[ファイトクラブ]“死神”ジョニー・パワーズ大往生!かつての貴重なインタビューを公開

トップ画像:NWF&NWF北米ヘビー級両ベルトをかざす死神ことジョニー・パワーズの雄姿
[週刊ファイト1月19日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼“死神”ジョニー・パワーズ大往生!かつての貴重なインタビューを公開
 photo & text by 藤井 敏之 協力翻訳:村山 聡 写真:ゲンキ・ヤ w/編集部編
・アントニオ猪木デビュー30周年記念@横浜アリーナの豪華な顔ぶれを偲ぶ
・タフな相手ジョニー・バレンタイン、ザ・シーク、そしてアントニオ猪木
・見せ方(exhibition)が違う四の字固めと8の字固めパワーズロック起源
・NWA反旗と追放:ボビー・ブランズ引き抜きぺドロ・マルチネスとの共闘
・指でピストルの形を作るlegit toughルー・テーズにはピン負けしてない
・超貴重「猪木の人生は闘技場の中にあった」Colosseum of life人生訓
・カリフラワー・アレイ・クラブ:友情賞=故・青木周平さんインタビュー
・地元ハミルトン・スペクテイター紙記事から知る伊勢丹事件裏仕掛け人

▼ジョニー・パワーズさん79歳訃報

ジョニー・パワーズさん79歳訃報

 1990年9月30日、台風接近する横浜アリーナで開催されたアントニオ猪木デビュー30周年記念興行の最高の見せ場であったアントニオ猪木とそのライバル達のリング上での集合写真を見て感慨に更けている。今や主役であったアントニオ猪木(2022年10月1日没)、ルー・テーズ(2002年4月28日没)、ニック・ボックウインクル(2015年11月14日没)、ビル・ロビンソン(2014年2月27日)、ウィレム・ルスカ(2015年2月14日没)、ジョニー・バレンタイン(2001年4月24日)、アンドレ・ザ・ジャイアント(1993年1月27日)、ヒロ・マツダ(1999年11月27日)みんな鬼籍に入ってしまった、そして今回の訃報。もうあれから33年も経過したのだから、仕方なくこの現実を受け入れることに寂しさが押し寄せてくる。

 アントニオ猪木さんの死亡で日本のプロレスファンが深い悲しみの中、ライバルであったジョニー・パワーズさんの訃報(2022年12月30日、79歳没)が先日海の向こうから伝わってきた。
 アメリカ、カナダで異端児として活躍、1966年、アントニオ猪木が最初に日本プロレスを飛び出し立ち上げた東京プロレスにジョニー・バレンタインに次ぐNo.2として参戦、さらには1973年には再び日本プロレスに追放され、新日本プロレスを設立したアントニオ猪木のリングにNWFという黄金のベルトを携えて参戦してきたのである。
 生き方が非常にアントニオ猪木とよく似ていて、デビュー当初はNWAでメイン街道を歩んでいたにもかかわらず、若くしてプロモーターの仕事にシフトしてゆくにつれNWA組織から反逆児扱いにされ裏道街道を歩んでゆくその姿は、お二人に共感する部分があったように思える。
さらにパワーズの試合記録を紐解いてみると、カール・ゴッチともシングルでやっている記録がある。1965年トロントで4回戦っており、3回の引き分けを経て最後の対戦(6/22)はパワーズの勝利という記録が残っている。当時若干22歳のパワーズが、猪木よりも10年近く早く“ゴッチ超え”を果たしているのは注目に値する。

東京プロレスでの若きジョニー・パワーズ      ゴッチにも勝利していた!

 見た目はまさにニックネームのような“鋼鉄男”、“死神”にふさわしいオーラを兼ね備え、その頑丈そうな脚力から繰り出されるパワー・ロックでリングを席巻したパワーズ。
 さてここに2004年9月17日、アメリカで約30分彼にインタビューした貴重なビデオが手元にある。是非、この機会に翻訳して日本のプロレスファンに公開しなければならないと思った次第である。

インタビューに答えるジョニー・パワーズ

― これまで転戦した国は何カ国ですか
Powers:色んな国で戦った、ざっと27カ国です。

―プロレス入りした動機は
Powers:女性を追いかける事とお金を稼ぐことです(若い頃はイケメンかっこよく,よくもてたでしょうネ)

― これまで対戦した相手で最もタフな選手は
Powers:ジョニー・バレンタインです

― タフエストマッチ(きつかった試合)で思い出すのは
Powers:今、思い出すと3試合が強烈に印象に残っている。オハイオ州クリーブランドでのジョニー・バレンタイン戦、この試合では強烈なエルボーを何発も打たれ、顎と鼻の骨を折られた。
 次にザ・シーク戦(オリジナル・シーク)、そして日本でのアントニオ猪木との試合である。アントニオ猪木は私がいくら彼を痛みつけても彼は立ち上がってきた。彼はテクニックも優れたものをもっていたが、それ以上によい根性(Good spirit)をしていたよ。
あと、坂口も良いレスラーだったなあ、ナチュラルな強さがあった。

ここから8の字固めの話題に移ってゆく模様
― パワーズ・ロックのモデルになったレスラーはいましたか?
Powers:私が20歳で駆け出しの頃、バデイ・ロジャースがgrapevineと呼ばれた足四の字固めをフィニッシュにしていて、それを見て私も使いたいと思った。
 当時のマネージャーが、かつてバデイ・ロジャースに付いていたボビー・デイヴィスだったので、まずデイヴィスに相談した。元々自分は脚の強さには自信があり、またより深くホールドすることでこの技をアピールできるのではと考えた。

― 当時、ザ・デストロイヤーやエディ・グラハムといった選手が足四の字固めを使っていたと思いますが
Powers:そうだね。でも技が決まった時の見せ方(exhibition)は違っていたと思う。

― あなたの足殺し技はアメリカではパワーズ・ロックと呼ばれていましたが、66年に初来日した時はエイト・ロック(8の字固め)として日本では紹介されました。

8の字固めで猪木を攻める。        NWF北米タッグ王者(&パット・パターソン)

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