激動の世を駆ける格闘漫画家 峰岸とおる インタビュー

 漫画最盛期を生き抜き、今なお活躍中の峰岸とおる先生のインタビューを入手した。
「空手三国志」や、梶原一騎先生とのタッグで描かれた「悪役ブルース」などを手がけた峰岸とおる先生とは一体どのような人なのか。また、作品の裏側とは一体・・・。
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山口敏太郎(以下、山):梶原一騎先生とか、昭和の格闘漫画についてお伺いしたいと思います。
まず、デビューはいつでしたか。
峰岸とおる先生(以下、峰):デビューは19歳の時ですね。1969年ぐらいだったかな?雑誌は光文社でしたね。芳文社って青年誌じゃないですか。それで、若く見られると舐められると思って、歳を23ですっていってずっと持ち込みにいってましたね。それで何とか通って、「亀裂の海」っていう作品でデビューさせてもらったんですよ。
山:その後はどこで作品を出したんですか?
峰:その後は、秋田書店の青年隔週誌ですね。そこでDJをやっている女の子が主人公の漫画を連載してたんですよ。丁度その頃はやってたんですよ。で、それの次にアクション物を連載して、それからいろんなところから仕事が来て。大体青年誌をやってたんですよ。
山:格闘漫画やプロレス漫画をはじめて描いた作品とは一体どれなんですか。
峰:格闘技は、漫画天国で連載していた「空手三国志」が初めてですね。
山:それはおいくつの時なんですか
峰:22歳ぐらいのときかな。それで、24歳ぐらいまでやっていて、それが結構評判だったんですよ。
山:空手三国志は、原作者はどなたなんですか。
峰:古山寛さんです。
山:古山さんとはどういう経過で知り合ったんですか?
峰:ある漫画で、原作を描いていただける機会があったんですよ。それで、コンビを組んでいた時に、僕が格闘技物をやりたいって言ってて、それが違う漫画や雑誌で実現したんですよ。僕が最初に格闘技物をやりたいといいだしたんですが、それに古山さんも乗ってくださって。彼は、明大の漫研の出身なんですよ。かわぐちかいじさんとか、ほんまりゅうさんの一派だったんです。その頃吉祥寺に住んでて、皆で集まって麻雀とかしてた。かわぐちさんは「ヤングコミック」でデビューしたんですよ。明大の漫研にいた時にですね、やくざ物かそういうアウトロー的なものでデビューしたんです。あとね、戦闘機物。確か、「黒い太陽」だったかな。そういうものをやってたんですよ、ずっと。
山:今に繋がるわけですね。
峰:そうですね。その後で、唐獅子警察を描いて、それがなかなかヒットしたんですよ。川口さんところにはあの頃からアシスタントが大勢いましてね、今考えると不思議なんだけど、エロビデオじゃなくてエロフィルムかな(笑)エロフィルムってやつをエロフィルム鑑賞会ってのをかわぐちさんが開いたりしてたんですよ。かわぐちさんの借家の庭に白いシーツかなんか張ってそこに映写機で写すんですよ。24人ぐらいだったかな、じっと見てるんですよ。それも延々とブルーフィルム。で、その中に女の人もいたんですよ。じっと見てるんだけど、なんといいますか、女の人がいると冷や汗かいちゃうんですよね(笑)そんな集まりを週に一回ぐらいやってましたね。
山:確か、当時って明大に漫画家が多かったですよね。とりいみきさんとかみんなそうですよね。
峰:そうですね。
山:明大漫研の全盛期だったんですね。
峰:そうですね。それに編集さんも多かったんですよ。
山:漫研出身で編集部に入る人も多かったんですか。
峰:そうでしょうね。かわぐちさんは漫研のスター的な感じだったから、当時すごくもてはやされていたんだけれども、単行本は売れないといわれていたんですよ。
山:そうなんですか。それはなんでなんですかね。
峰:マイナーな感じだったんですよね。だから、漫画好きの人にはすごい好かれてたんです。
山:真の漫画好きにはその面白さがわかるけど、一般大衆には受けなかったということですかね。
峰:そうですね。で、それをずっと言われてたんだけども、「モーニング」にきてそこでブレークしたんですよ。「イエスキリストスーパースター」ってのがあったじゃないですか。そんな感じのブロードウェーかなんかの役者のやつを描いたんですよ。
山:確か、キリストが一般の人みたいなものでしたよね。性欲もあるし食欲もあるしという。
峰:そうそう。それがスマッシュヒットみたいな感じになったんですよ。
山:「沈黙の艦隊」もですかね。あと、「ジパング」もおもしろかったですね。
峰:思い起こしてみるとデビュー当時から戦闘機物とか書いてたから、考えてみれば一貫していますよね。やっぱり好きなんですよね。
山:話は変わりますが、先生の「空手三国志」の第一部はどのようにして終わったのですか?
