ノムさんと、プロレスとの関係

 2月11日、プロ野球の選手および監督として偉大な記録を残した野村克也さんが亡くなった。享年84歳だった。
 以下は『ノムさん』と呼ばせてもらうが、子供の頃はよく大阪球場や藤井寺球場へ、ノムさんの試合を観に行ったものだ。まあ、ノムさんが目当てというわけではなかったが、当時のノムさんは南海ホークス(現:福岡ソフトバンク・ホークス)の選手兼監督だった。しかし、ノムさんはまだ四番打者だったものの既に晩年だったので、ホームランを打ったのを見た記憶がない。

 ノムさんは京都府北部の網野町(現:京丹後市)出身。京都といえば古都を連想するが、網野は京都市から遠く離れた片田舎で、日本海に面しており古都のイメージからは程遠い。
 ノムさんは網野町の隣り町にある京都府立峰山高校(現在は網野と同じ京丹後市内)に進学するが、甲子園出場など夢また夢の無名校だった。しかし1999年の春のセンバツに、峰山高校は甲子園初出場。ノムさんは我が事のように喜び、500万円も寄付した。

 その峰山高校出身者には中邑真輔がいる。2002年、中邑は『猪木祭り』のパーティーでノムさんに声をかけられたという。中邑が峰山出身だと聞いて、ノムさんはビックリして声をかけたのだそうだ。
 現在でこそWWEのスターとなっている中邑も、当時はまだ新日本プロレスに入門したばかりの新人レスラー。雲の上の大先輩であるノムさんに声をかけられて、中邑は天にも昇る気持ちだっただろう。

▼今やアメリカでもスターになった中邑真輔にとって、ノムさんは大先輩

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▼甲子園を沸かせた強豪校、その出身プロレスラーたち

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▼WWE 初観戦記「中邑真輔は真のカリスマとなれるか?」

[ファイトクラブ]WWE 初観戦記「中邑真輔は真のカリスマとなれるか?」

ノムさんが『世界の王』とショーマン・シップを巡って大激論!

 ノムさんは現役時代「王や長嶋が華やかなヒマワリなら、俺は日本海にヒッソリと咲く月見草」と言っていた。当時、人気絶頂だった読売ジャイアンツ(巨人)のON砲、王貞治(以下は『王さん』と呼ぶ)や長嶋茂雄のようなスーパースターと違い、人気のないパシフィック・リーグの南海でいくらホームランを打っても注目されない自分を、誰にも気付かれずに咲く月見草に例えたのである。

 1975年、日本ハム・ファイターズ戦でノムさんは通算600号ホームランを放った。これは王さんに次ぐ史上2番目の記録だったが(現在でも日本で600本以上のホームランを打っているのは王さんとノムさんだけ)、このときの東京・後楽園球場に来ていたファンは僅か7千人。当時の後楽園球場は巨人だけではなく日本ハムも本拠地としていたが、この頃の観衆は実数発表ではなかったため、実際にはもっと少なかっただろう。
 一方、巨人戦での後楽園球場は、この年の巨人は最下位だったにもかかわらず常に5万人の大観衆が詰め掛けていた。ONは消化試合でもスポーツ紙では一面トップになるのに、ノムさんがいくら大記録を打ち立てても世間は全く注目しない。ノムさんは世の不条理を嘆いていた。

▼1976年の南海ファン会報より。600号ホームランを放ったのに、後楽園球場はガラガラ

 ノムさんは引退後、1990年にヤクルト・スワローズの監督に就任するが、それまで弱小球団だったヤクルトを『ID野球』で強豪チームにまで成長させ、1992年には遂にセントラル・リーグ優勝を果たす。
 日本シリーズでは当時最強だった西武ライオンズに3勝4敗で惜しくも屈するが、ノムさんにとってそれ以上にショッキングな出来事があった。

 西武が日本一を決めた翌日、スポーツ新聞の一面トップは貴花田(現:貴乃花)&宮沢りえの婚約だったのである。
 日本シリーズ最終戦の翌日のスポーツ紙一面がプロ野球ではない、こんなことは前代未聞だった。いくら当時の大相撲が若貴ブームに沸いていたとはいえ、たかが関脇と芸能人との婚約(しかも結婚ではない)に一面トップを持って行かれたのである。

 翌1993年にはJリーグが開始。日本中がサッカー・ブーム一色となった。
 ゴールデン・タイムはプロ野球そっちのけでJリーグの放送ばかり。テレビだけではなく、スポーツ新聞も一面トップはサッカーだらけだった。この頃、日本のスポーツ・トピックはサッカーと大相撲が席巻し、プロ野球は隅に追いやられたのである。

 そして翌1994年、ヤクルトの宮崎・西都キャンプに、当時は評論家だった王さんが視察に訪れた。ここでノムさんと王さんが、野球人気復活について大激論を戦わせたのである。

