Top画像:1986年3月08日
以下は、青森県むつ市在住、プロレス資料収集57年に及び、現地でのプロレス大会にさまざまな協力をしてきて、お世話になった選手や団体が数えきれない、業界では知る人ぞ知る存在である、中郷啓一さんからの追悼文である。但し、注釈や前提がないと、初めて中郷さんを知る読者にはよくわからないと思われるので、ご本人の許可を得て補完させていただいた。
筆者とは、ミルホンネット刊『ある極悪レスラーの懺悔』(2008)の編集において、「古い写真を持っている長年の支援者」と紹介されたことから。翌年、『ある悪役レスラーの懺悔』として講談社から出版されたが、ノーカットかつ巻末資料、カラー写真が豊富に収録されているのは電子書籍版のみである。全20巻、銀行振込によるまとめ買いは5000円、単行本をもってようが新規でポーゴさんのファンになった方含めて、再度の購入をお願いするばかり。二重買いになって損はないと確信している。永久保存が可能になったeasypay形式にすべて全部やり直したこともある。毎週金曜発売の週刊ファイト、電子書籍での定期購読と、すぐにスマホからでも主要記事をチェックできるファイトクラブ会員の二重購入で応援してくれている方が少なくないのと一緒だと考えていただきたい。
週刊ファイト1978年10月17日号(中郷さん写真提供記事:スクラップブックの切り抜きより)
中郷さんから送られてきた大きな段ボール箱には、恐れ入ったとしか言葉が見つからなかった。いわゆるスクラップブックに、ポーゴさん関連のあらゆる記事の切り抜き、そして青森に呼んだ際などの、中郷さんの支援ぶりがわかるスナップ写真の数々、さらに仰天したのは、米国からポーゴさん(あるいは当時の奥さん)からの手紙、さらには、母親・花江さん宛の手紙までが保存されていたからだ。花江さんがせっせとコピーして、米国での活躍を知りたい後援会宛に送ってくれていたものである。
ミルホンネット刊としては、『評伝ブルーザー・ブロディ 超獣の真実~暁に蘇れ』(2009)に続く、『醜いアヒルのワルツ』の完成、発売をあらためて決意したが、米国ローカル・テリトリー時代の描写には中郷さん提供の資料が使われることになる。(タダシ☆タナカ)
41年間続いたてっちゃんこと関川哲夫さんとの別れははかなくもむなしく淋しい。身体中から溢れんばかりの涙を流しました。
フェイスブック、新聞、雑誌等でこんなにも報道される中で、関川さんは本当に亡くなったんだとようやく認めざるを得ません。悲しいことです。
最初の手術からは毎日電話で話しましたね。沢山の友人が訪れたことに心からすごく喜んでいましたね。特に、ボンバー力抜岩さんからの料理の差し入れに、何度も何度も「こんなにも美味しいものは食べたことがない」と喜んでました。
最初の出会いは偶然でした。ジャパン・プロレスリング・ユニオンとして会報を出していた日本プロレス・コミッショナー門茂男さんの事務所を訪ねて上京、ちょうどこれからレジャーニュースに行き、ハワイでの修行からビザの更新でいったん帰国したミスターセキと会うとのことで、一緒について行ったんです。昭和49年のことでした。有名スターを応援するかたわら、新人選手を支援するようになったのです。
昭和51年には、第二の故郷となった青森県下北郡佐井村を訪れてくれました。父親・関川勝三郎さんとの死別、回りからは人々が一瞬にして去っていったことを話してくれました。深い悲しみを胸に、父親の面影を忍んで潤む目で、知床旅情を歌いながら朝まで飲みましたね。
旅立ちの朝にプロレスラーとして再起の誓いを模造紙いっぱいに書いた決意文、今でも保管してます。カンサスにてパット・オコーナーを倒し、テキサスにてエリックを倒し、マジソンにてブルーノ・サンマルチノを倒し、バンクーバーにてジン・キニスキーを倒す。そして自ら人に倒されぬ体力と精神を身につけることが修行であり、此れを題して、米国プロレス武者修行であると。
それから間もなくお母さん宛に手紙が届いて、お母さんが自分にコピーを送ってくれていました。「お母ちゃん何ヵ月もお金を送れずご免なさい。早く試合をしてお母ちゃんにお金を送るから身体を大事にしてね」。
このように心やさしい人でしたね。
1986年3月8日、細川建設・細川勇次社長1億5千万円の豪邸で開かれた歓迎会は100名規模に!
W★ING、FMWは、ミスターポーゴなしでは成立しなかったと思います。大仁田選手をここまでメジャーにさせた功績は大であります。デスマッチで、ミスターポーゴほどの存在感を示したレスラーはありません。このような強くて立派なミスターポーゴと友人であったこと、幸せであり光栄であります。
2001年7月に訪れた青森県むつ市の恐山
第二の故郷・佐井村後援会は永久に存続を決めました。以前にごちそうした際に、つぶ貝を40個も食べてくれた思い出が残ってます。病室からは「僕は多分もうだめだと思います、中郷さん一緒に恐山に行ってください」、「また、つぶが食べたい~」と言いましたね。そして「40年の思い出を一杯飲みながら40年かけて語り明かしたい」とも話してくれました。
一人手をふって旅立った関川哲夫ことミスターポーゴさん、沢山の思い出をありがとう、今は安らかに体を休めてください。
世界一強くて立派なプロレスラー、ミスターポーゴさんさようなら。
週刊ファイト資料:1978年10月10日号、1987年12月11日号、1996年9月26日号
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