峰:実は、第1部はまだ途中なんですよね。空手三国志がヒットして、それが目立ったがために、少年マガジンから依頼がきたんですよ。それで、大リーグスーパースター物語とかそういうものを書いてたんですよ。
山:そのあたりで漫画天国がなくなったんですかね。
峰:いや、なくなりはしないんだけど、縮小したんですよ。隔週誌がね当時あんまりよくなかったんですよ。隔週誌という媒体自体がね。隔週誌で連載物というものに限界が見えていた頃で、それでリニューアルするのと、僕が講談社に移ったんで。おそらくそういうのがあったのかもしれないですね。途中で終わってるんですよね。
山:第1部が終わった後に?
峰:そうそう。
山:第2部はまた違うところから始まるんですか?
峰:そうなんですよ。今度は徳間書店の系列の「徳間オリオン」というところでやったんです。1、2巻書いて、3巻目ぐらいの時に雑誌がつぶれちゃって。それでまた途中で終わってるんですよ。
山:じゃあ、空手三国志は第1部と第2部というのは、ストーリー的に繋がりはあるんですか?
峰:繋がりはあるんだけど、未完なんですよね。
山:僕たちは当時学生だったので、読ませていただいてたんですが、確か、何とか編、何とか編と書いてて、実はよく見分けのつかなかったところもあるんですよ。これは繋がってるのかどうかって。
峰:主人公が強敵と格闘して、どっかにふらっといなくなるという感じで、そこで未完で終わってるんですよね。どこにいったか判らないという感じで。その主人公もどっからかふらっときて。「新空手三国志」というのは、またどっかからふらっと現れて、それで、格闘技界をかき回していくという感じなんですね。いわゆる格闘技界の三国志といった感じでね。話が広がっていくというものなんですよ。
山:完結させたいという意識は強いですか。
峰:それは強いですよ。強いですけど、原作者が亡くなってしまってるんですよ。もう4、5年ぐらい前になるかな。
山:でしたら、まだお若いですよね。
峰:61、2歳でだったかな。「新空手三国志」も最後まで力いっぱいやろうとしてたんだけどね。雑誌がなくなっちゃったんで。やっぱり、コミックバンバンというのも隔週でね。苦闘してたんですよ。隔週で続き物は、結構きついんですよね。ビックコミックみたいな感じで、一話読みきりだったらよかったんですけどね。当時は隔週誌で続き物というのが多かったんですよ。
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山:隔週の漫画って、前回どんなだったか忘れちゃうことがあるんですよね。結構途切れ途切れになっちゃうんですよね。
峰:そうそう(笑)
山:空手三国志の空手の型って、僕は極真流だと思ってみてたんですが、あれは全て極真流をモデルに書いてらっしゃるんですか?
峰:いえ、極真流ではないですね。
山:では主人公にはモデルがいるのですか?
峰:一応、僕の知り合いに格闘家で漫画家がいるんですよ。池上遼一先生の友達で、多田拓郎さん。この人が、池上先生の友達なんだけれども、池上さんの絵が好きで、ちょっと手伝ったりしてたんですよ。アシスタントまで行くのかは知らないけれども。それで、僕もその人と偶然知り合ったんですよ。その人の親父さんが道場を開いていて、ずっと空手をやってたんですよ。
山:多田さんは漫画家であり、現役の空手家でもあるんですね。
峰:そうそう。その人と、編集と古山さんと僕の4人で、井の頭公園で型の写真を撮ったりしたんですよ。
山:後ろ回し蹴りとかそういうのもですか。
峰:そうそう。
山:受ける型とかも全部残せるわけですか。
峰:そうなんですよ。古山さんが多田さんの型とかを全て受けてくれて。
山:古山さんは別に空手家って訳じゃないんですよね?
