photo: 猫山文楽拳、©2020 WWE, Inc. All Rights Reserved.
[週刊ファイト12月31日号]収録
今年の1月3日に大阪松竹座初春大歌舞伎で片岡愛之助さんの大津絵道成寺を鑑賞、休憩時間にセレブなお客様方の不穏な会話を傍受した。
「中国の武漢の港は、いま国外に脱出する人で大変なことになっているらしいって」
その後世界がどうなっていったかは皆様ご承知の通り。
このあとどうなってしまうのか皆目予想がつかないがこんなときこそおうちでプロレス観戦とばかりにいつもよりWWEの視聴に熱が入った2020年、私的鷹の爪大賞として選ばせていただきたい試合がこちら
8・23『WWEサマースラム』第5試合RAW女子王座戦
王者サーシャ・バンクスvs.アスカ
この日アスカは第1試合でスマックダウンの王者ベイリーと対戦しこちらは丸め込みで3カウント奪われ敗退するも第5試合ではアスカロックでサーシャを下し鮮やかにベルトを奪い返しRAW王座に返り咲いた。
惜しくも2冠は逃したがRAW、スマックダウンふたつのタイトルに同時に挑戦した初の選手という時点で快挙。
私がアスカに惚れたのはいまを去ること6年前、2014年5月15日新宿FACE「トリプルテイルズSファイナル東京」ユニット決裂で怒りむき出しで相方を罵倒したアスカ(当時華名)の、般若の如き形相に見惚れてしまったのだ。
この人は、絶対に、日本という小さい島国には収まらない・・・予感のようなものが走った。
そしてそれは、的中した。
コロナ禍で往来自粛の折地元に根差したご当地プロレスに足を運ぶことあり印象的な選手がいたので紹介したい。
岡山県の社会人プロレス団体「俺たちプロレス軍団」のグレートムタイガー選手。
WWEでたとえるならばレイ・ミステリオjr.
年齢を感じさせない体つきと空中殺法の使い手。
正体は高校の先生で、レスリング部の顧問を本業とされている。この団体、実は有名なメジャー団体にも選手を輩出しており、事情通のプロレスファンの間では「虎の穴」と呼ばれている。
俺たちプロレス軍団(OPG)のプロレス大会は2月以降すべて中止となり唯一開催されたのは画像の香川大会のみだった。
WWEに話を戻したい。
鷹の爪大賞とは別に私的にどうしても触れておきたいのが、「地獄の墓堀人」ジ・アンダーテイカー選手の、現役引退。
6月20日に公開された「ラストライド」の中で30年間のプロレスラー人生を振り返って「もうなにもやることは残っていない」と現役を退くことを表明した。
ジ・アンダーテイカーで私がまっさきに思い出す試合は、1997.10.10.みちのくプロレス両国国技館大会におけるジ・アンダーテイカーvs.白使(新崎人生)
芳一ばりに上半身に般若心経を施した白使が、圧巻のムーンサルトを見舞うまでは良かったのだが、最後はジ・アンダーテイカーのツームストンパイルドライバーで脳天からマットに突き刺さって抑え込まれ3カウント。
棺桶から蘇った白使は無残にも再び棺桶に収まって幕。
もうひとつは、レイ・ミステリオjr.との名勝負数え歌。
2009年から2010年頃にかけて、ジ・アンダーテイカーが持っていたWWEヘビー級王者のベルトを狙って果敢に挑戦を挑んでいたレイ・ミステリオjr.
