2人のジャイアント~巨人物語

 1月下旬と言えば、2人の偉大な巨人がこの世を去った月だ。2人の巨人と言えばもちろん、ジャイアント馬場さんとアンドレ・ザ・ジャイアントさんである。
 馬場さんは1999年1月31日、アンドレさんは1993年1月27日に天国へ旅立った。世界的な巨人が2人とも1月下旬に没したのは、何かの因縁だろうか(本文中は敬称略だが、ジャイアント馬場のみ、ところどころで『馬場さん』と表記)。

身長だけではない重厚感を身に着けていた馬場さんとアンドレ

 ジャイアント馬場は1938年1月23日生まれで1999年1月31日没の、享年61歳。アンドレ・ザ・ジャイアントは1946年5月19日生まれで1993年1月27日没、享年46歳だ。つまり、馬場さんの方が8年も先輩(日本流の学校制度なら9年先輩)ながら、没したのはアンドレの方が6年も早く、享年で言うとアンドレは馬場さんよりも15歳も若い。
 アンドレの享年が46歳というのはあまりにも若死にだが、馬場さんだって61歳享年というのは今の時代から言うと若すぎるだろう。

 新潟県に生まれた馬場さんは、子供の頃から野球に打ち込み、高校は2年で中退してプロ野球の読売ジャイアンツ(巨人)に入団する。しかし投手としては大成せず、巨人をクビになって大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)のキャンプに参加するも、風呂場で転倒して大怪我を負い、プロ野球は断念。そして、プロレスラーへの道を目指し、日本のエースとなる。
 一方のアンドレ・ザ・ジャイアントはフランスに生まれた。木こりをしていたアンドレがプロレスのプロモーターの目に留まりプロレスラーになる……、というのは漫画『プロレススーパースター列伝』(原作:梶原一騎、作画:原田久仁信)での創作で、実際にはサラリーマンだった。だが、あれだけの巨体ながら運動神経は抜群で、子供の頃からサッカーでは名選手だったという。

 馬場さんは身長209㎝、アンドレは223㎝。後にジャイアント・シルバ(230㎝)やエル・ヒガンテ(231㎝)など、2人の身長を越える巨人レスラーが登場したが、やはり巨人と言えば馬場さんとアンドレである。身長がどうだとかは、この際関係ない。要するに『巨人』という重厚感を身に着けているかどうかだ。
 馬場さんとアンドレは、単に身長だけではなく、存在感までジャイアントだった。カリスマ性も含めて、これは天性のものだろう。シルバやヒガンテなんて、馬場さんやアンドレと比べれば問題ではない。

 プロレスラー以外の日本人では、バスケットボールの選手で1980年代に活躍した岡山恭崇がいた。岡山の身長は、なんとアンドレを7㎝も上回る230㎝。
 バスケットの華と言えばダンク・シュートだが、岡山の場合はダンクの必要すらない。ゴール下でボールを受け取れば、ジャンプせず手を伸ばしてゴールにボールを入れてしまうのだ。
 NBAにも日本人として初めてドラフト指名された岡山だったが、所属していた日本チームの事情もあり、NBA入りは断念。もし、岡山がドラフトを受諾していれば、八村塁よりも40年も前に日本人NBAとして活躍していたに違いない。

▼この頃には動きも鈍くなっていた、晩年の岡山恭崇。黒のユニフォームの背番号5番

 それでも、やはり巨人と言えば馬場さんとアンドレ。彼らを上回る巨人なんていやしない。

フォール負けを許されなかったアンドレ・ザ・ジャイアン

 ジャイアント馬場が日本のエースとして活躍していた1970年代、アンドレ・ザ・ジャイアントはモンスター・ロシモフというリング・ネームで国際プロレスのリングに立つ。
 1971年のIWAワールドシリーズでロシモフは、カール・ゴッチやビル・ロビンソンと言った一流レスラーたちを抑えて初優勝に輝いた。この活躍によって、ロシモフはアメリカでもAWA圏内でファイトするようになり、アンドレ・ザ・ジャイアントと改名して大人気を博す。

 やがて、国プロとAWAは提携解消となり、さらにWWWF(現:WWE)でもファイトするようになったアンドレは、WWWFと提携していた新日本プロレスのマットに上がった。
 そしてアンドレは、アントニオ猪木にとって最大のライバルとなる。

 一方のジャイアント馬場は、新日マットに上がったアンドレとはほとんど接点がなかった。それでも、馬場さんはアメリカ本土やハワイでアンドレとバトルロイヤルを闘っている。
 その映像が、日本テレビの『全日本プロレス中継』でほんの一瞬だけ流れた時のことは、今でも忘れない。2人のジャイアントが闘う!? 当時の筆者にとって、それは信じられない光景だった。

 ジャイアント馬場が日本のエースとして君臨する一方で、アンドレ・ザ・ジャイアントはピンフォール負けを許されない存在になっていく。アンドレは、最強神話を守らなければならなかったのだ。
 しかし、1986年の新日マットでは、前田日明のシュートに対して無気力試合を演じ、さらにはアントニオ猪木の腕固めによって初のギブアップ負け、アンドレ神話は崩壊する。

 だが、問題はそこではない。ここからのアンドレが凄かったのだ。

全日本・WWF・新日本の合同興行で大巨人コンビ誕生

 1990年4月13日、東京ドームで日米レスリングサミットが行われた。全日本プロレス、WWF(現:WWE)、新日本プロレスによる合同興行である。
 この時、ジャイアント馬場とアンドレ・ザ・ジャイアントが初めてタッグを組んだ。そしてデモリッション(アックス&スマッシュ)と対戦したのである。

