[ファイトクラブ]世界最高峰からインディーへ転落したNWA~消えたプロレス団体

[週刊ファイト7月27日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼世界最高峰からインディーへ転落したNWA~消えたプロレス団体
 by 安威川敏樹
・全米プロモーターの同盟組織として発足したNWA
・WWF王座ですら『世界』を名乗れなかった時代
・WWFの全米侵攻によりテリトリー制が崩壊
・かつての日本人が感じていた、NWAという3文字の誇り高き香り


 今の若いプロレス・ファンは『NWA』などという3文字には馴染みがないかも知れないが、かつては世界最高峰と呼ばれたプロレス組織だった。現在では世界最大のプロレス団体で、NWAを破滅に追いやったWWEですら、元々はNWAのニューヨーク支部という位置付けだったのである。
 正確に言えば、NWAは『消えたプロレス団体』ではない。現在でもNWAの名は残っているが、もはやかつての栄華など見る影もなく、細々と活動を続けているだけだ。世界最高峰と言われたNWAは事実上、消滅したと言ってもいいだろう。

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全米プロモーターの同盟組織として発足したNWA

 NWAが誕生したのは戦後間もない1948年。それまでにもNWAというプロレス団体は存在したが、National Wrestling Associationという名称だった。和訳すると全米レスリング協会、即ち協会である。
 一方、1980年代初頭まで世界最高峰と言われたNWAはNational Wrestling Alliance、和訳すると全米レスリング同盟だ。つまり同盟組織というわけで、実態はプロレス団体というよりも全米各地に点在するプロモーターの集合体だった。

 この『協会』と『同盟』のNWAは、『同盟』が発足した1年後の1949年に統一される。実質的には、本家の『協会』が後発の『同盟』に食われてしまった形で、『協会』の方は一応1960年代まで存続したものの有名無実のものであり、あっけなく消滅した。
 一方の『同盟』の方は、1956年に独占禁止法違反により告訴されている。要するに、現実的には談合組織というわけだ。なお、今後は『同盟』の方はNWAと表記する。

 1953年、力道山が発足した日本プロレス協会により、日本でも本格的なプロレス時代が到来した。そして、日本人は否が応でも『NWA』というアルファベット3文字を知ることになる。
 力道山がターゲットとしたのは、NWA世界ヘビー級王者として君臨していた『20世紀最強の鉄人』ルー・テーズ。このテーズこそ、『協会』と『同盟』が統一された当時のNWA王者だった。

 1957年、テーズの来日を成功させた力道山は、世界最高峰のNWA王座に挑戦。だが、力道山を以ってしてもテーズの壁は厚く、チャンピオン・ベルト奪取ならず。そのことが却って『あの力道山でも奪えなかった王座』としてNWAの価値の高さが日本人の脳裏に刻まれた。
 翌1958年、アメリカに渡った力道山はロサンゼルスでテーズに再び挑戦。遂にテーズを破り、力道山が日本人初のNWA世界ヘビー級チャンピオンとなる!

 ところが、凱旋帰国した力道山の手にはチャンピオン・ベルトなどない。しかも、実は世界戦ではなくノン・タイトル戦だったという報道もあった。
 力道山は「当日になって世界タイトル戦が中止になり、ワシがテーズに勝ってNWAはインターナショナル・チャンピオンの称号をくれた。NWAからは、チャンピオン・ベルトは自分で作れと言われたが、そんなことはアメリカのプロレス界では常識だ」と、判ったような判らないような(というか、筆者には全く判らない)説明をしている。

 いずれにしても、力道山が戴冠したのは世界最高峰のNWA世界ヘビー級タイトルではなく、インターナショナル・ヘビー級タイトルだ。それも、元々はNWA王者としてコキ使われるのが嫌になったテーズが勝手に自称したタイトルである。そのため、力道山に敗れたあとも、テーズはインターナショナル・チャンピオンとして活動した。つまり、インター王者が2人いたわけだ。
 その後、力道山はインター王者として認められ、インターナショナルは日本に定着する。和訳すれば国際王者、NWAの日本版タイトルとなった。これが現在の全日本プロレス最高峰、三冠ヘビー級王座のうちの1つである。

▼初期NWAの象徴的王者だったルー・テーズ

WWF王座ですら『世界』を名乗れなかった時代

 アメリカでは、1960年にミネアポリスのAWA、1961年にロサンゼルスのWWA、1963年にニューヨークのWWWF(現:WWE)が設立。このうち、後にWWAはNWAに吸収され、WWWFはNWA加盟団体に戻ったが、アメリカのプロレス界も競合時代を迎える。
 ただ、NWAの世界王者は持ち回りだったのに対し、AWA世界王者は設立したバーン・ガニアがほぼ独占。ガニアは引退するまでAWA世界ヘビー級チャンピオンだった。AWAの正式名称はAmerican Wrestling Association、即ちアメリカ・レスリング協会と名乗りながら、実際にはガニアの個人団体という性格が強かったのだ。そのため、全米をプロモートしている群雄割拠のNWA王座の方が、世界タイトルとしての価値は上だったとも言える。

 NWAの勢力範囲はカナダやメキシコまで及んだ。日本でも、1967年に力道山死後の日本プロレスがNWAに正式加盟。力道山時代にもルー・テーズのようにNWA王者は来日していたが、その関係はより強固になった。
 NWA世界ヘビー級王者が何度も来日し、ジャイアント馬場やアントニオ猪木とタイトル・マッチを行う。日本人選手がNWA王座を奪取することはできなかったが、そのことが余計にNWA王座の価値を高めた。インターナショナル王者の馬場やUN王者となる猪木でも、NWA王座には手が届かない、というわけである。

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