターTが”歴史的な和解”という演出があり、この際には顔見世程度だったのだがオーンドーフもテレビ画面に納まっている。つまりメインイベントの4人が生存していて全員が揃ったという格好になっていた。それがあったから、同年8月11日、WWEのRAWで行われた『ハルク・ホーガン誕生日』にも呼ばれている。
 また、記録によれば2017年5月3日、カナダはマニトバ州で行われたCWE (Canadian Wrestling’s Elite)の大会に、2000年以来のリング登場という謳い文句で67歳で6人タッグ戦に出たらしいのだが、果たして試合したとカウントしていいものかどうか。いずれにせよ、これが公の前に姿を見せた最後だったようだ。
                   合掌


※月額999円ファイトクラブで読む(クレジットカード、銀行振込対応)
▼お客入れてのMLW興行再開に見る1年半サバイバル術と新機軸行方

[ファイトクラブ]お客入れてのMLW興行再開に見る1年半サバイバル術と新機軸行方

▼巡業前WWE入替断行!Pオーンドーフ裏追悼-スターダム&新日明暗

[ファイトクラブ]巡業前WWE入替断行!Pオーンドーフ裏追悼-スターダム&新日明暗

※500円電子書籍e-bookで読む(カード決済ダウンロード即刻、銀行振込対応)
’21年07月22日号MLW独占 Stardom朱里ウナギ ノア QuintetUFC オーンドーフ 虎女王