[週刊ファイト12月21日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼祝旗揚★松並修代表による“ビリー・ライレーに学ぶ会”遂にスタート!
photo & text by 藤井敏之
11月23日(祝)、紅葉狩りの季節になり国内外からの観光客で賑わう京都で、「ビリー・ライレーに学ぶ会」旗揚げ戦が開催された。
これまでも何度か取り上げてきた、京都市山科区にある「ライレージム京都」であるが、この日は松並修代表が1993年にイギリスへ渡り、現地で本格修行を開始してちょうど30周年にあたるという。
松並代表が学んできたキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの技術を書き留めてきたノートの表紙にも、「1993年11月23日~」という日付が記されていた。
本誌では5月3日のプレ旗揚げ戦や、スライドを使った講演会形式の模様をすでに報告してあるが、今回からが正式な旗揚げ戦となる。
▼“ビリー・ライレーに学ぶ会”をライレージム京都がGW 5・3(祝)に開催
▼11・23 いよいよ京都「ビリー・ライレーを学ぶ会」旗揚げ戦が決まる!
▼蛇の穴ライレージム京都にて“ビリー・ライレーに学ぶ会”が盛大に開催
▼鈴木秀樹、ティモシー・サッチャーがビリー・ライレージム京都で特訓!
イギリス・ランカシャー地方の制限の少ないレスリング、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンは、1800年代後半から1900年代前半に栄えた。そして、このスタイルはアメリカにも伝わり、現在のオリンピックのフリースタイルレスリングと、プロレスのルーツとなった。
日本でも昭和の時代に、神様カール・ゴッチ、人間風車ビル・ロビンソンらによってランカシャー流のレスリングが持ち込まれた。その技術は、ゴッチの弟子であったアントニオ猪木、藤原喜明、前田日明、佐山聡(初代タイガーマスク)らにも伝えられていった。
ゴッチ、ロビンソンが学んだジムがイギリス・ランカシャー地方ウィガンにあったビリー・ライレー・ジム、通称「蛇の穴」である。昭和のプロレスファンなら、聞き馴染みがあるであろう。
ビリー・ライレーは、そのジムの創設者であり、ゴッチ、ロビンソンを育てた名伯楽である。当時のジムにはビリー・ライレーを筆頭に、その息子アーニー・ライレー、ビリー・ジョイス、ジャック・デンプシー、ジョン・ウォーリー、ジョー・ロビンソン(ビリー・ジョイスの兄)他猛者がひしめいていたとも聞く。
しかし、50年を越えるプロレス観戦歴の筆者でさえ、その中心人物であるビリー・ライレーについてはその程度の知識で、経歴などの詳細はほとんど知られていない。
「ビリー・ライレーに学ぶ会」では、最初に1800年代後半までのイギリスにおけるレスリングの歴史が簡潔に語られた。
日本でプロレスが本格的に始まったのは、戦後の力道山からであるが、それよりも遥か昔、電気もない時代に屋外で行われていたという、ランカシャー地方のレスリングの情景が思い浮かんできた。
そして、今回のトークの中心である、ビリー・ライレーが誕生した1896年頃のイギリスのレスリング情勢、ライレーのコーチや、プロデビューのきっかけなど、現地で学び、ビリー・ライレーの子孫とも交流のある松並氏だからこそ知り得る情報が数々紹介された。
筆者が特に興味を持ったのは、当時のウィガンにおけるレスリングとラグビーの繋がりである。全くの別競技と思えるが、実は密接な関係であったという。炭鉱業で栄えたウィガンでは、ほとんどの男性はレスラーかラガーマンであり、また二刀流の選手も多かったという。松並氏が現地で学んでいた1990年代にも、その名残りが見られたそうで、いくつかエピソードも披露してくれた。そしてビリー・ライレーは、ラグビーのイギリス代表選手とレスリングルールで戦ったことがあったという。
この話を聞いて、アメリカでは古くから多くのアメリカン・フットボール選手がプロレスラーとして活躍したことが思い出された。戦前のチャンピオンにはウェイン・マンやブロンコ・ナグルスキー、力道山時代のレオ・ノメリーニ、その後もスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、ビッグバン・ベイダーなどアメリカでは錚々たるメンバーがアメフトからの転向組であった。
この日のハイライトは、ビリー・ライレーの試合が、100年の時を越えて、彼の遺伝子を受け継ぐ日本の「ライレージム京都」で再現されるというものであった。