野村「プロ野球は単に野球をするだけではなく、ショーアップされたプレーをファンに見せる必要がある」
「僕はそうは思いません。ショーアップされた野球なんて、日本人は好まないでしょう。真剣なプレーがファンの心を打つし、そうすればお客さんは球場に戻ってきます」
野村「だからワンちゃん(王のこと)は巨人のお坊ちゃまなんだ。巨人は黙ってたって東京ドームは満員になる。でも、そんな時代は終わったんだ。プロ野球も集客努力が必要だ」
「巨人は真剣に野球をやって、勝ってきたからこそ日本中に多くのファンを生んだんです。伝統というのは、そうやって築かれるんですよ」
野村「そんな甘っちょろいことを言っているから、プロ野球はJリーグに先を越され、女の子の注目は相撲の若貴や競馬の武豊に流れたんだ。ファンに対して『野球を見せてやってる』という態度を取り続けてきたツケが今、廻ってきたんだよ」

 この激論、どう考えてもノムさんに分がある。ノムさんの言うことは、プロ・スポーツの本質を突いているのだ。昭和のプロ野球は、巨人が勝ってさえいれば勝手に客は入ってくれた。そのため巨人は、ドラフト破りをしてまでもスター選手をかき集めようとしたのである。
 しかし、平成の世になるとそんな殿様商売は通用しなくなった。Jリーグのみならず、日本社会は趣味が多様化し、さらに21世紀になったらプロ野球の地上波中継は激減したのだ。そして2004年には球団削減騒動が起きる。

 球団削減は逃れたものの、いつチームが消滅してもおかしくないと危機感を抱いたプロ野球の各球団はファン・サービスに務めるようになった。特にパ・リーグはファンを集めるためにスタジアムをファンが楽しめる空間にして、かつての閑古鳥が鳴いていた球場がウソのように、スタンドには満員の客が詰め掛けるようになったのである。
 かつてのプロ野球は、勝つことには真剣になっても、ファン・サービスについては二の次、三の次だった。これでは到底プロ・スポーツと呼べるものではない。しかしノムさんは、早くからショーマン・シップの重要性を説いていたのだ。
 王さんも、パ・リーグの福岡ダイエー・ホークスの監督を務め、その後は福岡ソフトバンク・ホークスの会長となってからは、ノムさんの言うことも理解できるようになっただろう。今やホークスは、ノムさんの晩年の南海時代には考えられないほどの人気球団となった。

▼大阪球場跡のなんばパークスにある南海ホークス・メモリアルギャラリーには、故・沙知代夫人の意向もあってノムさんに関する資料や写真は一切ない

 ショーマン・シップといえば、プロレスを忘れてはならない。昭和プロレスも、スター選手が懸命にファイトするだけでファンは集まった。しかし21世紀に入るとその方法は通用しなくなり、プロレス界は冬の時代を迎える。
 ここへきてプロレス人気復活の兆しが見え始めたのは、プロレス団体(特に新日本プロレス)がファン・サービスとは何か、ということが判るようになったからだろう。

ノムさんがプロレス・ファンに訊いた。「キミたち野球は見ないの?」

 1980年代、現役を引退したノムさんは野球解説者となった。そしてテレビ朝日系『TVスタジアム』という番組のキャスターに就任したのである。
 この番組では主にプロ野球を報じていたが、ときには違うスポーツの特集もあった。ある日の放送では、プロレス特集が組まれたのだ。

 テレ朝なので、取り上げるのはもちろん新日本プロレス。何しろ80年代のプロレス・ブーム真っ只中で、単にプロレスを紹介するだけではなく、プロレス・ファンを10人ぐらい、いかにもプロレス・マニアという風情の若い男性たちをスタジオに招いた。
 ノムさんは常々『野村克也-野球=ゼロ』と公言していたように、野球以外のことは何も知らない。当然、プロレスのこともチンプンカンプンだっただろう。ノムさんが知っていたのは、せいぜい力道山ぐらいだったのではないか。

 番組の最中に、ノムさんはプロレス・ファンに訊いた。
「キミたちは、野球は見ないの?」
 プロレス特集には何の関係もない質問だが、プロレスについて熱く語る彼らを見て、ノムさんは不安になったのだろう。野球は、若者たちから見放されているのではないか、と。

 プロレス・ファンのうちの、1人の若い男性がノムさんの質問に答えた。
「野球も見ますけど、プロレスほど真剣には見ません」
「ふーん」
 とノムさんは返したが、その時どう思ったのだろうか。野球は真剣に見る対象ではないと嘆いたのか、あるいはプロレス・マニアでも野球は見てくれていると安心したのか。

 いずれにしても、当時のプロレス・マニア(特に新日ファン)は『プロレスは真剣に見る』というのが当たり前の姿勢だったのだ。これは村松友視氏の著書『私、プロレスの味方です(角川文庫)』に書かれていた「プロレスとは真面目に見るものでも不真面目に見るものでもなく、クソ真面目に見るもの」という思想が影響しているのだろう。

 プロ野球といえば、ビールでも呑みながらリラックスして見るスポーツ。しかし当時のプロレス・マニアは、プロレスをリラックスして見るのは本物のファンではない、と考えていたのだ。改めてそのことを認識したために、筆者はこの番組のことを妙に憶えているのである。

▼80年代のプロレス・ブームを、ノムさんはどう見ていたのだろうか


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’20年02月13日号オカダ猪木 独占MLW代表 ActwresGirl’Z 新日本キックWLC 内藤KENTA