Ⅰ編集長こと井上義啓先生5周忌 活字プロレスを絶やさぬ誓い。その意思を捧げたい

 Ⅰ編集長こと井上義啓先生がプロレス天国に召されて5年の月日が流れた。
 プロレスの低迷が続き、またあれほど栄華を誇ったメジャーな立ち技格闘技、総合格闘技が衰退しつつある今、Ⅰ編集長なら何を語っていただけたのであろうか。井上文学を愛好していた者ならその思いは尽きない・・・
 どうも週刊ファイトが廃刊になるようであるという報を受けて、その時点で行動を始めて関西の有志らで立ち上げたのがファイト!ミルホンネットの原点となる。2006年の夏のことであった。
 なぜ紙媒体ではなく電子書籍なのかというのは週刊プロレスに、週刊ゴングという歴史を誇る雑誌がすでにあり、新たに同一線上に並べてみてもこれはうまくいかない。
 月500円(1コイン)で読めるデジタルファイト!というのがあったが、ファイトを受け継ぐのなら、本当にファンなら知りたい取材に基づいた情報を有料ネットでは売りにすべきであるであるという思いもある。
どうせやるなら週刊ファイトの発展形(これこそ週刊ファイトの持ち味という部分だけでも)を、上記の由緒ある専門誌とは違う関西人ならではの方向の北向き(へそ曲がり)を更に目指したかったからでもある。
 その他、紙は印刷や流通のコストがかかるということもあり、雑誌は基本的に取り置きより読み捨ての側面はまた否定できない。電子書籍は瞬時に自身のパソコン上で呼び出せるという資料価値に加えて、かさばることもなく紙ではないので自然にもやさしいことになろう。
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   画: いしかわじゅん(特別提供)
 最晩年に病床にあるⅠ編集長にお会いした時の事を綴ってみたい。
 Ⅰ編集長がお亡くなりになる2週間程前、11月27日に大阪福島のお住まいに赴いた。
 新たに立ち上げる電子書籍メディアの執筆陣のトップとして是非参画していただけないかという旨と、ファイトという名称を使わさせて欲しいという我々のこだわりの部分での了承を得るためでもある。
「お話は非常にありがたいことですがもう私には書く力が残されてはいないのでお受けできない」
「ファイトを名乗るのは勝手にすればいい」と述べられた。
 Ⅰ編集長を前面に押し出しての企画もいくつか考えていたので執筆不可能の言は残念ではあった。
 さらにこれも聞きたかった先生の著作でこれこそは復刊して欲しいというのはございますかという問いには、あまりにも見事な即答であった。
 「これは『猪木は死ぬか!超過激なプロレスの終焉』(プレイガイドジャーナル社1982年11月20日発行)しかないでしょう」
 その瞬間Ⅰ編集長に光輪が宿ったかの感がした。
 またその理由もさらに述べられた。
「私が多忙な週刊ファイトの仕事をし終えた後に(他にマニアには有名な喫茶店トークもあったのであろう)、夜中にお住まいに帰ってから言葉がまるで湯水があふれるかのごとく淀みなく出てきて相当凄い勢いで一気に書き上げた。今思えば、我ながら自らの全盛期であったのだなとそれが思い出がある」と感慨深く述べられた。
 結局は我々の決意表明を手短に伝えに行くだけの訪問となったが、当然の事ながら無駄足になったとは全く思ってはいない。最晩年の氏のかつてのペンの侍と言っても気骨を身近に見知ることができて光栄なことでもあった。
 ちなみにこの日は、週刊ファイト編集長だった現・ファイト!ミルホンネット主幹フランク井上こと井上譲二氏が東京にて、唯一とでもいえるトークイベントが催されてもおり偶然の一致であるのは驚きもする。
 週刊ファイト中毒者には、あらためて井上譲二氏の『マット界舞台裏』の定期購読をお勧めしたい。そこには週刊ファイト紙では制限が掛かったこと以上の内容が記されている。団体フロントや関係者、選手の隠れ愛読者が多いのは知る人ぞ知るである。
 プロレスにはジャーナリズムはいらないという考えの業界人は多いが、批評精神のない業界はその驕りからか衰退するものである。
 この言葉で最後を締めてみたい。
 ミルホンネットではおなじみタダシ☆タナカは、長期に渡り毎月22日に発売する『劇画マッドマックス』誌(コアマガジン刊に連載されている。連載当初は7日発売の実話マッドマックス)に「格闘実話時代」の連載枠2ページを持っている。2007年2月号、連載第26回の本文欄外には、このようなことが記されていた。

追悼 井上義啓編集長
プロレスを熱く語る喜びは週刊ファイトのI編集長こと井上義啓氏という存在から始まったと言っても過言ではない。1980年に出版された村松友視の「私、プロレスの味方です。」もまた、I編集長によるアントニオ猪木賛歌を、ファンの立場から記し直してベストセラーとなった作品だった。前週刊プロレス編集長ターザン山本氏、9月末で休刊した週刊ファイト編集長井上譲二氏、前週刊ゴング編集長GK金沢克彦氏らは、いずれも井上学級の卒業生たちである。若かりし筆者もまた、先生の「喫茶店トーク」門下生だ。12月13日の1時頃に亡くなったと聞いて言葉が出ない。前日の18時46分、私は所用で携帯からI編集長に電話を入れている。「もう電話をしてくるな!」。これはいつものことだから、ある意味で弟子にとっては無事の確認でもあった。師匠の反骨精神によるジャーナリズムは残されたものが受け継ぐ。活字プロレスは死なない。

それは現ミルホンネット主幹・井上譲二氏もきっと同じであろう。
またターザン山本こと山本隆司氏の奮起も同時に促しておきたい。
レトロ狂時代こと水流園浩二

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表紙イラスト:いしかわじゅん(特別提供)
井上義啓 猪木は死ぬか!Digital Remaster
『ターザン山本!&一揆塾 毒を食らわば皿までも①底無し沼論~井上義啓氏と週刊ファイト』
井上譲二:週刊ファイト元編集長 時効!昭和プロレスの裏側
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TOSHI 倉森 これがプロレスのルーツだ!カリフラワー・レスラーの誇り
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眞鍋嶽山