54年力道山~沢村忠キックの誕生『マット界の黙示録☆真正文化史』 2017-02-16 01:552020-08-26 13:55 タダシ☆タナカ+シュート活字委員会, 国内プロレス, 著者別:復刊本_写真集_教材 ツイート プロレス格闘技55年の歴史をシュート活字で紐解く。プロレス村の作る歴史とは異なる、驚愕の真相が明かされる!【抜粋】 時計を一端終戦後の日本に戻して、大きなアメリカ人選手に我らのエースが勝利するスポーツ・ドラマを、国民全体が必要とした時代へタイムスリップしてみよう。今から60年以上前の45年8月15日、日本は連合国に無条件降伏した。 マッカーサー司令官がパイプを咥えながら統治する国へのタラップを降りたのだから、荒っぽい西洋相撲という娯楽を庶民に与えて悪かろうはずがない。プロレス番組の成功とテレビの初期の普及には大きな相関関係があったことを確認しておく必要がある。現在、このジャンルが置かれているマイナーなイメージと違って、当時は社会的な影響力が計り知れない時代だった。力道山の名前は20世紀を象徴する人物のリストに、どのメディアが選んでも上位に入っている事実がある。 50年2月、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言わしめた柔道の鬼・木村政彦が、師匠・牛島辰熊が講道館を離脱して設立した国際プロ柔道協会に誘われ、山口利夫、遠藤幸吉ら師範格とともに参加する。しかし、「模範試合」の試みは四ヶ月しか続かず、エース木村は日系実業家の誘いでハワイに渡米、事実上のプロレスラーに転身した。そこから欧州、南米と世界をまたにかけた巡業を果たす。この熊本県出身の柔道家こそが、プロ・ファイターの元祖でもあった。 同年9月、力道山が大相撲を廃業する。工事現場で働きだして一年後、朝鮮戦争国連軍のために編成されたボクシング前ヘビー王者ジョー・ルイスと7名のプロレスラーからなる慰問団が、在日宗教団体シュライナーズクラブの招きで西洋相撲を展覧した。両国メモリアルホールにおいてリングを使ったこの格闘芸術に魅せられた力道山は、未知のプロレスリング挑戦を決意する。 終戦直後の混乱が収拾すると、勤労意欲に燃える大衆は新たなスポーツの快楽を求め始める。「東京コミックショウ」のパン&ショパン兄弟が、末妹リリー(32年目黒区生まれ日本人=8人兄弟の女一人、長男パンとは16歳差)を軸に、「女の子だけのガーター争奪戦」という "公然ワイセツ物陳列"を試みたのは、「昭和24年、もしくは25年(50年)、神戸新開地の劇場だった」と、リリーこと猪狩定子は証言する。 「こういうショーは関西のほうがウケる」という興行主の招待からで、「女の子バンド演奏」が1部、「兄弟コント」を挟み、3部構成のトリ扱い。悪役の田山ローズ勝美(斉藤キクエ)にリリーが絡み、マットを床に敷いた女子プロの原型を披露した。 タダシ☆タナカ+シュート活字委員会◆永久保存資料 封印されたタブーの真相とスキャンダル検証 プロレス逆襲の糸口を探る文化歴史研究書 【目次】 54年12月22日●蔵前国技館 「初代日本選手権」 三丁目の夕日〜「昭和プロレス」の文化背景 映像世代が求めた予定調和のスポーツ劇=プロレス 太平洋上アントニオ猪木略奪事件 戦後からのメディア体制に交代なきマット界 68年1月の隅田川対決―同日興行戦争 A猪木主役でNET(現テレビ朝日)がプロレス参入 『空手バカ一代』世代と梶原一騎 日本の国際化と万国博覧会 ∞ 70年代が幕開け ハードロックの時代と映画音楽サントラ ジャイアント馬場の全盛期とは 文化班コラム★書店経由しないメディア「週刊ニューズレター」とは? 54年力道山~沢村忠キックの誕生『マット界の黙示録☆真正文化史』商品コード tanakatada001価格 315 円 ウィッシュリストに追加する » 投稿ナビゲーション 全選手計量パス!公開記者会見で対戦相手対面!明日決戦!~2・16「Lethwei in Japan 2 ~LEGACY~」6・16第4回日本ラウェイ大会TDCホール開催発表!!『マット界の黙示録☆真正文化史』Special Edition