[Fightドキュメンタリー劇場 48]昭和のプロレス記事がユニークで面白いワケ!!厚かましいファイト記者

[週刊ファイト2月29日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼[Fightドキュメンタリー劇場 48]井上義啓の喫茶店トーク
 昭和のプロレス記事がユニークで面白いワケ!厚かましいファイト記者
 by Favorite Cafe 管理人
・闘いのワンダーランド新潟市体育館’78 アンドレ-Sハンセン
・選手控え室にモニター 猪木「アンドレ試合に頭を持ち込んでいる」
・「プロレスというものは、見た側が決めるものだ。そうやって構築」
・ネット時代「マスコミもTVも変わっていかなくちゃならないですよ」
・I編集長「記者を控室からシャットアウトするのは間違いですよ」ドンッ!
・LA五輪オーディトリアム 坂口征二&長州力vs.ヒロ・マツダ&マサ斎藤
・猪木、長州を叱る!「タッグとは一人でやるものじゃ無いんだ」
・上田のハずがレロイ・ブラウンのせいで狂った~マツダ「これは陰謀だ」
・長州力の売り出し~タッグから外されたストロング小林の悲劇
・S小林の心情をおもんばかる、I編集長の赤鬼・青鬼ファンタジー


 プロレス取材はどうあるべきかをI編集長が熱く語る喫茶店トーク。そしてインターネットの時代に、これからのテレビ放送はどうあるべきか、I編集長の妄想が爆発!
 そして、坂口&長州組の北米タッグ奪取の裏話と、ストロング小林の悲哀を語る「ドキュメンタリー劇場」の二本立て。

■ 闘いのワンダーランド #064(1997.03.04放送)より
 1978.05.18 新潟市体育館 アンドレ・ザ・ジャイアント vs. スタン・ハンセン

(I編集長・井上義啓)この年のMSG決勝リーグ戦、アンドレvs.ハンセンの壮絶試合ですね。結末は両者リングアウトでしたが、わずかな勝ち点の差でアンドレが脱落、ハンセンが優勝決定戦に進出して猪木と闘いました。この試合について、当時の週刊ファイトとか、取材メモとかをひっくり返してみると面白いことが目に付いたので、今日はそのお話をしたいと思います。

 1978年(昭和53年)、この頃になると選手控え室にテレビモニターが置かれるようになったんです。それまでは控え室にモニターTVが無くてですね、猪木も馬場もわざわざ会場の入り口まで行ってね、ドアの隙間なんかからこうやって覗いて見ていたりしました。外人選手でもそうでしたね。キニスキーやファンクスなんかでも、注目の試合があるとそうやって見に行ってましたよ。そうすると、めざとく見つけた少年ファンとかが「馬場さん、サインしてください」とか、「猪木さん、一緒に写真を撮らせてください」と、そういうことがしょっちゅう起こるわけです。馬場さんとかは「これじゃあ試合を見ておれないよ」と、そうなってしまうことを非常に嫌がっていました。猪木なんかもファンに対応はしますけどね、本当は試合を見たいんですよ。

(I編集長)そういうことがあるので、テレビ局のほうが気を利かせて控え室にモニターTVを持ち込んでくれるようになったんです。だからこの頃には週刊ファイトとかの記者連中がですね、猪木が控え室でこうやってモニターで見ていると、その横へ行って「猪木さん、これどうなんですか」と聞くんです。勝手に控え室に入って、選手の横で一緒にモニターTVを見ながら話すなんてのは、今の常識では考えられない話ですね。それが当時は許されておったんですね。

(I編集長)猪木が控え室でモニターTVでこうやって見ている、それは無論、猪木の仕事ですからね、コレ、試合を見るのも遊び半分じゃないんだから。それでも記者が横から「猪木さん、どうですか? 今の試合は。あの技はなんですか?」と話しかけるわけですよ。記者だって仕事ですからね。だから猪木も記者のことを邪魔だと思っておったのかも知れないけども、「なんだあれは、あんなことをやっちゃダメだよ」とかね、そういうふうなことを言ってくれましたよ。そういったことが平気で許されておった時代だから、面白い記事も書けたんですよ。特にファイトの記者は厚かましいですからね、このアンドレとハンセンの試合の時も、猪木がこうやってモニターを見てる、その横にへたりこんで「あれはどうですか? こうですか?」と言って聞いていたわけですよ。

