『ファンの熱気』と『マナーの悪さ』は別物

 プロ野球の春季キャンプもたけなわだ。今年はオリンピックの影響で開幕が例年よりも早いため、各チームとも急ピッチで仕上げているようだが、プロ野球でいつも感心するのはファンを飽きさせないことである。キャンプなんてたかが練習に過ぎないのに、有料テレビとはいえ各球団のキャンプ風景を生中継し、ファンもわざわざ沖縄や宮崎まで足を運んでスタンドは大盛況だ。

 あるJリーグのチーム関係者が「プロ野球が羨ましい。公式戦が終わりオフ・シーズンになっても、マスコミはドラフト指名された有望選手を追い、スター選手の移籍を報道し、年が明けてキャンプになると大勢の観客が集まって、オープン戦が始まれば地上波中継することもある。サッカー人気が高まったと言っても、まだまだプロ野球には追い付けない」と語っていた。たしかにペナントレースは半年間だけなのに、一年中プロ野球の話題は尽きない。
 2月にプロ野球もJリーグもキャンプを張るが、筆者は宮崎でキャンプ地巡りをしたことがある。プロ野球やJリーグの各チームを廻ったが、プロ野球のキャンプにはどの球団も大勢のファンが集まっていたのに対し、Jリーグのキャンプでは観客もまばら。Jリーグでも海外のスーパースターが入団すると大盛況となるが、プロ野球のように客をコンスタントに集めるのは難しいようだ。

▼読売ジャイアンツの宮崎キャンプ。練習前の風景

 昨年のワールドカップ以来、ラグビー人気はまだまだ続いているようで、トップリーグはもちろん各チームの練習でも大勢のファンが集まっている。しかし、ファンのマナーの悪さが問題になっているのだ。
 以前からトップリーグでは試合終了後、選手たちはファンとの握手やサインに応じているが、今年はそれを求めるファンが試合も終わっていないのにスタンド最前列に殺到し、他の観客が試合終了間際のクライマックス・シーンを見られないという事態に陥っている。練習でもマナーを守らないファンが多く、練習中にもかかわらず選手に握手やサインを求め、場合によっては選手にプレゼントを渡すため、ファンが駐車場で出待ちして、選手の乗った車を追い掛けて停めてしまうようなこともあったという。
 これまではファン・サービスを積極的に行ってきたラグビー界だが、ファンが殺到するようになったため最近では規制をかけ、新型コロナウィルスの影響もあって練習を非公開にするチームも増えた。

 プロ野球では大勢のファンへの対応が確立されているが、ラグビー界は関係者もファンも、まだ慣れていないのかも知れない。
 プロ野球でもキャンプはファンが選手と触れ合える貴重な場。ファンがルールとマナーさえ守れば選手と身近に接触できるし、守らなければ制限されてしまう。「お客様は神様です」とは三波春夫の言葉だが、最近では一般社会でもクレーマーという名の『神様』が問題視されている。
 ファンもルールやマナーを遵守しなければ、スポーツや催し物を楽しめなくなるのだ。


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マナー違反を超えた犯罪行為

 今年の1月5日、新日本プロレスの東京ドーム大会で、二冠王になった内藤哲也をKENTAが襲撃したのはご存じの通りだ。東京ドームで待ちに待った“デハポン大合唱”をブチ壊され、もちろんファンからは大ブーイング。
 しかし、これが昭和プロレスだったらどうなっていたか。ひょっとすると、大暴動が起きていたかも知れない。

 現在のプロレスで、ファンが暴動を起こすことはなくなった。これはファンのマナーが向上したと見るべきか、昔ほどの熱量が無くなったと見るべきか。
 1.5の東京ドームでは、ファンはKENTAにブーイングを浴びせたが、ブーイングのないヒールなど失格なので、これもファンのマナーと言えるのかも知れない。少なくとも現在のファンは、昔に比べるとプロレスの楽しみ方を知ったとも言えるだろう。ヒールにブーイングを浴びせるのも、プロレス観戦法の一つだ。マナーを守りつつ楽しむのは正しい方法である。