 ハッキリ言って、対戦相手などどうでもいい。馬場さんとアンドレがタッグを組む、その事実だけで興奮したものだ。
 この大会を深夜に録画中継した日本テレビでは、試合前の控室での馬場さんとアンドレの様子を映し出していた。馬場さんは終始笑顔で、この試合が楽しみで仕方がないといった様子。

 この僅か2か月前の1990年2月10日、同じ東京ドームでのメイン・エベントで、アントニオ猪木が「やる前に負けること考えるバカがいるかよ!」と言って佐々木正洋アナにビンタを放った時とは対照的だ。あの大会では、試合前から控室でもピリピリしたムードが漂っていて、笑顔とは無縁だった。
 おっと、蝶野正洋だけは橋本真也の「時は来た」発言で、思わずプッと笑みを漏らしていたが。

 いずれにしても、この時に馬場イズムと猪木イズムの違いがハッキリ映し出されていた。馬場さんにとって、プロレスとはファンに楽しんでもらうのが全てだと思っていたのだろう。
 この試合に、ファンは名勝負など求めてやしない。ファンはみんな、馬場&アンドレの伝説を見に来たのだ。最強ではなくなったアンドレだって、こんな活かし方があるよ、という馬場さんによるメッセージである。これは、猪木には決してできない。
 果たして、試合はファンが期待する通りの展開となった。馬場さんの16文キックから、アンドレのエルボー・ドロップにより3カウントが入ったのである。

▼馬場&アンドレ組がデモリッションを破る。殺人魚雷コンビにフォール勝ちのオマケ付き

馬場さんが動けないアンドレを終始カバー

 以来、アンドレ・ザ・ジャイアントは全日本プロレスに定着する。最強神話から解き放たれたアンドレは、馬場ワールドのプロレスに安住の地を求めたのだ。そして、馬場さんとアンドレがタッグを組むだけではなく、タッグ・マッチながら馬場さんとアンドレの対決が実現した。
 ジャイアント馬場&アブドーラ・ザ・ブッチャーvs.アンドレ・ザ・ジャイアント&スタン・ハンセン、ジャイアント馬場&スタン・ハンセン&ドリー・ファンク・ジュニアvs.ジャンボ鶴田&アンドレ・ザ・ジャイアント&テリー・ゴディという超豪華なタッグ・マッチが繰り広げられる。

 そして、1990年暮れの世界最強タッグ決定リーグ戦では、馬場&アンドレ組が首位を快走した。上記の動画でも判る通り、優勝候補(実際に優勝した)だったテリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムスの殺人魚雷コンビにフォール勝ちしたのだ。その後は馬場さんの骨折によりリーグ戦を棄権したが、前半戦のハイライトは間違いなく馬場&アンドレ組だった。

 晩年の馬場さんは、タッグ・パートナーを動かし、自身はじっくり待機して最後のフォール役目だけ請け負う、というパターンだったが、アンドレとのコンビでは全く逆。
 馬場さんが自ら動いて、アンドレが最後にエルボー・ドロップを見舞ってフォール勝ちするというスタイルが定着した。
 アンドレの全盛期は、巨体を思わせない動きからジャイアント・プレスを敢行していたが、歳を重ねるとそれも辛くなったのか、ヒップ・ドロップをフィニッシュ・ホールドとする。
 そして、体重が増え過ぎた晩年はそれらもできなくなり、ただ単に倒れてフォールを奪うエルボー・ドロップをフィニッシュ・ホールドとした。

 アンドレよりも8歳も年上ながら、まだ40歳代のアンドレの鈍い動きをフォローしていた馬場さん。それでも終始アンドレを立てて、フォールする役目はアンドレに任せ、負けるときは自らが進んでフォールを奪われていた。馬場さんが、殺人魚雷コンビのテリー・ゴディから必殺のランニング・ネックブリーカー・ドロップでフォールを奪ったのは、ほとんど例外的である。

▼アンドレ・ザ・ジャイアントの必殺技、ジャイアント・プレスも晩年は見られなくなった

馬場さんが一番チビ!? のタッグ・マッチ

 前述の1990年の世界最強タッグ決定リーグ戦で、ハイライトとなったのはジャイアント馬場&アンドレ・ザ・ジャイアントvs.ザ・ランド・オブ・ジャイアンツだろう。対戦相手のザ・ランド・オブ・ジャイアンツは、スカイウォーカー・ナイトロンが身長215㎝、ブレード・ブッチ・マスターズは213㎝で、要するに209㎝の馬場さんが一番のチビだ。まるで馬場さんとラジャ・ライオン(226㎝)との異種格闘技戦を彷彿させる。

 しかし試合は、馬場&アンドレの独壇場。最後は馬場さんの16文キックからアンドレのエルボー・ドロップという、お決まりのコースで大巨人コンビのフォール勝ちとなった。
 とはいえ、4人全員が2m超えというタッグ・マッチも、馬場さんが健在の頃の全日本プロレスならではと言える。大巨人コンビは、こんな夢まで見させてくれたのだ。

▼ジャイアント馬場&アンドレ・ザ・ジャイアントvs.ザ・ランド・オブ・ジャイアンツ

 昨年の10月にはアントニオ猪木が鬼籍に入り、天国では馬場さんやアンドレと共に、3人でアンドレが大好きだったワインで乾杯しているかも知れない。


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