峰:そうなんです。でも体を張って協力してくださって。いっぱい写真を撮らせてもらったんですよ。空手三国志ってのは骨法道場っていう小さい町の道場なんですよ。主人公がそこに所属してて、そこの道場は小さいのだけれども、一方に大手の道場があって、あと日本空手連盟みたいな、当時はフルコンタクトではない空手があったんですよ。で、それがあって、それを主人公がかき回していくと。そういう話なんですよ。
山:2大勢力にはさまれた小さい道場の主人公がということですか。
峰:なぞのプロモーターというのがいて、それが主人公の格闘技センスを見抜いてリングに上げるわけですよ。
山:プロレスに向いていると。
峰:そうそう。異種格闘技としてあげるんですよ。そこで、もう誰でもいい、最強を目指すやつはかかってこいと。それでいろんな格闘技の人たちがリングに上がってきて、その中に香港のカンフーの一団がやってくるんですよ。謎の中国拳法が。その時に、すごくブレークしたんですよ。動きは見えないんだけど、相手は剃刀で切られたように傷つく技とか、そういうのを出して、とにかく早くて見えないし、どうして切られているのか判らない。
山:相手の太刀筋が見えないわけですね。
峰:そうそう。で、そういうのを描いた時に爆発的に売れて。
山:なるほど、カンフー軍団との抗争のときが一番売れたんですか。
峰:そうですね。
山:その後、カンフー軍団に勝利した時点で第一部が終わったんですか。
峰:いえ、第一部といいますか、ずっと続いているんですね。
山:ということは、そのまま新空手三国志に突入していくんですか。
峰:いえいえ、そうではなく、その後でも、いろんな格闘技家が出てくるんですよ。
山:他にはどんな格闘技を出したんですか。
峰:例えば、防具をかぶってフルコンタクトとかいうのがあったんですよ。そういうところとか、色々出てきて。で、やっぱり(きょくしんかん?)のスターっていうのかな。まぁ、宮本武蔵でいうところの吉岡道場みたいな感じの青年リーダーみたいなのと、戦うっていう感じですね。
山:モデルというのは。
峰:吉岡道場の人ですね。吉岡道場の長男、吉岡清十郎。彼がモデルかな。
山:例えば極真空手からうちの誰々を勝手にモデルにして!とか怒られなかったんですか。
峰:編集部には来たみたいですね。格闘技道場とかから来たみたいだけど、こっちには来なかったですね。
山:編集部にはクレームが来てたんですか。
峰:えぇ。そこは編集部で頑張りますからと言ってくれて。
山:そういえば、骨法という言葉はどこからきたんですか?
峰:古山さんは、とにかくすごい読書家でね。1日1冊読む人で、いろんな知識があってね、そこから知ったんではないですかね。当時から発想がすごいなと思っていましたね。
山:特殊な技とか、作品の中で開発とかされたんですか。
峰:主人公自体は、野獣っていう感じなんですよ。
山:そうなんですか。僕はてっきり、若い頃の大山倍達さんをモデルにしてるのかと思っていました。
峰:違うんですよね。
山:空手バカ一代とかぶってるじゃないかとかのお叱りはなかったんですか。
峰:それはどうなんだろう。あまり気にしてなかったですね。
山:そうなんですか。空手バカ一代は子供向けだったんですけど、僕ら読者は主人公が強大な団体に挑んでいくようなところが空手バカ一代と似てたんで、大人向けの空手バカ一代と思って読んでたんですよ。だから、僕はてっきり梶原一騎が企画かなんかで絡んでると思ってたんですよ。
峰:いや、そういうことはなかったですね。
山:多田さんが型のモデルになったということでしたが、多田さんは今何をやってらっしゃるんですか。
峰:今は何をやってらっしゃるんですかね。最近会ってないんですよ。漫画をずっと書いてたんですけどね。
山:まだご存命なんですか?
