構想5ヶ月遂にスタート。選手、関係者、熱狂的なファンの方達とシリアスでざっくばらんな裏も表もタブーにならぬギリギリ路線でお届けする記念すべき第1回のゲストは、公私共に付き合ってもう21年のケン・片谷選手です。
3時間に及んだロング・インタビューは、予想通りの7割がオフレコ話になってしまい編集が大変でした。ご了承くだされ。完全版は週刊マット界舞台裏11月03日号にてたっぷりとお楽しみいただけますが、以下にもプレビューとして一部を公開しておきます。
―― 初生観戦は、いつ頃でどの団体?
ケン 当時の国プロは、東京12chで放送していて、番組最後の告知で各シリーズの後楽園ホール大会の招待券をプレゼントしていたんです。直ぐに応募し、見事当選して、1980年6月の『ビッグ・サマー・シリーズ』の金網デスマッチ「R木村 vs. G・ジョー戦」他を観て興奮しました。
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―― このシリーズも勿論TVは観てるが、特筆すべきは、7月5日~あのジェイク・ロバーツが特別参戦したんだよ(3度目の来日)。もう一つは、ディック・ザ・ブルーザーの娘婿のスパイク・ヒューバーが初来日だった。もう昭和プロレスの匂いがムンムンしてきて2人とも笑顔満面。
ケン 1/2兵衛さん・・そうなんです。(かなり興奮状態で・・)TV中継でも何度も何度もヒューバーを煽ってまして、凄い期待したんですが、この時だけの来日で終わってしまいました。小柄でハンサムでしたね・・。
ケン はい。国プロの招待券が何度も当たり観戦して、夢はプロレスラーですから、高校に入学後、柔道部に入部(アマレス部がなかったので)して・・・。そして、1985年に当時の日テレの人気番組『たけしの元気が出るテレビ』でレスラー予備校という企画が誕生して応募、オ―ディションを受けたら最後の10人に残りました。他に松永光弘もいましたよ・・。
ケン 今も語り草のお騒がせ団体?だったTPGプロレス[たけしプロレス軍団]のレスラー募集が、当時の[ニッポン放送]の人気番組『オールナイト・ニッポン』の番組内で発表されたので応募、他に折原昌夫、板倉宏、トーカイ・ブシドー達もいました。
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―― 今まで観たプロレス名勝負ベスト3を教えて下され・・。ウーンと考えること30秒。先ずは、3位は?
ケン はい。1995年のユニオン・プロ流山大会「川畑さん対畠中さん」です。本当に素晴らしいの一語なんです。
―― 分かったよ・・弟よ・・。次の2位は?
ケン はい。1980年7月の国プロの後楽園ホールでの「鶴見さん対スパイク・ヒューバー」です。
―― エーッ渋すぎる。このシリーズのエースは、ジプシー・ジョーだったけど・・。
ケン もう2位にふさわしい最高の試合で、鶴見さんが一番良かった時代です。相手のヒューバーは、さっきも話しましたが、このシリーズの1回だけで、再来日はしなかったんです。1/2兵衛さん・・この試合のビデオを持ってる人を知らないですか?
(1位は本誌をご確認下さい)