[ファイトクラブ]プロレスのテレビ放送と、1局独占中継

[週刊ファイト3月28日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼プロレスのテレビ放送と、1局独占中継
 by 安威川敏樹
・バレー世界大会が日本ばかりで開催、さらに1局独占中継の弊害
・決まったテレビ局が同じ団体を定期放送するのがプロレス中継
・3局全てのテレビ局がプロレス中継を競った、プロレスの黎明期
・BI砲時代、日本プロレスが2局中継を開始
・ジャイアント馬場は日本テレビ独占により、却って損をした?
・今後、プロレス中継のスタイルはどうなる?


 先日、国際バレーボール連盟(FIVB)が、次回(2022年)の女子世界選手権を、オランダとポーランドの共催で行うことを発表した。日本も立候補していたが、落選したわけである。
 前回の2018年は日本で開催されたが、独占中継したTBSは約10億円とも言われる赤字を計上したという。日本バレーボール協会も、2019年度の予算は約3.9億円の赤字と発表された。
 さらに、それまでは世界選手権の開催地はFIVBと各国協会との個別交渉だったが、次回から公募方式になったため、日本協会は共催を掲げるオランダとポーランドに敗れたのだ。もちろん、そこには2018年大会の大赤字も影響しただろう。

 これは、1局独占放送のビジネス・モデルが、破綻した結果とも言える。1局独占と言えば、もう一つ思い浮かぶスポーツがあるだろう。そう、プロレスだ。

バレー世界大会が日本ばかりで開催、さらに1局独占中継の弊害

 バレーではオリンピック、ワールドカップ、世界選手権が世界三大大会と呼ばれる。さらに、ワールド・グランドチャンピオンズ・カップ、いわゆるグラチャンという世界大会もある。これらの大会が、基本的にそれぞれ4年に1度開催されるわけだ。
 オリンピックはともかく、ワールドカップはフジテレビ、世界選手権はTBS、グラチャンは日本テレビの独占中継だ。このうち、ワールドカップとグラチャンは、常に日本開催となっている。世界選手権は必ずしも日本開催というわけではないが、特に女子では日本開催が多かった。

 バレー世界大会の独占中継が定着したのは、ワールドカップだろう。1977年から今年の2019年まで42年間、男女ともになんと12大会連続で日本開催だ。しかも、全ての大会がフジテレビの独占中継である。こんな歪な『ワールドカップ』は、他競技にはない。
 信じられないかも知れないが、1980年代以前で『ワールドカップ』と言えば、日本ではバレーのことを指していた。その頃の日本人は、サッカー・ファン以外ではサッカーにワールドカップがあることなんて知らなかったのである。Jリーグが発足する以前、サッカー日本代表のワールドカップ出場など夢また夢だった時代だ。また、この頃はラグビーにはワールドカップすらなかった(第1回大会は1987年)。
 バレーのワールドカップは高視聴率をキープしたため、他局もバレーの世界大会を独占中継するようになったのである。

 しかし、この状態が世界のバレーに異常な構造をもたらした。何しろ、ただでさえ世界大会が多過ぎるのに、ほとんどの世界大会が日本開催である。
 FIVBも、日本開催だと儲かるため、ジャパンマネーを頼りにした。最盛期には、FIVBの収入の約9割が日本開催によるものだと言われたほどだ。
 日本開催だと、当然のことながら日本は開催地枠により、予選免除で本大会に出場できる。開催地特権は、それだけではない。日程を自由に組むことができるのだ。
 日本戦は高視聴率が見込まれるため、ゴールデン・タイムに合わせての試合となる。つまり、全日本は全ての試合が夜になり、選手はコンディションを整えやすい。他国の選手は、昼と夜の試合を交互に繰り返すから、コンディション作りが大変だ。

 また、試合の判定も日本有利になる。何しろ、会場を埋め尽くしているのは100%日本のファンだ。審判もなかなか、大勢の客を敵には回せない。大会のMVPも、日本は下位に沈んでいても、全日本の選手が選ばれることもあった。しかも、ルールでも日本に有利なリベロが採用された。
 さらに、大型スクリーンを使って、DJが日本の応援を強要する。もはや、公平さなどどこにもない。それでも、日本開催では儲かるので、FIVBも見て見ぬふりである。
 ワールドカップではジャニーズ事務所のタレントを使って、バレーとは無縁の過剰演出を行う。ワールドカップは、ジャニーズの売り出しに利用されていた。もっともバレー協会とフジテレビも、ジャニーズを集客と視聴率稼ぎに利用していたのだが。
 ジャニーズを起用していない2018年の女子世界選手権が大赤字ということで、2019年のワールドカップではますますフジテレビはジャニーズの活用に力を入れるだろう。しかし、次回の2023年以降はワールドカップも世界選手権と同じく公募方式になる。もはや日本開催では儲からないと、FIVBも見切りをつけたのだろうか。