峰:元気だと思いますよ。10年前にK-1の格闘家達と交流があって、角田さんに会わせてやろうかみたいに言ってらっしゃいました。丁度角田さんとか、K-1が東京に進出してきた当時ですね。
山:では、多田さんの流派というのはどこなんですか。
峰:多田さんは独自の流派だったんですよ。お父さんが作られた流派なんですよ。多田さんはすごい趣味人で、ギターもすごいうまいんですよ。すごいなこの人と思って。格闘技は出来るし、ギターで歌がうまいんですよ。当時のフォークソングみたいな感じなんですけどね。それで漫画も描くんですよ。この人すごいなって思ったんだけど。多趣味でね。
山:で、そのあと講談社で描くようになって、大体何作目ぐらいで「悪役ブルース」をやろうと思ったんですか。
峰:Iさんというゆくゆくは編集長になる人なんだけど、その人から初め依頼が来て、サッカーの物語を書いたんだけど、そのあとで、大リーグスーパー物語というものを書いて。それを大体一巻分ぐらいやって。で、今度いい原作家がいるから野球物をやらないかといわれて。なんか、色々競争が激しいんだって、編集部ではね。いろんな漫画家が連載狙ってるから。原作渡すから、これの下書きを全部書いてくれって。強引にねじ込むからって言われて。それで、「素晴らしきバンディッツ」ってのがね、そのシナリオを描いたんですよ。そのときの原作者が史村 翔っていって。別名、武論尊っていって、ジャンプの「北斗の拳」でブレイクしている。
山:武論尊さんは元々史村 翔って名前だったんですか。
峰:いえ、違います。元々ジャンプで書いてて当時「ドーベルマン刑事」でブレイクしてたんですよ。
山:だから名前を使い分けたんですか。
峰:そうそう。史村 翔さんと素晴らしきバンディッツをやらせてもらって、それがすごく軽妙で面白かったんですよ。で、その人に原作を書くコツってどういう感じなんですかねって聞いたら、俺は小説は読まないんだって。
山:武論尊さんがですか?
峰:ええ。「そうなんですか!」っていったら、「えぇまったく読まない」って。漫画しか読まないって、当時は言ってたんですよ。で、「そんなんで原作がかけるんですか」って聞いたら、「書ける書ける」って。史村さんは自衛隊にいたらしいんですね。自衛隊にいて、その時に本宮ひろ志さんと知り合いになって、あの二人は友達同士なんですよ。
山:自衛隊の時の仲間なんですか。
峰:そう聞きましたね。
山:同じ部隊にいたんですかね。
峰:どうなんでしょうね。それで、本宮さんが「男一匹ガキ大将」でブレイクしたときに、俺もそういうのやってみようかな、面白そうだなってことで原作を書いたのが始まりだそうなんですよ。
山:では、本宮さんがジャンプに紹介したんですか。
峰:そうだと思いますよ。
山:自衛隊繋がりとは思わなかったですね。
峰:そうなんですよ。僕は、漫画を描くのはとにかく本を読まなければならない。映画を見なきゃならないとあらゆる知識を詰め込まなければならないと教えられてきたから、先輩達にね。だからすごい衝撃だったんだよね。すごいなーと思ったよ。それでよくかけるなと。
山:漫画から得た知識の漫画って、2次創作なっちゃうからいいものが出来ないってイメージがあるんですけど、ひらめくストーリーがあるんですかね。
峰:それでね、史村さんにびっくりしたんだけど、その後でもね、びっくりした漫画家がいるんですよ。楠みちはるさん。「湾岸ミッドナイト」とか「あいつとララバイ」。僕がマガジンで書いてたときにデビューしたんですけど、彼もまったく本を読まないって。それで、映画とかも洋画は字幕がめんどくさいと見ないとか。
山:日本の映画しか観ないんですか。
峰:そうそう。その映画自体もあまり見てないみたいなんだよね。
山:それでストーリー作れちゃうんですね。
峰:そうなんですよ。もうびっくりしちゃって。そんなんで作れんのって。
山:不思議ですね。
峰:そう、不思議なんですよ。でも、楠みちはるさんも元々スナックのバーテンをやってて、あとはバイクが好きでバイク便とかで仕事してて、それで講談社に持ち込んだってのが始まりらしいですね。
山:確か、あいつとララバイにもバイクが出てきてましたね。
峰:バイクが好きで、不良っぽいのが好きだから。それが湾岸ミッドナイトに繋がっていくっていう。
山:なるほど。
峰:自分の好きなことをやっているから、ストーリーが出来るんだと思うよ。その2人にはびっくりしちゃいましたね。今は史村さんも色んな物を読んでるとは思うんだけどね。当時はまったく読まないといってましたけど。
山:そうなんですか。それで北斗の拳が出来ちゃうわけですか。
峰:そうなんですよね。すごいですよね。北斗の拳も最初は漫画家の原哲夫が確か増刊号か何かで読みきり書いてたんですよね。それを編集部がこれはいけるんじゃないかというんで。で、週刊でやるんだと原作が必要だろうというので、そこで急遽史村さんが呼ばれたんですよ。それでもうすごいブレイクしちゃってね。あの作品はジャンプで爆発的に売れたでしょ?
