[ファイトクラブ]消息不明のGPWA&日本列島プロレス連盟~消えたプロレス団体

[週刊ファイト6月13日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼消息不明のGPWA&日本列島プロレス連盟~消えたプロレス団体
 by 安威川敏樹
・プロレスリング・ノアが中心となって創設されたGPWA
・日本マット界統一を期待されたGPWAも、実態は商店街の寄り合い?
・地方インディー団体の集合体、日本列島プロレス連盟
・マリーゴールドの存在がUJPWの火種になるか?


 突然、思い出したように復活した『消えたプロレス団体』シリーズ。今回、取り上げるのはGPWAと日本列島プロレス連盟だ。
 よほどのプロレス・マニアでない限り「そんなプロレス団体があったの?」と思うかも知れない。何しろ『消えたプロレス団体』どころか、消えたかどうかすら判らないのだ。もし、消えていなければご容赦いただきたい。

 GPWAの方は、まだ知名度があるだろう。正式名称はグローバル・レスリング連盟で、各団体バラバラの日本プロレス界の統一コミッション設立を目指して創設された。
 日本列島プロレス連盟の方は、ほとんど知られていないとはいえ、なんと21団体も加盟している。おそらく、日本プロレス史上で最も加盟数が多い組織ではないか。(文中敬称略)

プロレスリング・ノアが中心となって創設されたGPWA

 今年の6月13日、早いもので三沢光晴が亡くなってから15年も経つ。当時、三沢が社長を務めていたプロレスリング・ノアが中心となって立ち上げたのがグローバル・レスリング連盟(GPWA)だ。創設の目的は前述の通り、統一コミッションの設立である。
 創立されたのは三沢が亡くなる約3年前の2006年9月12日。加盟していたのはノアを含む8団体(海外を含めると12団体。他に個人参加あり)だ。

 それまでも、日本のプロレス界に『連盟』『協会』を名乗る組織はあった。最も有名なのは力道山が興した日本プロレス協会だろう。日本プロレス協会の上部組織として日本プロレス・コミッションも存在した。
 だが、日本プロレス協会やコミッショナーが認可していたプロレス団体は日本プロレス興行のみ。1973年、日本プロレス興行の崩壊と共に、協会もコミッショナーも消滅した。つまり統一機構とは程遠く、日本プロレス・コミッション、日本プロレス協会、日本プロレス興行の3点セットを総称して日本プロレスと呼ぶのが普通である。

 同時期、山口利夫が創設した全日本プロレス協会(現在の全日本プロレスとは無関係)というのもあった。こちらも『協会』とは名ばかりで、単なる営利団体に過ぎない。
 ついでに言えば、UWFだって『連盟』である。Universal Wrestling Federation、即ちユニバーサル・レスリング連盟だ。もちろん、実態は第一次、第二次とも連盟ではなく会社組織だったが。

 統一機構に近いものは、やはり力道山時代に存在した日本プロレスリング連盟だ。去年12月に発足した日本プロレスリング連盟(UJPW)と同名だが、もちろん両者に繋がりはない。
 かつての日本プロレスリング連盟は、なんと4団体を集めたウェイト別日本選手権を主催し、プロボクシングのように各階級のチャンピオンと順位まで決めていた。つまり、統一機構らしいことをしていた日本史上唯一のプロレス組織だったが、実態は力道山の日本プロレスが日本マット界を制圧するために作られた連盟で、その野望が達成されてからは消息不明である。

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 また、日本プロレス崩壊後に日本の男子プロレス界は全日本プロレス、新日本プロレス、国際プロレスの3団体となったが、この時代に新日と国プロが自由民主党の副総裁だった二階堂進をコミッショナーに推戴している。これで、念願だった統一コミッションの設立まであと一歩と言いたいところだが、要するに新日による全日潰しが目的のコミッションだった。
 当然、全日の総帥だったジャイアント馬場は怒り心頭で、このコミッションは認めていない。

 その後、国プロが崩壊し、コミッショナーの座はタレント議員だった野末陳平に受け継がれたが、いつの間にか消滅。日本のプロレス界における非営利組織は『いつの間にか消滅』があまりにも多過ぎる。

▼日本プロレス協会を設立した力道山

日本マット界統一を期待されたGPWAも、実態は商店街の寄り合い?

 ちなみに、GPWAを略さずに言えばGlobal Professional Wrestling Alliance、即ち最後の『A』はアメリカでかつて世界最高峰のプロレス組織だったNWAの『A』と同じだ。
 Allianceとは『同盟』という意味であり、NWAは連盟ではなくプロモーターによる同盟組織だったのである。つまりGPWAも『連盟』と名乗りながら、実は同盟組織だったのか?

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 このあたりがよく判らない。そもそも日本のプロレス組織は、会社として登記していなければ実に曖昧な存在なのだ。
 GPWAは、公益社団法人はもちろん一般社団法人としても登記しておらず、やはり同盟組織としての性格が強かったのだろう。夢のない言い方をすれば、商店街の寄り合いのようなものだ。

 プロレスリング・ノアが中心となって設立と前述したが、新日本プロレスや全日本プロレスといった老舗団体は参加しておらず、会長もノア社長だった三沢光晴。これではノアのための連盟となってしまう。
 それでも、設立当初は期待も高かった。東京スポーツではGPWA創設を一面トップで大々的に報じたのである。いずれは新日や全日も参加して、バラバラだった日本マット界を統括してくれるのは、と思われていた。

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