昭和の時代から先進的だったプロレス・ファン

 ラグビー・ワールドカップは、日本代表が準々決勝で敗れ、多くの人が『日本代表ロス』に陥っているだろう。しかし、ワールドカップはここからが面白い。
 準決勝ではラグビーの母国イングランドが大会2連覇中のニュージーランド(オールブラックス)を破り、また南アフリカ(スプリングボクス)がウェールズに勝って、11月2日(土)の横浜国際総合競技場での決勝戦はイングランドvs.南アフリカとなった。世界最高峰の戦いに、胸を躍らせているファンは多いに違いない。

 日本vs.南アフリカの準々決勝は平均視聴率が41.6%(関東地区、以下同)だったのも凄いが、それ以上に驚いたのが同じ準決勝の南アフリカvs.ウェールズの19.5%だ。これは開幕戦、日本vs.ロシアの18.3%を超える視聴率だった。その他の、日本戦以外の試合でも、ゴールデン・タイムでは軒並み2桁を記録した。
 しかも今回のワールドカップは、有料放送のJ-SPORTSが全試合を生中継している。つまり、同じ試合を2つのテレビ局が生放送していたわけだ(試合によっては、無料BSを含む3局)。多くのラグビー・ファンは、通好みの実況および解説をするJ-SPORTSを視聴しているため、地上波とJ-SPORTSを合わせた視聴率は、もっと凄いことになっていたに違いない。
 日本戦以外でも、これほどの高視聴率を獲得したのは『にわか』と呼ばれる人が、ラグビーの魅力を知ったからだろう。視聴率だけではなく、日本戦以外の会場でも満員の盛況だった。

▼がっぷり四つに組む肉弾戦のスクラム(この写真はワールドカップではありません)

 対照的なのは、ラグビーの裏で行われていた、同じ『ワールドカップ』でもバレーボールだった。相も変わらずジャニーズ・タレントを前面に押し出し、DJは観客に日本の応援を強要、他国へのリスペクトなど何もない。参加国からは「これはスポーツ大会ではなく、日本のショーだ!」と辛辣な言葉を浴びせられるほど。事実、バレーのワールドカップは毎回、日本で行われている。
 もちろん、日本戦以外の地上波中継などなく、優勝を争う国同士の対戦でも観客はガラガラ。要するに、ほとんどのファンは日本戦以外には興味がないのだ。

 参加国も『本番は来年の東京オリンピック』という戦略で、ワールドカップなどオープン戦ぐらいにしか考えていない。そのため、強豪国は主力選手を温存させていた。
 そんな相手に、勝ったの負けたの大騒ぎしていたのは日本だけ、というよりフジテレビだけ。世界大会を日本のテレビ局が共催するのも異常だが、その異常さに多くの日本人が気付いていない。こんな大会を、ワールドカップでございと吹聴しているのである。


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戦後まもない日本では、日本人が外国人を倒すことに熱狂した

 そもそも、日本戦以外で視聴率が取れるのは、サッカーのワールドカップだけと言われていた。それでも野球のMLB、バスケットボールのNBA、アメリカン・フットボールのNFLなどは、日本でも人気を博していたのだ。とはいえ、地上波で頻繁に放送されるほどではなかったのである。
 しかし今回のワールドカップで、ラグビーはその牙城も崩してみせた。

 もう一つ、今回のワールドカップで象徴的だったのが、日本代表のメンバー構成だ。約半数が外国出身者である。最初の頃は「これでも日本代表?」とラグビー・ファン以外は疑問を持っていた。ちなみに、外国出身者が多いのは日本代表だけではなく、多くの国の代表チームも同じである。ラグビーでは国籍に関係なく、一定の条件を満たせばその国の代表になることができる。
 しかし、ワールドカップが進むにつれて、外国出身の選手を誰もが応援するようになっていた。外国出身選手(当然、日本に帰化した選手も多い)は全員、日本代表であることを誇りに思い、日本のために全力を尽くして戦った、その姿に多くの人が共鳴したのだ。
 もちろん、未だに『日本代表は純粋な日本人で構成されるべき』と考えている人は多い。しかし、そういう人は頑迷な国粋主義者として、時代から取り残されるだろう。

 そういう意味で、昭和の時代から最も先進的だったのはプロレス・ファンと言えるのではないか。戦後、プロレスが日本に輸入されて、力道山が空手チョップで外国人(主に戦勝国のアメリカ人)レスラーをなぎ倒し、日本人は敗戦コンプレックスを吹き飛ばしたのだ。
 実際には力道山は朝鮮半島出身なのだが、そういうことは秘匿された。日本人が、デカくて反則ばかりする外国人に勝つ、というのがパターンだったのである。
 しかし、それも時代の進行により変化した。

