[Fightドキュメンタリー劇場 47]坂口征二の代名詞「北米ヘビー級ベルト」とは何か? お慰みミステリー

[週刊ファイト2月22日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼[Fightドキュメンタリー劇場 46] 井上義啓の喫茶店トーク
 坂口征二の代名詞「北米ヘビー級ベルト」とは何か? お慰みミステリー
 by Favorite Cafe 管理人
・闘いのワンダーランド #060(1997.02.26放送)より
・「インサイドワークがどうのこうの」~「トンコロ」喰わす
・闘いのワンダーランド #074(1997.03.18放送)より
・坂口征二とパット・パターソンのダブルタイトルマッチ計画が・・・
・そこに絡んできたTJシン! 前田明が「ピリピリ」とは?
・丸腰の坂口がパターソンの持つ北米ヘビーに挑戦する形に変更
・「諸説あります」勝手に作られたストーリーだらけの北米ヘビー
・WWFが北米ヘビーを二重に認定するアクシデントを解消するため?
・「ああだ、こうだ」と口角泡を飛ばすことが楽しい昭和プロレス


 坂口征二が保有した「北米ヘビー級ベルト」。新日マットにはジョニー・パワーズが新日本プロレスに持ち込んだ北米ヘビー級ベルトとパット・パターソンの北米ヘビー級ベルトの2つが存在していた。この曖昧模糊としたベルトのルーツと、昭和54年(1979年)の新日マットでの北米ベルトをめぐる闘いをI編集長が語る。

■ 闘いのワンダーランド #060(1997.02.26放送)より
 1979.01.26 岡山武道館 ジョニー・パワーズvs.坂口征二

(I編集長) 今日の試合は昭和54年1月26日、岡山武道館での北米ヘビー級戦、ジョニー・パワーズvs.坂口征二です。この時のチャンピオンはジョニー・パワーズで、坂口征二が挑戦した試合です。壮絶な流血戦の末に、坂口がタイトルを奪取しましたね。

  ここで皆さんには「北米ヘビー級選手権」とは何か?という疑問が湧いてくるんじゃないでしょうか。当時、会場やテレビでご覧になっていた方でも詳しいことはわかっていなかったと思います。NWAなのか、NWFなのかも分かりません。後になってWWF北米ヘビー級というのも出てきましたからね。非常にわかりにくいタイトルです。

(I編集長)事の発端はですね、1968年、オハイオ州クリープランドあたりで、ペドロ・マルチネス一派が、ヘビー級チャンピオンを作ろうじゃないかということになって、トーナメントが行われる訳ですよ。参加した選手は、アーニー・ラッド、ザ・シーク、ブッチャー、ワルドー・フォン・エリック、それからなんとディック・ザ・ブルーザー・ウィリアムス(本名がウィリアム・リチャード・アフィルスなので、古い人はこう呼ぶ)も参加メンバーだったんですね。錚々(そうそう)たる連中のトーナメントですよ。そこで優勝したのがジョニー・パワーズです。

 こういう話をしますと詳しい方々は「そのタイトルは、NWF世界ヘビー級タイトルだろう」と言うかも知れませんね。NWF世界ヘビー級タイトルもほとんど同じメンバーで決定戦を行ったんですね。NWF世界ヘビー級のほうは、1970年に最終的にジョニー・パワーズがフレッド・ブラッシーと闘って初代チャンピオンになったんです。だから、NWF世界ヘビー級タイトルとは別に北米ヘビー級タイトルがあったんですよ。(※)

(※)編集部注:NWFヘビー級タイトルと北米ヘビー級タイトルの創設の経緯については諸説あります。

(I編集長)あのNWFというところは非常にややこしいとこでしてね、この前もお話したかと思いますけども、北米タッグ選手権のほうは、最初は「NWF世界タッグ」という触れ込みだったんですよ。ところがチャンピオンのナチの亡霊タッグチーム、カール・フォン・ヘスとカール・フォン・ショッツが日本にもってきたベルトに、「ノースアメリカン・タッグ」と書いてあったんですね。だから新日本プロレスも「NWF世界タッグ選手権」という名称を改めて、「北米ヘビー級タッグ選手権」としたと言うような経緯がありました。
ただ、NWF世界ヘビー級タッグというのも、確かにあったんですよね。それと同じように、猪木がパワーズから奪ったNWF世界ヘビー級選手権とは別に「北米ヘビー級選手権」というタイトルもあったということですね。
 1974年に実質的にクリープランドのNWFが活動を停止して以降の詳しい記録は分かりませんが、1979年にチャンピオンとしてジョニー・パワーズがNWFの北米ヘビー級ベルトを持って来日して、坂口征二の挑戦を受けたと言うことです。

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 「北米タッグ選手権」とは何か、曖昧模糊としたベルトの経緯

