凄絶!!神取忍vsジャッキー佐藤シュートマッチの真実。

女子プロレス史上、最大の「伝説の試合」といえばこれだ!―87年7月18日、元ビューティー・ペアのジャッキー佐藤と現国会議員・神取忍が行った壮絶なケンカマッチ。
ジャッキー佐藤の顔面は無残にも破壊された。
衝撃の事件から19年の歳月を経て、ついにインサイダーがその発端から顛末までを初公開。
試合に至る軌跡、両選手のプロ意識、そして旗揚げ当時のジャパン女子プロレスの実状をこの31ページに及ぶドキュメンタリーは余すところなく伝える。
語り部はご存知、女子プロレスのスポークスマン・ヤマモこと山本雅俊
記者でもレスラーでもなく、当日のリングアナを務めた彼ならではの客観性とプロレス愛に満ちた力作だ。

■以下、本文より
【ジャパン女子プロレス:時代背景】
8・17の旗揚げは当然凄かった。大会には芸能の仕掛け人の秋元康は勿論、彼がプロデュースしていた、当時のトップアイドルの本田美奈子、少女隊がゲストとして登場、さらに代表の椎名勝英のラインでアントニオ猪木が来場しリング上で挨拶している。

【ビューティペア時代のジャッキー】
RCAビクターからリリースした「駆け巡る青春」がヒット! その知名度はまさしく全国区。第28回紅白歌合戦に応援ゲストながらも出演を果たした事実はまさしく快挙。ガッツ石松、輪島功一らと共に出演したビューティーペアは寸劇の中で、和田アキ子、山口百恵らとからみ、その後には石川さゆりが登場し”津軽海峡冬景色”を唄っている。

【神取しのぶ:ヤマモの評価
新日本に初来日した時のローランド・ボックのように、異常に技にキレがあり勝つためには一切妥協しない試合運びに、ヴァンダレイ・シウバの眼光と俊敏性がミックスされたような、自分から見た神取とは、そういうレスラーだった。

【ヤマモの選ぶ神取ベストバウト】
当初、旗揚げ戦メインカードはジャッキー対モンスター・リッパーだった。
(中略)
代表の椎名の鶴の一声でジャッキー対神取のシングルに変更、
(中略)
一般的に神取のベストバウトは93年の北斗晶戦や98年のグンダレンコ戦があげられることが多いが、
自分はこのデビューのジャッキー戦こそが神取のベストバウトで、
これを超える試合はいまだ行われていないと思っている。

【神取しのぶ:戦前コメント】
「次の試合ではジャッキーを30秒で潰す。
でもそれじゃお客さんがつまらないだろうから、
最初の5分はプロレスをやる。
試合は5分30秒だ!」

【そして運命の神取vsジャッキー戦】
「何やってんだ神取!」
・・・声の主は当時ザ・スナイパーとして参戦していた元・全女の阿蘇しのぶだった。
ベテランの阿蘇が自分の立場を忘れ、
しかもレスラーの間のみで使われる隠語までを公然と叫んでしまっていた事実ひとつをとっても、
それがのっぴきならない状況であった事を証明している。

【シュートを見たことがなかった時代】
UFCの映像が世間に登場するのはジャッキー対神取の試合より遙か先の1993年のこと。そして地上波にPRIDEの映像が登場するのはさらにそこから5年以上を要している。
だが、ジャッキー対神取は、マッチメイカー兼レフェリーのグラン浜田が格闘技のレフェリーなど当然できるわけではなく、またリングドクターが配備されているわけでもない中で、結局ジャッキーがギブ・アップするまでとことんまでやらせる結果となった為、当日大和車体工業体育館に集まったプロレス・ファンは、全く未知のあまりにも刺激の強いシーンの連続に、ただ凍りつく結果となる。

【ジャッキー佐藤:最後の試合】
1999年8月9日にジャッキーが病死した際に、勘違いしたマスコミが神取を生涯で最後の対戦相手として紹介し、インタビューしていたが、これは完全な間違いである。

【シュートマッチの真実:原正英記者とテーマ競作】神取しのぶ「夢は叶うもの」女子プロレスラー初の国会議員が伝えたいこと

東京デンジャラスNightは過激トークに ヤマモ映像絶賛配信中

凄絶!!神取忍vsジャッキー佐藤シュートマッチの真実。

商品コード yamamotoma001

価格 315 円

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