山:そうですよね。今でも週刊コミックバンチで続いていますからね。
峰:その後でほとぼりが冷めたかなと思ったら、パチスロでブレイクしたんですよ。で、またほとぼりが冷めたなと思ったら、またパチンコで大ブレークで。
山:一つで何回もおいしいという。
峰:すごいですよね。あれは、年間3億円ぐらい入ってくるらしいですよ。
山:そんなに入ってくるんですか。
峰:そうそう。パチンコでそういうキャラクターとかなるとね。だからあの人働かなくてもいいんじゃないですか(笑)
山:一生遊んで暮らせますよね。
峰:だから、キャラクターがいっぱいいるじゃないですか。ああいうのってパチンコ向きなんですよね。北斗の券が始まる前に、僕が書いた素晴らしきバンディッツを2年近く近くやったんですけど、2年近くで終わったんですよ。その後で僕は、梶原一騎先生と組ませてもらうことがあったんですよ。これは梶原さんと出会う前なんですが、編集から銀座に飲みに行こうかという話があって、武論尊さんとタクシーで移動していたんですよ。そのときに武論尊さんが「君はいいよね。次は梶原一騎さんと組めるんだろ。食いっぱぐれないよね。俺なんか終わっちゃってどうしようかな」とか言ってたんですよ。そしたら、大ブレークですよね(笑)
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山:梶原さんと組めるというのは、当時の若手の漫画家にとっては名誉なことだったんですかね。
峰:そうですね。
山:梶原先生は当時おいくつぐらいだったんですか。
峰:確か40代だったかな。
山:超ベテランですよね。
峰:そうですね。
山:巨人の星とかあしたのジョーがヒットした後でしたからね。
峰:そうそう。巨人の星、あしたのジョーでしょ。その後に、愛と誠があるんですよ。あれもすごい大ブレークして。そのあと、ちょっと停滞した時期があって、それで僕の「悪役ブルース」もあったんだけど、それもブレークする前に、ああいうことになってしまいまして。
山:初めて梶原一騎先生とお会いしたのはどこなんですか。
峰:当時の編集長と担当を交えて、銀座のクラブであったんですよ。
山:梶原さんは当時どんな雰囲気の人だったんですか?
