[ファイトクラブ]蛇の穴ライレージム京都にて“ビリー・ライレーに学ぶ会”が盛大に開催

松並修代表と現WOFC世界バンタム級のチャンピオン中嶋紳乃介の師弟コンビ
[週刊ファイト5月18日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼蛇の穴ライレージム京都にて“ビリー・ライレーに学ぶ会”が盛大に開催
 photo & text by 藤井敏之
・スライドを使ってランカシャー・レスリングを解説
・8つのポイントを具体的にデモンストレーション
・総括+“しんのすけ”こと中嶋紳乃助選手


 GWも真只中の5月3日、京都は山科にあるスネーク・ピット公認のライレージム京都において、“ビリー・ライレーに学ぶ会”に多くの観客が集い開催された。今回のトークテーマである「19世紀までの英国レスリング事情」を松並代表が実演も取り入れられ解りやすく説明された。

 イギリス地方においても古くから各地方独特のレスリングが存在していた。特にランカシャー地方のレスリングは、1800年代にルール改正が繰り返し行われ、他の地方のスタイルと比べると、ルール制限が少なくなりよりエキサイティングな荒っぽいスポーツとして発展。半面、野蛮で残酷なレスリングとして批判もあったが、日々炭鉱の町ウィガンで働く屈強な男たちにとっては、逆に歓迎されランカシャー・レスリングは当地で人気があったラクビーをも凌ぐほどの大人気スポーツへとなってゆく。
 名称もキャッチ・アズ・キャッチ・キャンと呼ばれるようになり、大金を稼ぎたく過酷な肉体労働を強いられていた炭鉱夫たちはこぞって仕事から脱却したく、大金を賭けて戦っていた。ルールがさらに改良されるに連れ、その人気はイギリス全土へと広まってゆく。国内だけに留まることなく、ヨーロッパの強豪レスラーはより名声とお金を求めて大国になってきたアメリカ合衆国へと遠征してゆく。

 当時のランカシャー・レスリングのトップレスラーであるエドウィン・ビビーやジョー・アクトンらが渡米、彼らの活躍と共にアメリカでもランカシャースタイルであるキャッチ・アズ・キャッチ・キャンのスタイルが普及してゆく。遂には1904年のセントルイス・オリンピック大会においては、グレコローマンスタイルに加えてキャッチ・アズ・キャッチ・キャンが競技種目として正式に採用されるに至った。
 1918年には格闘技世界一決定戦ともいえる、あの有名なアメリカ王者のフランク・ゴッチとヨーロッパ王者のジョージ・ハッケンシュミットの大興行がシカゴにて大観衆を集めて行われた。

 そんな歴史の中、1896年にランカシャーはウィガンでビリー・ライレーが誕生した。炭鉱夫として賞金を懸けながら試合に出場、連戦連勝でお金を稼ぎだすと、仕事を辞め10代でプロデビュー。その才能はすぐに開花、世界ミドル級チャンピオンとして、ヨーロッパ各国をはじめ、アメリカ、アフリカなど世界中でファイトする。特にライレーの友人ボブ・マイヤ―(世界ライト級王者)やベニー・シャーマン(世界ヘビー級王者)と、階級が異なる3人で南アフリカに遠征して、いずれも無敗で多額の賞金を稼いできた逸話は有名である。その当時のフィルムが残っているという噂もあるそうだ。


 1900年から1920年までの現役全盛期だったビリー・ライレーは引退して1950年に伝説のジム、そう、蛇の穴ことビリー・ライレー・ジムをウィガンに設立する。そのジムにはビリー・ジョイス、トミー・ムーア、ジャック・デンプシー、ビリー・ライレーの息子アーニー・ライレー、ビリー・ジョイスの兄ジョー・ロビンソンらがしのぎを削りあっていた。

 ビリー・ライレーの弟子で有名なカール・ゴッチは1968年から長期に渡り日本プロレスにおいて“ゴッチ教室”として、若きアントニオ猪木や若手の育成に、自ら学んだトレーニング方や技術を伝え、後々には新日本プロレスの若手の育成にも寄与した。
 もう一人忘れてはならないのが“人間風車”ことビル・ロビンソンであり、1968年国際プロレスに来日して日本中のプロレスファンの目を釘付けにした。そしてゴッチ同様に国際プロレスの若手達にその技術を教えていった。このようにビリー・ライレーの弟子であるゴッチ、ロビンソンの活躍により、昭和40―50年代に、「蛇の穴ビリー・ライレー・ジム」、「ランカシャー・レスリング」の名が日本でも知られるようになったのであった。

 地元イギリスにおいては1960年代からその人気は衰退してゆき、ビリー・ライレー・ジムも1970年代には閉鎖されるという危機に直面する。その後、ビリー・ライレーは子供のレスリングジムとして活動を再開、弟子のロイ・ウッドに指導法を伝授し1977年に死去した。その後ロイ・ウッドがライレーに意志を引き継ぎ、2012年には聖地ウィガンで伝統のキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの大会が開催される。その記念すべきオープニングを飾る試合に松並選手は抜擢され、勝利を収めた。そして、松並修が公認コーチ第1号、「ライレージム京都」が公認ジム第1号となるに至る。その規模は年々大きく広がってきていく。  

レスリング・マスターの“人間風車”ことビル・ロビンソン 宮戸氏が率いるC.A.C.Cスネークピットジャパン

 では今回のトークイベントにおいて特筆すべき事を列挙していこう。

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