 日本のプロレス界における暴動の歴史は意外に古く、1954年8月8日の東京体育館が最初だと言われている。力道山&木村政彦vs.シャープ兄弟が行われたのは同年の2月19日だから、日本でプロレスが本格的に広まってから僅か半年後に、早くも暴動事件が起きていたわけだ。
 この日、力道山&遠藤幸吉vs.ハンス・シュナーベル&ルー・ニューマンのタッグ・タイトルマッチ61分3本勝負が行われ、外人組の反則攻撃により力道山組は1-2で破れ、タイトル奪取はならなかった。
 収まらなかったのは東京体育館を埋め尽くした大観衆。当時はまだ、反則もプロレスの楽しみの一つとは日本人は知らなかったため、外人組の反則負けとはならない判定に怒り狂ったのだ。リングには空き瓶や石が投げ入れられ、大暴動に発展したのである。

 それから時代は下り、プロレス黄金時代となった1980年代。この頃のファンはさすがに、反則に対する免疫もできていたが、それでも暴動は絶えず、特に新日本プロレスに多かった。
 しかし、暴動ならまだマシだ。国際プロレスの崩壊と共に、新日本プロレスに参加したエースのラッシャー木村などは、ヒールとしてアントニオ猪木と戦ったために、熱狂的な新日信者による自宅への嫌がらせや愛犬へのイジメなどの被害が絶えなかったのである。現在でこそ「ラッシャーさんほどの善人はプロレスラーにいなかった」と知られているが、当時の新日信者には他団体に対する蔑視思想があり、それを利用したヒール像をラッシャー木村が演じていたのだ。

 80年代中盤では、全日本女子プロレスでも長与千種&ライオネス飛鳥の『クラッシュ・ギャルズ』と敵対するダンプ松本への嫌がらせが多発していた。それでもダンプ松本自身は私生活でもヒールを演じていたが、ダンプ松本の母親までがクラッシュ信者から被害を受けていたのである。レスラーに対する嫌がらせならともかく(これもマナー違反だが)、本人ではない親族を攻撃するのは決して許されることではないだろう。
 これらのファン心理というのは、今で言えばインターネットで特定の人を誹謗中傷して炎上させる行為と似ているのかも知れない。

 ラッシャー木村やダンプ松本の自宅への嫌がらせは、マナー違反という範疇を超えてもはや犯罪である。これら犯罪行為を行っていた信者たちは、もう中年や実年(なんて言葉、誰も知らないだろう。昔、厚生省が50歳代・60歳代のことを『実年』と呼ぶキャンペーンを行ったが、全く定着しなかった)になっているだろうが、当時の自らの行為を今ではどう思っているのだろうか。

ファンを甘く見た団体側と、マナーを守らなかったファン

 新日本プロレスにおける『三大暴動事件』と言えば①1984年6月14日、東京・蔵前国技館『長州力乱入事件』②1987年3月26日、大阪城ホール『海賊男乱入事件』③1987年12月27日、東京・両国国技館『たけしプロレス軍団乱入事件』だろう。前項の、ラッシャー木村やダンプ松本に対する『犯罪行為』と違う点は、この2例は嫌いなレスラー個人が憎悪の対象になっているのに対し、3つの暴動は新日本プロレスという団体に対してファンの怒りが爆発していることだ。
 そして、この3つの事件に共通しているのは、新日が転換期を迎えているときに起きており、さらにこの後には冬の時代に突入していることである。

 有名な①については、前年に新日内でクーデターが勃発、そしてこの年の『長州力乱入事件』が起きた3ヵ月後には長州力ら維新軍団が新日を離脱し、ジャパンプロレスを結成して全日本プロレスに乗り込んだ。
 さらに蔵前暴動の2ヵ月前には新日から分裂したUWF(第一次)が発足、ジャパンプロレス勢と合わせて選手が大量離脱した新日は、それまでの黄金時代から一転して冬の時代を迎える。

 ②では、大阪城ホールでのメイン・エベントで、アントニオ猪木vs.マサ斎藤の試合中に海賊男が突如乱入。海賊男の正体はメキシコ出身のブラック・キャットで、当時は英語も日本語もあやふやだったためアングルが上手く伝わらず、味方であるはずのマサ斎藤と自分に手錠をかけるというナゾの行動をとった。