峰:もう威風堂々ですよ。180cm以上の巨体でレイバンのサングラスをかけて白いスーツに白くて長いマフラーで銀座を闊歩してましたからね。編集長なんかも低姿勢でしたし(笑)編集長がぺーぺーの時からやってますからね。梶原先生って「チャンピオン太」とかも書いてたんですよ。で、「タイガーマスク」は少年マガジンって講談社だったから、もう梶原先生の方がすごく古いんですよ。
山:当時もうすでに愛と誠とか空手バカ一代とかのヒット作があった上で、悪役ブルースを始めるよという状態じゃないですか。梶原先生は悪役の目線から見たプロレスをやりたいと思ってらっしゃったんですか。
峰:そのへんは定かではないですね。ただ、格闘技界を描きたかったんではないかと思いますね。
山:K-1などの格闘技ブームを先んじてやりたかったんですかね。
峰:当時一方で、少年サンデーに格闘技のプロレススーパースター列伝みたいなのがやってたんですよね。プロレスラーの背景ですか。そういう感じのものを書こうとしたんじゃないですかね。
山:サンデーの方はスーパースター列伝で、マガジンの方は格闘技色の強いものをやってみようかなといった感じだったんですかね。
峰:そのへんは判らないですね。たぶん、そういうことだとは思いますがね。
山:最初梶原先生と話した内容とかは覚えてらっしゃいますか。
峰:当時かなり緊張しててよく覚えてないんですよ。「今度漫画を作画する峰岸です」と編集長に紹介されて、「よろしくお願いします」といったら「おぉ」って感じで答えてらっしゃいましたね。とにかく、大きな存在感がありました。
山:カリスマ梶原先生という感じのオーラが出てる。
峰:そうそう。すごく大きく見える人でしたね。
山:一緒に飲みにいかれたりはしたんですか。
峰:いや、恐れ多くて個人的にはないですね。編集を交えてしかないです。
山:その当時、梶原先生は相当お飲みになってたんですか。
峰:だったと思いますね。銀座のクラブに行ったんですが、何件もクラブをはしごして行くんですよ。すると、そこの客とかがおびえた目で見てるんですよ。なんか、恐ろしい人が来たみたいな感じで(笑)当時、なかにし礼とかそういう作詞家が集まるクラブがあったんですよ。そんなクラブでもやはり客が怯えた目でこちらを見てましたね。
山:梶原先生=怖いってイメージがあったんですかね。
峰:やんちゃなところがあったらしいですね(笑)もう、付いて来い!って感じですよ。はしごしていくじゃないですか。もう何軒も行くんですよ。当時はSP(ボディーガード)が付いてたんですよ。外車のポルシェに乗ってSPが運転して。SPはね、先生が出てくるまで車の中で待ってるんですよ。それで、「行こうか」って感じで。
山:お弟子さんとは別にSPがいたんですか。
峰:そうなんですよ。で、最初に悪役ブルースの原作もらった時ね、これはすごい原作だと思いましたよ。
山:もう、面白い。という感じですか。
峰:面白いし、一字一句無駄がない原作というのかな。
山:その原稿って今もお手元にあるんですか。
峰:それがないんですよ。今となってはお宝となってるんですがね。
山:今では、FAXとかメールできますけど、あの当時原作というのは手書きで来るわけですよね。捨てちゃうんですか。それとも編集部に送り返したとか。
峰:いやいや、自分の手元に置くんだけど、大掃除の時とかに何気なく。最初は「梶原先生の原作だ!」とちゃんと持ってたはずなんですよ。何年かごに引越しとかなんかの時に、なくなっちゃったんですよね。確か、2Bか4Bの鉛筆で書いてて、太い字だったんですよ。それで、がーと書いてるんですよ。男性的な字で、状況描写が本当に短い文章なんですよ。例えば、(捨て台詞をはいてニヒルに立ち去る)とかね。的確で無駄のない文章でしたね。
凄い時もうまいし、読みやすかったですね。それで、台詞があるじゃないですか。台詞があって、状況描写がね本当に短い文章なんですよ。こうしてこう立ち去る、ニヒルに立ち去るとかね。すごい文章を省いてる。
山:徹底的に簡素化してるって感じですか。
峰:そうそう。だから、20ページの漫画だったら、7、8枚の原作なんですよ。400字詰めだったかな。だから、これ原作の枚数が少ないから結構入るのかなと思ったら、きっちり入るんですよ。要するに、7、8枚だと少なくてうれしいなと思って、大ゴマを作ろうとするじゃないですか。そう思ってやると、そんな大ゴマもかけないし、もうきっちりと入るんですよ。
