[ファイトクラブ]『アントニオ猪木』という人生~What’s Anton?

[週刊ファイト10月5日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼『アントニオ猪木』という人生~What’s Anton?
 by 安威川敏樹
・判りやすいジャイアント馬場、理解不能なアントニオ猪木
・プロレスの王者となったアントニオ猪木の苦悩
・モハメド・アリと闘ったアントニオ猪木の意義
・自らの手で地球を救う、アントニオ猪木の壮大な夢
・アントニオ猪木にとって最大の野望、政治家へ


 あれから1年。
『あれから』とは、アントニオ猪木さん(本名:猪木寛至)が亡くなってからという意味だ。
 先日、アントニオ猪木さんのドキュメンタリー映画『アントニオ猪木をさがして』が10月6日から全国公開すると発表された。

 この世を去ってから1年経ってなお、その影響力は絶大な猪木さん。そんな今だからこそ、改めて考えてみたい。
『アントニオ猪木』の生き方を。(本文中敬称略)

▼☆燃える闘魂☆アントニオ猪木さんに生前に聞きたかった二つの疑問

[ファイトクラブ]☆燃える闘魂☆アントニオ猪木さんに生前に聞きたかった二つの疑問

判りやすいジャイアント馬場、理解不能なアントニオ猪木

 ジャイアント馬場は判りやすい。
 ジャイアント馬場の性格はあのまんま、馬場正平そのものだからだ。あるとすれば、温厚そうに見える馬場も実は怖い人物だという程度だが、これはプロレス関係者なら誰でも知っていること。馬場が温厚なのはファンや一般人に対してだけであって、レスラーやプロレス・マスコミにとって馬場ほど怖い人物はいない。
 だがそれは、馬場という人物の二面性というより、普段は怖さを隠しているだけだ。

 アントニオ猪木は違う。
 猪木の片腕だった新間寿が語っていたように「アントニオ猪木は大好きだが、猪木寛至は大っ嫌い」という人も多いのだ。つまり、アントニオ猪木と猪木寛至は全くの別人ということになる。

 それだけではない。
 馬場の場合は生涯一プロレスラーであり、プロレスラー以外の貌と言えば全日本プロレス社長ぐらいだ。要するに、馬場はプロレス界のみ生きていたということになる。プロ野球で成功していればずっと野球界に留まっていただろうが、野球では大成せずプロレスラーに転身してからはプロレスこそ我が人生と他には一切色気を見せなかった。
 プロレス団体の経営者になったというのも、決して本人の希望ではなく状況に流されただけで、本来なら選手として終えたかったのだろう。プロレスでカネを貯め、38歳で引退して余生はハワイで絵を描きながらノンビリ暮らしたかったというのも、いかにも馬場らしい。

 しかし猪木は、幾つもの貌を持っていた。プロレスラーおよびプロレス団体経営者としてはもちろん、政治家や事業家としての貌。私生活では4度も結婚し、不倫の噂も絶えなかった。元子夫人を生涯の伴侶とし、浮いた噂を聞かなかった馬場(実際は不明)とはここでも対照的だ。
 全盛期の猪木の口癖は「俺はスポーツ馬鹿にはなりたくない」。猪木が現役レスラーでありながら参院選出馬を表明した時、馬場は「よくあれだけ次から次へと色んな事ができるな。アイツには余生をノンビリ過ごすなんて無理だろう。つくづく俺は怠け者だなあと思った」と半ば呆れ、半ば感心して語った。

 馬場にとって弟分であり、最大のライバルであったこの猪木評が、最も核心を突いたものなのだろう。猪木はノンビリできない性格であり、馬場は怠け者。それが2人のファイトにもよく現れていた。
 馬場のプロレスは、村松友視に『プロレス内プロレス』と揶揄されたように、あくまでも同じスタイル。アメリカ修業時代はヒールも演じたが、メインを張るようになってからのファイトは一貫していた。「このスタイルを貫けばファンは喜ぶ」と信じていたのである。

  一方、猪木のファイトは全く一貫していなかった。猪木の代名詞と言えばストロング・スタイルだが、それだけではない。正統派レスリングを見せたかと思えば、ケンカ殺法を披露する。
 ここまではストロング・スタイルの範疇だが、タイガー・ジェット・シンとは反則・凶器ありの色物ファイトを演じ、上田馬之助とはネール・デスマッチというストロング・スタイルは真逆の試合を行った。
 たけしプロレス軍団や海賊男を登場させてファンの暴動を引き起こし、自ら失神KO負けして病院送りなんて演出までする。馬場には理解不能というか、理解できてもマネできないだろう。

 そして、忘れてはならないのが異種格闘技戦だ。やってることはプロレスながら、そうではない異質のものを見せる。まさしく猪木による狂気ファイトの真骨頂だ。
 これは馬場もマネをした。と言っても空手家(らしい)のラジャ・ライオンとの対決は『異種格闘技戦なんて所詮こんなもの』と言わんばかりの壮大なギャグだったが。

 プロレスでも『アントニオ猪木のファイトはこうだ』とは安易に言わせない。おそらく、ファンや関係者の意表を突くのが大好きだったのだろう。
 さらに『猪木寛至はこんな人物だ』とも安易に言わせない。プロレスラーとして留まることを、猪木は嫌ったのだ。