 (I編集長)その時も猪木が色々なことを言ってくれました。その時のメモをめくってみますとね、「アンドレというのは体が十分に大きいので、あまり頭を使う必要も無いレスラーにみえるけども、今日の試合は非常にインサイドワークをうまく使っている。頭を持ち込んでいる」と語ったという猪木の話が書いてありました。猪木は「頭を持ち込んでいる」と言ったんですよ、猪木独特のコトバですね。「頭を持ち込んでいる」というのはどういうことかと言うと、たとえばアンドレがハンセンを記者席の椅子なんかに「バーン」と投げつけるわけです。そんな風にやったあと、ホントは場外乱闘をすぐに終わらせるのが普通ですね。そのとき猪木が「そのあと場外でアンドレがアトミックドロップをやってるだろう。ここが今までのアンドレとは違うところだ。リングアウト勝ちで勝とうとしているんだろう」てなことを、モニターで試合を見ながら言っとったんですね。

週刊ファイト1980年6月17日号より

(I編集長)「試合に頭を持ち込んでいる」という表現は面白いですね。猪木はダジャレが好きだから、インサイドワークと言う意味の他に本当に頭を使うヘッドバットにも、その言葉をかけているんですよ。当時のアンドレというのはね、ガムシャラにというか、向こう見ずにやってるようなところがあったんですよ、「ガンガン、ガンガン」とね。ところがこの日に限ってはヘッドバットもここぞという時に「ガーン」とやるわけですよ、それも一発だけ。もう全身全霊を込めて、と言ったらオーバーかもしれないけども、一発だけ「ガツーン」と行くわけですよ。
で、猪木はそれを見て、「見ろ、今までのアンドレとは違うでしょ。ここぞという時にガツーンとだしている。しかも場外だ。リングアウト勝ち狙いだな」と言いましたね。

(I編集長)この他にも「マネージャーが出てきてガタガタガタガタやるのは良くないな」とも言っていましたね。フレッド・ブラッシーとフランク・バロア。ブラッシーがハンセンのマネージャーで、バロアがアンドレ・ザ・ジャイアントのマネージャーでしたね。この二人のマネージャーが出てきて、ちょっかいを出すわけですよ。それを見ていた猪木は顔をしかめて「こんないい試合に、何なんだ」と、そんなことを何回も言っていました。猪木が何を考えて試合を見ているのかがよく分かりますね。ブラッシーがお客さんのこうもり傘を持って、アンドレをガーンと突いたりする、その程度は試合のスパイスとしてやってもいいし、そうすることによって試合にアクセントが付きますからね、私はその程度のことは有りだと考えていました。それが私と猪木との考え方の違いなんだなと思いましたね。猪木はそういうことはちょっとでもやったらイカンと、この二人の試合は本当の意味でのストロングなね、勝つか負けるかの良い試合なんだから、そういうことはすべきじゃ無いと言う考えでしたね。マネージャーは引っ込んで欲しいというのが猪木のその時の意見でした。

週刊ファイト1980年6月17日号より

(I編集長)結局試合は両者リングアウトで引き分けてしまったんですが、「猪木さん、この試合はどっちが勝っていたんですか?」と聞いたら、「ケツをまくって控え室に逃げ込んだのはハンセンの方だから、アンドレの勝ちだろう」と猪木が言った、と当時のメモに残っています。しかし記者連中は「ハンセンがあれだけ攻めてみせたところが素晴らしい」とハンセンを評価していました。そりゃハンセンは凄かったですよ。こんなことを言ったら怒られるかも知れないけど、今(1997年)のハンセンと比べたらバイタリティとかそういうもんが全然違いましたよ。当時のハンセンはもの凄かったですからね。そばに寄っただけでウァーッと顔をしかめたくなるほど、エネルギーを発散していましたよ。だから、見ていただいた通りの壮絶な死闘ができたわけですよ、コレ。

