ボブ・バックランド「7年近く王者を守り続けその間65回もMSGのメインを努めた」

 大阪で行われたトークショーは、自身の経歴から始まった。
 1973年オクラホマのレロイ・マクガークの元でデビュー。その後、オクラホマに転戦してきていた”テキサス・ブロンコ”テリー・ファンクに誘われ、テキサス州アマリロに移ることを決心。アマリロでボブはテリーと引き分け、1974年3月にはウエスタン・ステーツヘビー級王者に輝きスターへの道をゆるやかに登り始めた。

 当時、NWAの配下であったWWF(現WWE)のプロモーター、ビンス・マクマホンSRは当時絶対王者であったブルーノ サンマルチノが首をスタン・ハンセン戦で痛め、チャンピオンを降りたいと提言してきたことから、新しい善玉のオールアメリカンタイプの選手を模索する。エディ・グラハム ジム・バーネット、ドリー・ファンク&テリー・ファンクに相談したところ、ボブ・バックランドの名前が浮上する。

 ジョージアで王者に相応しいかのテスト試合が試みられる。アトランタのオムニでメインをまかされた。その試合の帰り、3人の偉大なるレスラーと車を同乗するが、3人共がマリファナを吸い始め、勧められたが固くなに断り、一人歩いて一日かけて自宅まで帰った。その3人のレスラーとはジャック・ブリスコ、ジェリー・ブリスコとダステイ・ローデスであった。マリファナ吸わないで結果的にその私生活面でも合格をもらったと笑顔で答えている。

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 そして遂に77年2月20日、ニューヨークのMSGにてビリー・グラハムを破り第8代WWWF認定世界ヘビー級王者となる。
その後の逸話としてペンシルベニアでの”スーパースター”ビリー・グラハム戦でベルトを壊されたが、ベルトに思い入れがあり、その時拾い集めたパーツを今でも大事に手元に置いてある。

 その後の活躍は素晴らしく、7年近く王者を守り続けその間65回もMSGのメインを努めた。

 質問コーナーでは「今でもグッドシェイプの秘訣は?」

 アマレス時代からストレッチは日々欠かさず、今でも1時間は行っている。また、ポジテイブなメンタルアチュージを常に持って行動すると、PMA(ポジティブ・メンタル・アティチュード)を力説。

 当時闘い、タッグを組んだ猪木さんのことはどう思っていたか?

 先ほど電話で話ししてきたとのこと。現役時代は机を挟んで話ししたことは一度もない。ただ、ビンスに言われた通り、日本で猪木と良い試合をするよう心がけていた。

 始めての日本ツアー(全日本プロレス)の印象

 同期のジャンボ鶴田が馬場さんに推薦し、ファンク兄弟に来日を依頼してもらったロングツアー中、日本の食事は口にあわなく苦労した。東京のような大都市だけならよかったが・・・(苦笑)。


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