 それはともかく、日本開催でのこんな状態が、他国にとって不満に思わないわけがない。しかも、日本戦以外の試合では、観客はガラガラ。数百人単位だって珍しくない。優勝決定戦でも日本が絡んでいなければ地上波中継はなく、スタンドもほとんど空席だ。
 1局独占中継の弊害はまだある。何しろ、各局が自局の放送する大会を『真のバレー世界一決定戦』と喧伝するのだから、他局の世界大会を無視してしまうのだ。他局が放送する世界大会は、スポーツ・ニュースですら結果を報じない。言ってみれば、他局の視聴率稼ぎの協力となるからだ。結局は、バレー同士が足を引っ張り合っている状態になる。

 その結果、世界大会が終われば日本国民のバレー熱は一気に下がる。日本国内の試合には、コアなバレー・ファン以外は見向きもしない。何しろナショナリズムなし、タレントなしだから、国内の試合には興味がないのだ。あるとすれば、美男美女の選手目当てのファンぐらいか。
 これでは、せっかく世界大会で盛り上げても意味がない。日本戦での視聴率が、国内での人気に全く反映されていないのである。

▼国内の男女バレーの決勝。会場はトップ画像と同じ、WWEが開催された大阪府立体育会館

決まったテレビ局が同じ団体を定期放送するのがプロレス中継

 スポーツで独占放送と言えば、他にNHKの大相撲中継がある。しかし、こちらは公共放送でもあるし、バレー世界大会ほどの独占性は感じられない。
 現在では信じられないが、かつてテレビ放送がNHKの他に民放2局しかなかった頃、3局全てが大相撲の本場所を生中継していたのだ。Eテレ(教育テレビ)もなかったので、テレビを点ければどのチャンネルを回しても(当然、チャンネルはボタン式ではなかった)、相撲しか映っていないのである。今の感覚では、チャンネルを選べないのなら何のためのテレビか、と思うだろう。それほど、当時の相撲人気は高かったのだ。

 他には、TBSが独占中継する世界陸上が有名だ。ただし、世界陸上は開催国が年によって変わり、日本開催は少ない。日本開催ばかりのバレー世界大会とは随分違う。
 それにTBSが独占中継を始めたのは1997年からであり、それ以前は他のテレビ局が放送していた。そもそも、バレーの世界大会はFIVBと日本のテレビ局との共催という形が多いが、世界陸上では単にTBSが放映権を得ているだけだ。そのため、テレビ局による足の引っ張り合いはない。

 さて、他のスポーツのことを長々と話してきたが、独占中継と言えばプロレスだ。プロレスの場合は、団体が特定のテレビ局に放映権を与えている。
 新日本プロレスでは、テレビ朝日が『ワールドプロレスリング』として放送しているのはご存知の通り。しかし、かつてのゴールデン枠ではなく深夜帯だ。そして、他団体を含めて地上波で放送されているプロレス中継は、この番組のみである。

 かつて、プロレスの地上波中継が盛んだった頃は、団体同士のみならずテレビ局同士の対立も激しかった。有名だったのは、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が健在だった時代の、日本テレビの『全日本プロレス中継』と、前述したテレビ朝日の『ワールドプロレスリング』との争いである。プロレス中継で、他団体のことを話すのは禁句に近かった。
 もっとも、他団体のことを話題にするのは全くのタブーだったわけではなく、たとえば新日本プロレスからスタン・ハンセンが全日本プロレスに移籍したとき、その最初の試合で「(ハンセンは)アントニオ猪木を破ってNWFヘビー級チャンピオンになりました」と日テレの『全日本プロレス中継』内で説明していた。

 とはいえ、やはり他団体のことを話すことは珍しく、天龍源一郎が全日本プロレスで売り出し中の頃は、盛んに延髄斬りや卍固めなど猪木の得意技を多用していたが、「まるでアントニオ猪木のようです」などとは日テレのアナウンサーも言わなかった。
 もちろん、テレ朝の『ワールドプロレスリング』でも、全日本プロレスやジャイアント馬場のことを話すのは滅多になかったのである。