体格差をものともしないで立ち向かう姿は風車に向かうドン・キホーテにも似たものがあったが、小柄な体を逆手にとって俊敏な動きで墓掘人をかく乱した。
2015年『レッスルマニア31』におけるブレイ・ワイアットとの壮絶シングルマッチも忘れ難い。
ちなみに2015年の『レッスルマニア31』でいまも記憶鮮明なのがブロック・レスナースープレックス祭り。投げられたのはローマン・レインズ。だが投げられても投げられても、そのたび薄笑いを浮かべて(たぶんやせ我慢)立ち上がりレスナーを挑発し続けるレインズの無謀とも思えた不敵な態度に、のちに王者を越え病魔さえ組み伏せトップレスラーの座に昇りつめるだけの片鱗がこのときすでにあった。
こちらも岡山県の俺たちプロレス軍団所属のヒールレスラー、スコヴィル選手。地元では岡山のワイアットとの呼び声も高い。
などと言うと本家にたわごともたいがいにしろと、怒られそうだが・・・
今年は本当に、コロナの煽りをもろに喰らい、観戦を予定していたプロレス大会がことごとく中止となり、かつまた関東地方の遠征は、会社から自粛を促され断念を余儀なくされたため、足を運ぶことができたプロレスは主に地元および近県のご当地プロレス団体がほとんどだった。
ご当地にも目を惹くレスラーは結構いるものだという、お宝発掘気分を楽しんだ年ではあったけれどもそろそろなんとかならないか。
そんなお宝のひとりである岡山の逸材、ジェリーK選手(俺たちプロレス軍団)。
画像の毎年開催されていた瀬戸大橋祭りも、今年は中止となり、次年度開催も未定。
夏に一度だけ東京に遠征をした際、地方はコロナの感染者数も東京や大阪に比べればマシなほうで、閉塞感もそれほどないというのを体感として味わった。
画像は10月にJR岡山駅東口で開催された、鳥取だらずプロレス大会で、3密避けた場外へのムーンサルトを披露したガイナタイガー選手。
私的に心に響いたプロレス大会に11.29.北九州市門司赤煉瓦プレイスで開催された”プロレス居酒屋がむしゃら20周年&矢野貴義特別追悼大会”『ドン・タッカーForever~継往開来~』がある。
今年の8月に47歳の若さで逝去されたがむしゃらプロレスの創立者であり代表のドン・タッカーこと矢野貴義氏の追悼興行で、コロナ禍ということもあり出場選手はほぼ団体所属の地元の選手のみ。入場者も150人限定で、紙テープ投げも禁止、歓声をあげることも禁止という状況のなか、しめやかに進行。メインイベントも終わり選手が大会の締めに入ろうとした瞬間ひとりの男がリングに乱入、マイクを握りしめ天に向かって、一声をあげた。
「矢野さん」
大会の前の追悼トークイベントに出席し、そのまま本部席で試合を観戦していたプロレスリング「フリーダムズ」代表の、佐々木貴選手だった。
フリーダムズを九州で開催するにあたり尽力してくれた矢野さんの恩義に報いたいとリング上で服を脱ぎリングコスチューム姿になってがむしゃらプロレスの選手たちに試合を要請、関係者にも隠して呼んでいた仲間に呼びかけると、控室から現王者の杉浦透選手がベルトを担いで登場、続いて♪Devilの入場曲が流れ葛西純が姿を現した時には、観客の最高潮に達した声にならない熱気の圧で換気のために窓を全開にした会場の温度が一気に上昇するのを体感した。
葛西純選手は年明け1.3早々、後楽園ホールでタイトルマッチに挑戦が決まっている。
フリーダムズは年末ぎりぎりまで後楽園大会開催が予定され5月には社運を賭けているというドキュメンタリー映画『狂猿』の公開も控えるなど3者多忙を極めていること明らか。
にもかかわらず義理を果たしに来た。そのことに素直に感動した。
九州ならではの気風だと思われたが、追悼興行にもかかわらずしめっぽさはなく、男気全開のプロレスを堪能した。
今後しばらくの間コロナとお付き合いしていかねばならないとしても、2021年は、コロナ禍にも負けず、プロレスをけん引し続ける大きな鍵を握っているのではないかという一抹の期待を、地方ならではの底力、人間力に抱いている。
新日本、全日本プロレス、プロレスリング・ノア、もっと岡山県、香川県、広島県でビッグマッチを開催されたし。
晴れの国・岡山県在住の筆者としては願わくは、WWE岡山大会の開催を強く願う。
Asuka, come to Okayama!