山:頭の中でラフとか描きながら書いてるんですかね。
峰:未だに、あんなに完全な原作というのは見たことがないですね。一字一句間違いがないんだよね。
山:梶原先生はかなり忙しかったと思うのですが、締め切りを遅れたりすることはなかったんですか。
峰:それがないんですよね。
山:あれだけ忙しい人が、まったく遅れない。
峰:うん。そうですね、すごい遅れたっていうのはなかったな。
山:毎晩飲んでたイメージがあるんですが、いつかいてたんですかね。
峰:確か、午前中に新聞とか読書をして、それでさーと書いて、それから飲みに行くという話しは聞きましたね。
山:プロレスのことを悪役ブルースで書いていくわけですが、確か最初は人気が低迷してましたよね。
峰:そうそう。大体7、8位をウロウロしてたんですよ。微妙なところを。梶原先生の作品にしてははねないなという感じだったんですよ。
山:悪役ブルースが一気にブレークしたきっかけというのは、やっぱりタイガーマスクですかね。
峰:そうそう、タイガーマスクが新日プロレスのリングに上がって、主人公達のところにタイガーマスクが現われるんですよ。颯爽と、リングのコーナーポストに現われて。それを描いたんです。それから2位とかにがっと上がってきて。
山:タイガーマスクが登場した瞬間、8位から2位にですか。
峰:そうそう。編集も「えっ!!」って(笑)僕もびっくりしちゃって。話はぜんぜん変わってないんだけど、
山:当時、僕達は中学生だったんですけどタイガーvsダイナマイト・キッドの試合とかわくわくしてたんですよ。あの中学生達ががっと食いついたのかもしれませんね。
峰:だと思います。それからもう人気が下がらなくて、ずーと2位3位だったんですよ。
山:結構ブッチャーとかいろんなレスラーが出ていましたが、キャラクターで一番人気があったのはタイガーですか。
峰:・・・タイガーですね。主人公は、国際プロレスの3人ですか、ラッシャー木村とアニマル浜口と寺西の軍団に入ることになるんですよ。それで主人公はそこで格闘をするんだけど。
山:1年8ヶ月ぐらいの連載の中で、最初は低迷して、途中から人気が跳ね上がり、そのまま最後まで行くわけですか。
峰:そうそう。
山:それで、確か途中あるハプニングがあって終わってしまうんですが、それが例の事件ですよね。
峰:そうなんですよ。梶原先生がね。確か5月ごろだったと思うんだけど、僕がはじめて聞いたの。主人公と国際プロレス軍団が巌流島かなんかでトレーニングしてて、「よし、タイガーマスク今に目に物見せてやる!」みたいな感じで書いて原稿を編集に渡したら、「これ本に載らなくなりますよ」見たいな事を編集が言って。
山:書き終わった後にですか?
峰:そうそう。「えっ!?」て思って。「なんなんですか!」って聞いたら、「梶原さんが月刊マガジンの編集を殴っちゃって、それで今編集部で揉めてるんだ」って。
山:結局あれは少年マガジンの編集長ではなくて、月刊マガジンの編集だったんですね。
峰:当時は月刊マガジンの副編集長だったのかな。
山:酒の勢いで殴っちゃったんですかね。
峰:そうそう。銀座かどっかのクラブで、飲んでる最中に。その編集も梶原さんとタイプが似てるんですよ。ちょっとごつい顔してるんですよ。その編集は剣道4段で、豪傑タイプなんですよ。編集が、何かの拍子で「僕も離婚しました」ということを言って、「これで梶原先生と一緒ですね」みたいなことを言ったらしいんですよ。
山:それはちょっと失礼ですよね。
峰:そうそう。で、そしたらがっと殴られて。「お前と俺は同等か!!」みたいな感じで。
山:自分も離婚したって梶原先生に言うのはかまわないけど、一緒ですねというのは失礼ですよね。梶原先生は梶原先生で、ご家族との思いがあるわけだから。それで、切れちゃったのかもしれないですね。
峰:そうかもしれないですね。
山:でも、そのあと梶原先生が「男の星座」を書かれましたけど、梶原漫画ってもう読めなくなっちゃったじゃないですか。だから、僕ら梶原一騎ファンも残念でしたね。悪役ブルースだって、僕ら中学生の頃から止まったままですからね。出版界にとっても大きな損失ですよね。