(I編集長)ですから、この試合はどっちが勝ったとも言えないんですよ。猪木は逃げ帰ったのはハンセンなんだから、アンドレの勝ちだとハッキリ言いました。私はなんべんも言っているけれども「プロレスというものは、見た側が決めるものだ。プロレスはそうやって構築されるものだ」と。だから見た人が「この試合はハンセンの勝ちだ」とそう思ったのなら、この試合はハンセンの勝ちなんですよ。その人にはそう主張する理由があるでしょう。だから誰がなんと言おうと、その人がハンセンの勝ちだと思ったら、ハンセンの勝ちでいいんですよ。猪木はアンドレの勝ちだと言って譲らなかったらしい。それはそれでいいんですね。だから私にとっては、猪木と考えが違ってしまった非常にユニークな試合といいますかね、そういったことが印象に残っている試合です。

▼[Fightドキュメンタリー劇場22]1977年1月、スタン・ハンセン新日マット初登場  

[Fightドキュメンタリー劇場22]1977年1月、スタン・ハンセン新日マット初登場

(I編集長)しかしまあ、現在の若い記者なんかは、こういう取材を不思議に感じると思うんですよ。よくもそういうことが許されていたんだなと、そう思うでしょうね。記者が控え室に入り込んで、モニターを見ながら猪木の側に座り込んで「猪木さん、アレは何だ、ここはどうだ」と言うわけですからね。アンドレとハンセンの試合が終わったら、セミファイナルがあって、そのあと猪木のメインイベントの試合ですよ。だから猪木がこの試合を見た後、ウォーミングアップに入る時には記者も遠慮して猪木から離れます。だから記者が控え室で猪木の邪魔をしたり、選手のことを考えずにエエ加減な対応をしていたわけでは無いんです。今の記者連中はハッキリ言えば、当時そういった取材ができたことをうらやましく思うんじゃ無いでしょうかね。当時の記者はそういったことが許されたからユニークな記事が書けて、こう言った裏話ができるわけですよ。現在の記者はとてもじゃないがそういったことをやらせてもらえないのが可哀想ですね。

(I編集長)こんな風にして、控え室やあるいはホテルなんかでもいろんな話を聞きましたよ。しかし本当のところは取材は自由じゃ無かったんですけどね、私なんかは非常にアバウトな男ですからね、団体の許可も取らずにイキナリホテルにファイトの記者を行かせてですね、ハーリー・レイスだとか、テリー・ファンクだとか、時によっては藤波だとか鶴田だとか、長州だとか、そういった連中にイキナリぶっつけ本番で話を聞かせたもんですよ。だから「井上さん、アポイントも取らずにイキナリホテルにやってきて、話をきかせてくれと言われても困るよ。レスラーにもプライベートはあるんだしね」ってクレームは付けられましたよ。何回も言われましたけどね。だけど、そういうことがあったからこそ、非常に面白い話が書けたんですよ。今のような状態で、取材は団体に申し込んでください、そして二日か三日後に「よろしい」と言われてもね、もう時期を逸しているわけですよ。こっちは今訊きたいんですよ。だからすぐ行かせるわけですからね、それを二日後、三日後になったら、取材する意味が無いんですよ。このことを団体関係者の方に申し上げたいんですよ。

(I編集長)それからもう一つ。最近は、ただ試合をテレビ中継するだけの放送が多すぎます。試合を映しているだけで、それでいいのかと思いますね。テレビ局は10年一日が如く、同じことをやっていてはダメだと言っておるんです。だからここのサムライチャンネルもね、私は全部の試合中継を見てはいませんけども、やっぱり同じようなことをやっていますよね。アナウンサーと解説者がおって話をして、試合を映してね。この局、サムライTVのような独自性をもったテレビ局は、その殻をブチ破らんとイカンのですよ。メインカメラがあって、左右に2台目、3台目があって、普通に映して編集するようじゃダメなんです。私がこんなお話しをすることは、テレビ局にも非常にタメになると思うんですよ。

サムライTV開局セレモニー(開局当時の番組表より)

記事の全文を表示するにはファイトクラブ会員登録が必要です。
会費は月払999円、年払だと2ヶ月分お得な10,000円です。
すでに会員の方はログインして続きをご覧ください。

ログイン