ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』①フレディ・クルーガー「ポーゴさんとの思い出」

皆さんこんにちは。CMAプロレスリングのケン・片谷です。
現役プロレスラーにして現役大学生という変わり者です!
これから、大学生活のこと、プライベートなこと、そしてもちろんプロレスのことを色々と書いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

第一回目ということで、簡単に自己紹介したいと思います。
オイラは、1967年8月13日神奈川県横浜市に生まれました。もうすぐ50歳になります。あっ!各方面に発信させていただくときの一人称は“オイラ”です。こちらでも“オイラ”でいかせてもらいますね!
プロレスデビューは、2000年6月11日に行われた、『キングダムエルガイツ』北沢タウンホール大会の布施智治戦です。意外と思われるかもしれませんが、スタートはいわゆる“U系団体”だったのです。
身長185センチ体重102キロ。得意技は、ジャンピングパイルドライバー、がんじがらめ(オリジナル)です。
趣味は、海外旅行、スポーツ観戦、そしてタイトルにもあるように食べ歩きです。
2015年4月に早稲田大学人間科学部に入学し、現在は大学生とプロレスラー二足のわらじを履いています!

先週の木曜日、自宅で大学のレポートを書いていると、夜の10時過ぎだったか、突然電話が鳴り出しました。『こんな時間に誰だろう?』と思い着信の相手を見ると、ミスターポーゴさんが主宰するWWSの所属選手からでした。
そういえば、ポーゴさんは今、腰の手術のため埼玉県本庄市の病院に入院中で、確か今日が手術日だったはず。それがどうかしたのだろうか?

次の瞬間、電話の内容に一瞬耳を疑いました。
『ポーゴさんが大変なんです!手術中に脳梗塞を起こして危篤状態です!今、所属選手が病院に向かっています!』
えっ!腰の手術なのに、何故脳梗塞を?何が何だか解らず頭がパニックになりました。
オイラもすぐに病院に駆け付けたかったのですが、もう横浜から本庄へ向かう電車は終わっています。
とにかく、ポーゴさんの身を安じ、何かあればまたすぐに連絡をくれるよう約束し、その晩は様子を見ることにしました。

翌日、午前中に早稲田大学所沢キャンパスで授業を受け自宅に帰る途中、悲報が入って来ました。
電話の主は、いつもWWSでお世話になっている戸井克成さんでした。
『ポーゴさんが亡くなった!』
とても信じられないし、言葉も出ません。つい2ヶ月前のWWS熊谷大会で、元気なポーゴさんにお会いしたばかりでしたから。

オイラは、デビュー間もない頃からWWSのリングに上がらせていただいていました。ポーゴさんには公私ともに本当にお世話になりました。師匠の一人と言っても過言ではありません。
オイラが初めてポーゴさんの試合を生で観たのは、高校生の時でした。新日本プロレスのリングで、ケンドーナガサキさんとタッグを組み、藤波さん木村健悟さんのチームと対戦する試合でした。当時の新日本プロレスは、長州さんを筆頭にジャパンプロレス勢が大量離脱した頃で、手薄になった選手層を支えていたのがポーゴさんでした。

一番印象に残っているのは、FMW大阪万博記念公園大会で行われた、『ノーロープ有刺鉄線地雷爆破デスマッチ』です。当時、ジャパン女子プロレスでアルバイトしていたオイラは、“コネ”を使い荒井リングアナウンサー(当時)に最前列のチケットを融通していただいたのです。それはもうワクワクしながら新幹線に乗って観に行きました。ちょうどプロレス界で、“密航”という言葉が流行っていた頃です。
地雷の威力は、想像を遥かに超えるものでした。ポーゴさんが頭から地雷に突っ込むと、火柱と共に火の粉と火薬の破片が空から降ってきました!
ポーゴさんは、そのまま救急車で運ばれていきましたが、その後、見事に復活を遂げています。

ポーゴさんとの思い出はたくさんあり過ぎて、何から話して良いか迷うほどです。
ある日、突然ポーゴさんからこんなことを言われました。
『片谷は体がデカいから、ギミック(マスクマン)やれよ!』
そのギミックとは、怪奇派のフレディ・クルーガーでした! デビュー間もないオイラにとっては、願ってもないチャンスです。
しかしそのチャンスは、同時に地獄も見ることになりました。フレディを“被った”オイラは、必然的にメインに抜擢されるようになり、ポーゴさんと相対することになったのです。つまり、キャリアのないオイラがいつもポーゴさんの標的となり、火炎放射や鎖鎌、絞首刑の格好の餌食となったのです!

そんな、“デスマッチの帝王”の異名をとるポーゴさんですが、ひと度リングを降りると本当に優しい先輩でした。ここからは、ポーゴさんのイメージを崩してはいけないと、生前は控えていた話題です。
ポーゴさんは、実は電話魔なんです。深夜お酒が入ると誰彼構わず電話をしまくります。夜中の3時過ぎに、毎晩のように掛かって来ることも珍しくありませんでした。内容はたわいもないことでしたが、会話の最後には、決まってこう言います。
『次の〇〇大会頼むね。お弁当を用意して待ってるから!』
デスマッチの帝王から、こんな優しい言葉が出るなんて誰が想像するでしょうか?

これは、ポーゴさんが亡くなった後に複数の方から聞いた話ですが、色々なところで『片谷はあの歳で大学に行って、スゴく頑張ってるんだよ!』と話してくれていたそうです。

ポーゴさんはゲーム好きでも知られています。LINEやフェイスブックでも頻繁にゲームの誘いがあったのですが、オイラはゲームには全く無頓着なので、ずっと無視してきました。
ある会場で、ポーゴさんから呼び出されました。一瞬『叱られるのかな?』とドキドキしながらポーゴさんの元へ行くと、意外なことを言われました。
『片谷、ツムツムやってる?』
ちょっと拍子抜けでしたが、ホッとして
『いえ、やってません。』と答えました。
すると、ポーゴさんはなんとも悲しげな顔で『そうか…。』とため息をつきました。
あの時の表情は今でも忘れられません。ポーゴさんを残念がらせるくらいなら、ツムツムを勉強しておけば良かったなぁと少し後悔しています。

こんなことを書いていると、ポーゴさんが目の前に現れて、『バカヤロー!くだらんことを書いてないで、とっとと出て行けー!』と叱られそうです。
いや、今すぐ出てきてオイラのことを叱ってください!
でも、もうそれは叶いません。

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ポーゴさん、どこ行っちゃったんですか? 早く帰って来てくださいよ!
まさか、最後の最後にリアル棺桶デスマッチをやるなんて…。あれほどカムバックするって言ってたのに。もうポーゴさんと試合できないじゃないですか…。

あっちでビクター(キニョネス)には会いましたか? ブロディはどうですか? (ジプシー)ジョーさんに会ったら、『ケンは頑張ってるよ!』と伝えてくださいね!

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まだ心の整理はつきませんが、現実は受け止めなくてはなりません。
ポーゴさんがいないと寂しいです。だけど、ポーゴさんがいなくなった今、オイラはポーゴさんの分までもうちょっとだけこの世界で頑張ります。どうか天国から見守っていてくださいね!

さようなら、ポーゴさん。
今まで本当にありがとうございました。

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