 このあたり、同じプロレス界でもお互いを無視するという関係は、バレーの世界大会での各局の対応と似ている。プロレスでは他のスポーツと違い、たとえばある週では新日本プロレスをフジテレビが放送し、全日本プロレスの中継をTBSが行う、などということはなかった。
 決まったテレビ局が同じ団体を毎週、決まった曜日に定期放送するというのがビジネス・モデルだったのである。しかし、プロレス界では常識だったこの形態が、他のスポーツではほとんどなかった。この点でも、バレーの世界大会では当たり前でも、他のスポーツの世界大会では異常だったのと似ていると言えよう。

3局全てのテレビ局がプロレス中継を競った、プロレスの黎明期

 日本で本格的にプロレスのテレビ中継が始まったのは、1954年2月19日のこと。それ以前でも試験放送で関西限定でのプロレス中継はあったが、この2月19日を記念して日本では『プロレスの日』ということになっている。
 この日、東京・蔵前国技館で行われた力道山&木村政彦vs.シャープ兄弟のタッグ・マッチを、日本テレビとNHKが生中継した。この頃はまだ、この2局しかテレビ局はなかったのである。
 プロレス団体としては、力道山が興した日本プロレスの他に、山口利夫の全日本プロレス協会(現在の全日本プロレスとは無関係)、そして力道山と袂を分かった木村政彦が設立した国際プロレス団(後の国際プロレスとは無関係)があった。

 NHKは1956年の夏頃にはプロレス中継から撤退、時を同じくして全日本プロレス協会や国際プロレス団も活動を停止し、日本プロレスが事実上唯一のプロレス団体となる。
 その1年前、テレビ界には新しい動きがあった。TBSの前身であるKRテレビが第二の民放テレビ局として開局したのである。つまり、日本のテレビ局はNHK、日本テレビ、KRテレビの3局となったわけだ。前述の大相撲中継した3局とは、この3つのテレビ局のことである。

 KRテレビも、プロレス中継に意欲的だった。NHKはこの頃になるとプロレス中継に関して消極的になっていたので、実際には日テレとKRテレビとの一騎打ちである。
 そして、KRテレビも日本プロレスの中継を開始。視聴率ではむしろ日テレを上回ったので、日テレにとって脅威であった。
 日テレもKRテレビも、日本プロレスの独占中継を狙っていた。まだ3局しかテレビ局が無い時代、現在の独占中継とは意味が違う。

 この争い、軍配は日テレに上がった。八欧電機(現:富士通ゼネラル)という強力なスポンサーが付いていたKRテレビに対し、日テレには大スポンサーが無かったのが弱みだったが、三菱電機が日テレのスポンサーになったのだ。
 1957年夏、力道山は旗揚げ当初から恩のある日テレを選び、KRテレビと八欧電機は力道山と絶縁することになる。そしてKRテレビは、プロレス中継からも撤退した。こうして、日本プロレス中継は地方局を除いて日本テレビによる1局独占となったのである。

BI砲時代、日本プロレスが2局中継を開始

 1963年12月15日に力道山が死亡したため、日本プロレスは豊登道春がトップの座に就いた。しかし、バクチ好きの豊登は会社の金を使い込んだため、事実上の追放となる。
 だが、豊登は若手のホープだったアントニオ猪木を引き抜いて、1966年10月に新団体の東京プロレスを旗揚げした。が、テレビ局の付かなかった東京プロレスは資金難に陥り、やはり日本プロレスから分裂した国際プロレスと合同興行を行うも、間もなく崩壊。これを機に、猪木は日本プロレスに復帰した。1967年4月のことである。

 失敗した東京プロレスだったが、猪木にとってはこの回り道は結果的に良かった。『東京プロレスのエース』という箔が付き、また東京プロレスでは一流レスラーだったジョニー・バレンタインと好勝負を演じるなど、一介の若手レスラーからメイン・エベンターに成長したのである。
 豊登が離脱した後、日本プロレスのエース格となったのはジャイアント馬場。日本プロレスは馬場と、東京プロレスのエースだった猪木を合体させ、BI砲として売り出していくことになった。

記事の全文を表示するにはファイトクラブ会員登録が必要です。
会費は月払999円、年払だと2ヶ月分お得な10,000円です。
すでに会員の方はログインして続きをご覧ください。

ログイン