▼空手チョップで大柄な外国人レスラーをKOした力道山は、昭和史に残るヒーローとなった

ザ・ファンクスvs.ブッチャー&シーク! 外国人同士で日本が熱狂

 時代の潮流が変わったのは、ジャイアント馬場が全日本プロレス、アントニオ猪木が新日本プロレスを設立した頃からだろう。力道山の死後、馬場と猪木は日本プロレスのWエースとなったが、その頃も日本人vs.外国人が中心のカードだった。ましてや馬場vs.猪木など有り得なかったのである。
 やがて日プロは分裂し、猪木が新日を、馬場が全日を創設して、日プロは崩壊した。

 全日本プロレスのハイライトとなったのは1977年12月15日、東京・蔵前国技館でのアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークvs.ドリー・ファンクJr.&テリー・ファンク(ザ・ファンクス)だろう。
 世界オープン・タッグ選手権(世界最強タッグ決定リーグ戦の前身)の最終戦、勝った方が優勝である。

 凶悪コンビのブッチャー&シークが悪の限りを尽くし、正義の兄弟コンビのザ・ファンクスが防戦一方。そして遂に、戦慄の瞬間が訪れた。
 ブッチャーがフォークを取り出し、テリーの右腕をメッタ刺し! テリーの右腕からは鮮血が流れ、観客は悲鳴をあげる。当時はフォークを凶器に使うなど、考えられなかった。

 右腕を負傷して戦闘不能になった弟テリー。1対2の状況になり、兄ドリーはブッチャー&シークに、徹底的にいたぶられた。それでも、凶悪コンビの凶器による猛攻を、必死に耐えるドリー。
 やがて復活したテリーは、兄のドリーを助けるべく、ブッチャーとシークに渾身の左ストレート! 蔵前国技館は興奮の坩堝と化した。
 結局、シークがレフェリーのジョー樋口に凶器攻撃し、ブッチャー&シークの反則負け。ザ・ファンクスが見事に優勝した。フォール勝ちではないのに、ファンは大喜びである。

 この試合はテレビでも高視聴率を記録し、反則決着ながら全日本プロレス初期の名勝負となった。日本人なしでも、試合内容によりファンが注目することを証明したのである。

▼フォーク攻撃でファンを恐怖に陥れたアブドーラ・ザ・ブッチャー
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ハンセンvs.アンドレによる超ヘビー級の肉弾戦に、ファンは大興奮

 豪華な外国人レスラーが目白押しだった当時の全日本プロレスに比べ、新日本プロレスは外国人レスラーの層が薄いと言われた。その図式に変化が現れたのが、1980年以降である。新日本プロレスもWWF(現:WWE)との提携により、一流の外国人レスラーが豊富になった。
 その集大成となったのが1981年9月23日、東京・田園コロシアムでのスタン・ハンセンvs.アンドレ・ザ・ジャイアントだろう。体重140kgの巨漢ハンセンに対し、アンドレはその2倍近い250kg。合計約400kgの肉弾戦、しかも実力充分で全盛期の両者が激突したのだ。

 試合序盤はアンドレが体格差を利用してハンセンを圧倒。しかし、ハンセンは100kg以上も重いアンドレをボディー・スラムで投げ飛ばす。田コロの大観衆から地鳴りのような歓声が上がった。体格に劣るハンセンが劣勢どころか、互角以上の戦いをしているのである。
 その後も一進一退の攻防が続き、結局はお決まりの両者リングアウト。観客はため息をついた。とはいえ、この時点でもファンは満足だっただろう。

 ところが、延長戦が認められた。ここからは時間無制限1本勝負である。思わぬ裁定に、ファンの夢はさらに続いた。
 そして、この試合で最高潮となったシーン。ハンセンが、アンドレに必殺のウエスタン・ラリアートを叩き込んだのである。場外に吹っ飛んだアンドレを見て、ファンのボルテージは頂点に達した。
 結局、アンドレがレフェリーのミスター高橋にハンセンばりのラリアートを見舞って反則負け。ハンセンの勝ちとなったが、勝敗よりも試合内容にファンの大興奮は収まらなかったのである。

▼アンドレ・ザ・ジャイアントと名勝負を繰り広げたスタン・ハンセン
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▼[ファイトクラブ]伝説の田コロ決戦! 合計400kgが激突したハンセンvs.アンドレ戦

[ファイトクラブ]伝説の田コロ決戦! 合計400kgが激突したハンセンvs.アンドレ戦

 力道山時代は、日本人が外国人に勝つことによってプロレス・ファンは満足していた。しかし、時代が進んでいくと、日本人や外国人など関係なく、試合内容を重視するようになったのである。

 それをプロレス・ファンは、昭和時代には身に付けていた。そういう意味では、あらゆるスポーツ・ファンの中でも、プロレス・ファンは時代を先取りしていたと言えよう。


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