峰:本当にね、今考えると何故なんだろうと思うんですよ。っていうのはね、僕が聞いたのは5月ぐらいなんですよ。事件が起こったのは4月でしょ。1ヶ月のタイムラグがあるんですよ。その間に梶原先生は、例の編集に謝罪してるんですよ。だけど、編集部で問題になって。事件が起きてから1ヶ月ぐらい経ってから問題にしたんですよ。すぐ問題にじゃなくて。
山:おかしいですね。何か謀略っぽいものを感じますね。
峰:それで、編集会議で当時の編集長が「こんなことを曖昧にしておくのは良くない」と。禍根を残すということで、これを発表しようと決断したらしいんです。
山:普通ね、男が仕事をやっていけば、会社でも何でも喧嘩になっちゃう場合ってありますよね。素面になって謝ったら、それは水に流して、また一緒に仕事やろうよってなるもんですがね。
峰:例の編集もね、男気のある人なんだよね。月刊マガジンのときは俺の担当だったんだけど、すごい無骨な人なんだよね。だから、その人も謝罪された時に「判りました」とそういう感じだったそうなんですね。だけど、何故か当時の編集長が問題にしちゃって。
山:なにか、政治的な意図があったのかもしれないですね。これを機会に梶原先生を潰しちゃおうみたいな動きがあったんですかね。
峰:どうなんだろうね。でも、今から考えるとあれだけ貢献した人に対して、そこまでやるかという感じですよね。
山:そうですよね。ある意味マガジンの全盛期を作ったのは梶原先生なんですから、その功労者に対して騙し討ちは酷いなっていうのは、僕らファンも思いましたし。だって、亡くなる直前の梶原先生なんかもうご老人のように痩せ衰えてて、凄いショックだったんですよ。自分らは空手バカ一代とか、プロレススター列伝とか巨人の星とかあしたのジョーで育ってるんですよ。だから、梶原先生に何故あそこまで出版界全体が潰しにかかる、ワイドショーが興味本位で報道するじゃないですか、あれも酷いなと思いますし。プロレス界もここぞとばかりに冷たくなるんですよね。
峰:講談社の週刊現代でしたっけ。あれでもう、徹底的にあることないこと書きましたからね。
山:猪木さんの監禁事件とかね。酷い話ですよね。
峰:ある意味、出版界は恐ろしいんだということを知りましたね。当時俺は、「何故だ、何故先生がこんな仕打ちを受けるんだ」って思ったんだけど、梶原先生の方が俺の何十倍もね「何で俺がこんな仕打ちを受けなければならないんだ」と思ったはずなんですよ。だって、客観的に見ても相当貢献してるわけじゃないですか。それなのによってたかってバッシングされたわけだから、相当ショックを受けたんじゃないですかね。
山:当時峰岸先生は20代だったんですよね。
峰:そうそう、28歳ぐらいだったかな。
山:訳が判らないまま連載が終わってという感じですよね。
峰:そうですね。
山:本当に惜しい方を亡くしましたよね。今ご存命でもおかしくはないですからね。昭和と一緒に、終わっていくべき梶原漫画だったんですかね。今でも若い人たちの間で、梶原先生の漫画が再評価されて、すごい面白いという声が上がりつつあるんですがね。漫画の古典として、梶原先生の作品が平成生まれの子達に読まれてますよね。梶原一騎をもっと再評価して、今江戸博物館で手塚治虫展とかやってますが、僕はもっともっと梶原一騎展とか梶原先生を評価する動きが出てきてもいいんじゃないかと思うんですけどね。
峰:全くその通りですね。
山:丁度梶原先生の時に、小中高と育った世代ですから、僕らの世代が今出版会の重鎮とかになってきてるんで、梶原先生の作品の面白さを再評価するという運動をやっていきたいと思いますね。
峰:今考えると、一本筋が通っている原作家じゃなかったのかな。
山:戦後の焼け野原を生きてきた人だから、戦後生まれとは違った根性がありますよね。
峰:そうですよね。
山:最後に一言お願いします。
峰:悪役ブルースですが、途中で打ち切りになってしまったのですが、コミックにする際は梶原先生の弟であられる真樹日佐夫先生にまとめていただき、一つの作品として終わらせることができました。それについて非常に感謝しています。
山:なるほど。今日はどうもありがとうございました。
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