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(I編集長)ジョニー・パワーズというのは、非常に自己顕示欲が強い男でした。だからマスコミのインタビューなんかも喜んで受けていましたね。むしろパワーズのほうから電話をかけてきて、「話をしてやるから記者をよこせ」というぐらいでした。だからファイトからも記者を送り込んで、何度もインタビューをしましたよ。
 その時には、こちらは記者に「こういう話を聞いておいてくれ」と指令を出してあるから、記者はパワーズに色々と質問をぶつける訳です。しかしパワーズは自分の言いたいことだけ言って、こちらが聞きたいこと、特に自分に都合の悪い質問には全く答えないんですよね。自分の話したいことを「ベラベラベラベラ」喋って「ハイ終わり」ですよ。

ジョニー・パワーズに単独インタビュー

 1979年の新春シリーズに来日したときは、この岡山での1月26日の北米ヘビー級選手権の試合について聞いています。そしたらパワーズは「ハッキリ言ってプロレスというものは頭の勝負だ。坂口と今まで何度も闘ってきたけれども、坂口はインサイドワークに長けていない」と言ったんですね。要するにパワーズは「坂口はプロレスの組み立てについては頭が良くない」と言ったんですね。まあコレ、坂口さんが聞いたら怒るでしょうけどね。パワーズは「今度の試合はインサイドワークがポイントだ。すなわち頭の勝負だ。俺はチェスの名人だから、チェスのように坂口を追い詰めて勝つよ」ってなことを言って笑っていました。この話を聞いた坂口は「あいつがチェスで来るなら、こっちは麻雀で勝ちますよ」なんて笑い飛ばしていましたけどね。というふうに坂口のほうにも余裕があったんだと思います。
 パワーズが「インサイドワークがどうのこうの」というのは、たしかにその通りでしてね。これまで坂口とパワーズは何度も闘っているんですけども、坂口のほうが何時とは無しにパワーズのペースに引き込まれてしまっているんですね。それで坂口の反則負けとか、両者リングアウトになるとか、そういった試合展開が多かったのは事実なんです。パワーズの言葉は、そういったことを指しているんですね。

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(I編集長)レスラーとしての力量は坂口のほうが上だと思うんですよね、ハッキリ言って。パワーズのほうもパワーズ・ロックとか必殺技をもっていましたけどね。だからパワーズは「坂口がチャレンジャーだったら、同じように自分のペースに持ち込めば、最悪でも反則か両者リングアウトに持ち込める。インサイドワークでは自分が上なんだから、いくらでも逃げ切れる」と言っていたんですよ。

(I編集長)確かに試合は坂口が血だるまにされましたわな。それで「もう坂口は負けるだろう」と思わせておいて、最後の最後に「バーン」とトンコロ(競馬の俗語:あっさり負ける、負かす)を喰わすわけです。坂口が血だらけになって「フラフラ、フラフラ」と足元がおぼつか無くなった時に、パワーズは「これは勝てる」とそう読んだに違い無いですね。それで自己顕示欲の強いパワーズは、エエ格好したがりですから「コレならフォール勝ちに持ち込める」と、そういう色気が出たわけですよ。それで「ガーッ」と一気呵成に攻め込んだところが、坂口は「死に体」の格好をして待っておった訳ですよ、コレ。
 坂口の作戦としては「やられた、やられた」というふうな格好をしておいて、最後に「バーン」とエネルギーを爆発させて勝つということだったんですね。だから「プロレスというのは、頭の勝負だ、インサイドワークだ」と言ったパワーズがですね、完全に坂口のインサイドワークにしてやられた試合なんです。ハッキリ言ったら、坂口のほうが頭が良かったわけですよ。パワーズはある瞬間、「もうこれは勝った」と思った。そこがこの勝負の明暗を分けたんですね。

(I編集長)だいたいね、タイトルマッチの時には、もうチャンピオンのほうが有利ですからね。引き分けとか反則負けとか色んな手で逃げることが出来るわけですよ。それをさせなかった坂口の頭脳作戦の勝利です。この試合を見てお分かりのように、坂口が非常に調子が良かった頃です。
 一方のパワーズは、もう顔は青白いしね、なんか肌に艶がないし、パワーも無い。ですからこの時に来日したパワーズについて、あるレスラーがボロクソに言ってましたよ。誰が言ったのか名前は言えませんけどね。「パワーズは今の坂口に勝てる体調じゃない。こんな状態では絶対にタイトルを獲られるだろう」と言っていましたよ。外人レスラー同士、同じ控え室にいればわかるんですね。だからまあ、坂口のほうが勝って当たり前だったんですけれど、申し上げた通り「トンコロ」を喰わせたと。コトバは悪いですけどね。この試合の結果は、坂口の「北米ヘビー級選手権」奪取の裏側には、パワーズの慢心と絶好調の坂口の頭脳作戦があったというお話でした。

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