プロレスの王者となったアントニオ猪木の苦悩

 アントニオ猪木が多種多様なファイト・スタイルを演じるようになったのは、東京プロレスでの経験が大きいだろう。ジャイアント馬場とは同期入門ながら、元プロ野球の投手で5歳年上の馬場は早々に海外遠征のチャンスを与えられ、ポスト力道山の地位を約束された。
 出世が遅れた猪木だったが、力道山の死後に先輩の豊登に誘われて東京プロレスを設立。弱冠23歳で、巨大組織だった日本プロレスの対抗勢力となるプロレス団体の、事実上のエース社長となったのだ。現在のインディー団体なら20代前半のエース社長も珍しくはないが、当時とすれば驚天動地の出来事だったのである。

▼超短命ながら知名度バツグンな東京プロレス~消えたプロレス団体

[ファイトクラブ]超短命ながら知名度バツグンな東京プロレス~消えたプロレス団体

 僅か3ヵ月というカゲロウのような命だった東京プロレスだが、猪木のプロレス人生に大きな影響を与えた。それまでの猪木は、若手ながらテクニック抜群という程度の評価だったが、エース社長を経験することによって自分でプロレス団体を動かす快感に憑りつかれたのだ。
 東プロ崩壊後、猪木は日本プロレスに復帰し、馬場に次ぐ№2の地位を与えられる。しかし、猪木が二番手に甘んじることを受け入れるわけもなく、クーデターを起こし日プロを追放された。

 その直前、猪木は女優の倍賞美津子と1億円結婚式を挙げている。今よりも年功序列が厳しかった時代、普通なら年上のジャイアント馬場に遠慮するものだが、№1でなければ気が済まない猪木はお構いなしだ。ちなみに、この費用は日プロが負担するはずだったが、支払いの前に猪木を追放したため、1億円は猪木の借金となってしまったというオチがある。
 猪木の挙式の直前には、馬場が一般人女性(元子夫人)と極秘入籍していた。そんな馬場を尻目に女優と豪華挙式を敢行する。ここでも猪木と馬場の対照的な面が現れていた。

▼1億円結婚式を挙げるアントニオ猪木&倍賞美津子と、祝福するジャイアント馬場

 日プロを追放された猪木は新日本プロレスを設立。最初はテレビなし、有名外国人レスラーなしの苦しい船出だったが、坂口征二が加入し定期テレビ放送が開始されると猪木人気が爆発した。
 日プロは馬場にも独立されて崩壊し、馬場は全日本プロレスを興したが、猪木の新日本プロレスに追い越されたのである。

 猪木は新日が軌道に乗ることにより、日プロ時代と違い好きなことができるようになった。前述のようにストロング・スタイルからデスマッチ、日プロではタブーとされた日本人対決、ファンが暴動を起こすようなハレンチな仕掛けから異種格闘技戦まで、まさしくやりたい放題だ。
 猪木は自分で新日本プロレスを動かし、ファンを動かし、日本のプロレス界そのものを動かしていたのである。

 それでも、猪木にはコンプレックスがあった。いくらプロレス界では№1とチヤホヤされても、世間のプロレスに対する目は冷たい。プロレスなんて所詮は八百長だから、猪木は作られた王者やろ、そんな見方しかされなかった。
 猪木にとって最高の舞台と思われたプロレス。しかしプロレスラーになったために、猪木は苦しむことになったのである。

モハメド・アリと闘ったアントニオ猪木の意義

 アントニオ猪木のファイトで絶対に外せないのが、1976年6月26日に行われたボクシング世界ヘビー級王者のモハメド・アリとの異種格闘技戦だろう。世紀の大凡戦と言われ、しかも新日本プロレスは多額の借金を負った。
 しかし、近年になってあのルールで闘った猪木は凄い、あの試合こそ真剣勝負だった、などと評価を上げている。
 アントニオ猪木vs.モハメド・アリは本当にガチンコだったのか? その真相を知りたい方は、下記の電子書籍のご精読をお勧めする。

▼プロレス芸術とは 徹底検証! 猪木vsアリ戦の”裏”2009&2016-40周年

プロレス芸術とは 徹底検証! 猪木vsアリ戦の”裏”2009&2016-40周年

 猪木vs.アリの内幕は上記の電子書籍にお任せするとして、猪木はなぜアリと闘ったのか?『プロレスこそ最強の格闘技』ということを証明するためというのが表向きの理由だが、そうではないだろう。なぜなら、この試合は引き分けだったのだから。なぜ引き分けだったのかは、上記の電子書籍をお読みいただきたい。
 プロレスの最強を証明し、プロレスを世間に認知させるはずが、実際に待っていたのは酷評だった。全国一般紙のスポーツ面でも大きく取り上げられたが、その内容はプロレスをバカにした記事ばかりだったのである。

記事の全文を表示するにはファイトクラブ会員登録が必要です。
会費は月払999円、年払だと2ヶ月分お得な10,000円です。
すでに会員の方はログインして続きをご覧ください。

ログイン