 当然、リング上は収拾がつかなくなり、猪木も困ってしまう。せっかくの名勝負を無意味な乱入のためにブチ壊されたファンの怒りは頂点に達して、会場に火を点けるなどの大暴動に発展したのだ。この頃の新日は、ファンの関心を引こうと乱入を乱発、それが新日の標榜するストロング・スタイルとはかけ離れていたため、ファンの怒りを買ったのである。

▼海賊男がナゾの行動に。この試合が古舘伊知郎アナにとって定期放送で最後のプロレス実況

 実はこのとき、テレビ朝日の『ワールドプロレスリング』は既に金曜夜8時から撤退し、月曜夜8時に移行していた。この後、テレ朝の『金曜夜8時』はプロレスではなく『ミュージックステーション』というイメージが定着する(昨年10月から『Mステ』は金曜夜9時に移行)。
 そして、この大阪城ホールでの試合はちょうど春の番組改編の時期だったので、特別番組のため『ワールドプロレスリング』は何度も飛ばされ、この試合が放送されたのはなんと11日後の4月6日だった。そして、これが月曜夜8時の最後の放送となったのである(後に復活、後述)。とはいえ、この時は特番扱いだったため夜7時半からの1時間半番組だったが、それがファンの暴動を起こす大失態の試合だったのだ。
 ちなみに裏番組では、テレビ東京がボクシングのWBC世界ミドル級タイトルマッチ、マービン・ハグラーvs. シュガー・レイ・レナードを放送した(結果は挑戦者のレナードが判定勝ちで三階級制覇)。リアル・ファイトの真裏で、海賊男乱入という茶番劇が放送されたのである。

 そして、翌日の4月7日から火曜夜8時の枠で始まったのが、あの悪名高き『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』だ。『ギブUP~』ではスタジオとリングを結ぶ中継スタイルが採られ、当時は人気絶頂だった山田邦子を司会に据えて新たなファン開拓に取り組んだが、これが新日信者の大ヒンシュクを買うことになる。新規ファンの獲得に失敗したばかりか、それまでのファンも離れる結果となった。

 結局『ギブUP~』は僅か半年で終了、10月からまた以前のスタイルで月曜夜8時に戻ることになる。しかし『Mステ』から『金曜夜8時』を奪い返すようなパワーはもう残っていなかった。
 そして12月27日、③の『たけしプロレス軍団乱入』が起きる。世間的には大人気のビートたけしやたけし軍団も、新日信者にとっては神聖なリングを荒らす不届き者に過ぎなかったのだ。

 この3ヵ月後、いよいよ『ワールドプロレスリング』がゴールデン・タイムから撤退するときがやって来た。1988年3月21日(月)、この日が『ワールドプロレスリング』にとって、ゴールデン・タイム最後の定期放送となったのである。時を同じくして日本テレビの『全日本プロレス中継』も土曜夜7時から撤退。それ以降の32年間、即ち平成の時代には一度もプロレスのゴールデン・タイムでの地上波定期放送(特番を除く)は行われていない。

『ワールドプロレスリング』最後のゴールデン定期放送、メインを飾ったのはアントニオ猪木vs.ビリー・ガスパー。そう、ガスパーと言えばこの時からちょうど1年前、大阪城ホールを暴動へ導いた海賊男だ(ビリー・ガスパーの正体はボブ・オートンJr.)。海賊男に頼るなんて、当時の新日本プロレスは、もはや末期的だったと言える。ゴールデン・タイムからの撤退も仕方あるまい。

▼平成の終盤、海賊男ガスパーがまさしく亡霊の如く復活!(正体は武藤敬司)

 その後の『ワールドプロレスリング』は土曜夕方4時からの1時間番組となったが、この時も前年と同じく番組改編の時期で、放送を何度も飛ばされている。
 4月2日(土)と9日(土)の夕方4時は2週続けてゴルフ中継で、16日(土)にようやく『ワールドプロレスリング』が放送された。つまり、約1ヵ月間も新日本プロレスをテレビで見ることはできなかったわけだ。

 これらの乱入劇と、今年1月5日のKENTAと違うのは、KENTAの場合は乱入したものの、試合そのものは壊さなかった点だろう。結局、ファンを無視したアングルと、マナーを守らないファンとの両方が、プロレスを冬の時代へ陥れたと言えよう。


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’20年02月13日号オカダ猪木 独占MLW代表 ActwresGirl’Z 新日本キックWLC 内藤KENTA